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世界最弱の希望  作者: 人鳥
第三章『真実の行方』
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第十ニ話『船上の戦場』

 海魔。

 海に棲む魔。

 人間と魚との魔の混成――に見える姿。

 おぞましく、醜悪で、見るに堪えない。パニック映画に登場しそうな現実感のなさだ。現実感なんて――とっくに捨てたと思っていたけれど。

 ここの世界が現実だと思っていたけれど。

 現実は小説より奇なり。

 まさにその通り。

 世界は知らないことだらけだ。

「噂は聞いているよ? きみたちだろう、我らの同胞を狩っているっていうのは」

 親しげに、クリル(Clir)は言った。

「凄いじゃないか。人間のきみたちたちが――しかも魔法も使わずに同胞を打倒するなんて。ああ、少女の方は魔法を使うのだったね」

 同胞という言葉で、魔と海魔は彼らにとって同族であるということがわかった。もっとも、それによって事態が好転するというわけでは決してないのだが。むしろなにも変わらない。ぼくの些細な疑問が氷解しただけだ。

「魔法を使わない戦士――けれど、常に魔力を帯びる者。君は本当に面白い。ふふん? そちらの少女もなかなかの面白さだよ。とても不自然で歪な魔力を持っているね」

 不自然で歪?

 それは術式だから、なのか。

 それとも元々この世界の住人じゃないから、なのか。

 どちらにしても、それはあまり良くないことだと思う。

 クリルが余裕たっぷりの表情で、のんびりとした調子でこちらに歩いてくる。そしてそれゆえに凄まじい威圧感だ。

 強者故の余裕。

 クリルの周りを囲む船乗りたちは、一様に鋭い眼光をクリルに送っているが、クリルはそれを意に介してすらいない。圧倒的なまでの無関心だ。

「どうしてこの船を襲う?」

 ぼくは聞いた。

 答えてくれるとは思わなかったけれど、もしかしたらという思いもあった。

「聖……」

 千紗が隣でささやく。

 聞く価値はない。

 そう言いたいのだろう。

「どうして? なかなか難しいことを聞くね?」

 クリルは苦笑した。一足す一がなぜ二なのか、そう問いかけられた教師のような、困った子を見るような表情だ。

 魚の顔でもそれくらいは読みとれた。

「聞くけれど、君たちはどうして同胞を倒す?」

「敵だから」

 答えたのは千紗だった。

「魔は人の敵。人と魔はわかりあえないし、交流することもできないし、和解することもできないし、その構図は変えられないよ」

「そう思うならば、その通りなのだろうね」

「その含みのある物言いは、魔の長のことを言っているのか?」

 クリルの肩が動いた。

「まあ、そんなところだね」

「どういうこと?」

 千紗がぼくの方を見る。どうやら千紗は知らなかったようだ。

「後で話すよ」

「その後があるといいけどね。ああ、質問に答えよう――」

 クリルは言葉を切った。

 一瞬の沈黙。

 それが重い。

()()()()()()

「狂った」

「そう狂った。我らが王は狂った。これ以上なく狂った。心は崩壊し、記憶は霧散し、肉体は変貌し、魔力は暴走し、名を失い、そして一点のみを目指す存在となった。たったひとつの目的のためだけに――たったひとつの幻想のためにさまよう亡霊(ファントム)となった」

「たったひとつの目的……」

「王が狂えば統制は崩壊するわけだよ」

 そしてクリルは自虐的にほほ笑む。

「もしかしたら、私も――私たちも狂ってしまったのかもしれないね? 王の如く」

「それじゃあまるで、人を襲うことが本意じゃない言い方だ!」

 千紗が叫ぶ。

「どうだろう? 迷っているね? しかしどうあれ、『今』の私にとって、それは本意さ。私を止めたほうがいいと思うがね」

 クリルの姿がゆがんだ。

「――――っ!」

 ゆがんだ――その原因は水だった。水が薄い膜のように広がり、クリルを包んでいる。水のヴェールは次第にクリルの左手に収束していき、そして――それは剣の姿をとった。

「君は剣士だったよね? そして君は拳士だったはずだよね? ふふん、私は拳に自信がないから、剣士としてお相手させてもらうよ」

 細い刀身だ。

 レイピアに見えるほどに細いが、レイピアとは違って紡錘形ではなく、一般的な剣のそれと同じ造りになっている。刀身の圧倒的な細さ、それがクリルの持つ剣が持つ最も特徴的な外見だ。

 水から生まれた剣を、クリルは左手に握った。

観衆(ギャラリー)には退場願おうか」

 クリルが彼を囲む船員に向かって右手を振るう。

 瞬間、クリルの右手のあたりから水団が噴き出し、船員たちを海に飛ばしてしまった。悲鳴をあげる暇もなく、彼らは海に投げ出された。

「みんな!」

 リックさんが叫んだ。

「くそ!」

 リックさんは走り出し、船の中に戻って行った。おそらく、海に投げ出された船員の救出に向かったのだろう。こういう事態に対して、何の対策も講じていないとは思えない。

 クリル。

 千紗。

 ぼく。

 動いたのはクリルだった。

「え?」

 不意に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「危ない!」

 とっさに千紗が拳を突き出し、〈武神〉を発動した。青い閃光がクリルの投げた剣を弾く。弾かれた剣は水に戻ってあたりに散らばり、またクリルの手に収束した。

「ふふん? 途中で砕かれては駄目みたいだね」

 クリルはその手の剣を眺めながら言った。

 あの水の剣は壊れない。

 形が無いのだ。

 水より生まれたその剣は壊れず、無くならず、意思を持って持ち主の手に戻る。

「私の剣から逃れられたのは、君たちが初めてだよ。それは誇ってもいいと思うね」

「ならあたしたちは、あんたを殺す初めての人間になるよ」

 千紗が言って、ぼくはうなずいた。

 この魔は危険だ。

 海魔は危険だ。

 誰でもない――ぼくの中の何かがそう言っている。

「いささか無謀が過ぎるとは思うけどね。まあいいさ。ここからはお互い、真剣に戦おう」

 クリルが剣を構える。

 ぼくもそれにならい、切っ先をクリルに向けた。千紗も、タン、タン、とステップを踏んで臨戦態勢に入る。その両の拳から青い光が解放を待ちわびてあふれ出ている。

 戦いの幕開けは――きっかけは何だったのか。それは突然に始まった。

 千紗の術式〈武神〉より放たれた青い閃光が、クリルを襲う。クリルはそれを横への跳躍によって回避する。跳躍し、身動きが取れないクリルに追撃を放とうと、千紗が魔力を拳に集める。

「――ふっ」

 すかさずクリルが剣を投擲しようと腕を振る。

「ぜぁ!」

 その行動は読んでいた。千紗はクリルの進行方向へと回り込み、その行く手を阻んだ。あたかも瞬間移動をしたかのように見える千紗の移動に、クリルは後ろに飛びのいて距離をとった。

 ()()()――()()()()()()

 後ろをとったぼくは、クリルに〈揺光(ようこう)〉を振りおろす。

「くっ」

 常軌を逸した身のこなしで、()()()()()()()()()

を《、》()()()()()。細い刀身のその剣は、予想に反して頑丈だった。ぼく程度の攻撃力では破壊し得ない――はずだった。

「なぜ!」

 本来なら壊れるはずがなかった。

 ぼくの持っているこの剣が、ふつうの剣ならば。

 〈揺光〉でなければ。

ぼくが〈揺光〉の能力を知らず、その使い方を思いつかなければ。

クリルの剣は見る間に形を失い、水に戻って彼の足もとに水たまりを作った。彼は自らの剣が形を崩したのを確認するや否や、すぐにそれを捨てて体勢を整えていた。

「ふふん? つくづく妙な二人組だね」

水たまりの水がまたクリルの手に集まり、剣の形をとった。

「今度は私の番だよ――」

 クリルが右手を頭上に掲げる。その手のひらにはバスケットボール大の渦巻く水弾が浮いている。

「――〝人魚の涙〟!」

水弾がぼくに迫る。

水弾をぎりぎりのところでかわし(後ろで何かが壊れる音がしたが、きっと気のせいだ)、クリルとの距離を詰める。

「はあっ!」

 クリルの腰から肩に向かって、〈揺光〉で斬りあげる。クリルはまたもや、水の剣でそれを受けた。そしてまたそれは水に戻る。

「千紗!」

「わかってる!」

 千紗がクリルの背後に迫る。千紗は青い暴力を右手に纏わせ、クリルの後頭部へと叩きつけるように腕を振るった。気づけばまたクリルは剣を握っていて、彼は上体をねじって千紗の攻撃をかわした。それはぎりぎりの避行動で、クリルの頬から血が流れ落ちた。

「まだ終わりじゃないぞ!」

 まだ体勢が万全ではないクリルに詰め寄り、〈揺光〉の切っ先を突き出す。

()()()()()()!」

 クリルは叫ぶ。

 とっさに彼が突き出した右手を〈揺光〉が貫通し、血が刀身を伝って流れた。

「離れろお!」

 クリルが剣をぼくに振りおろそうとする刹那、細く青い光が水の剣を砕いた。ぼくとクリルはその水で全身が濡れた。

「あたしもいるんすよ」

「げふっ!」

 クリルの蹴りがぼくの腹に直撃し、肺から空気が抜けて出た。

「ふふん、最高(さいあく)だね」

 足元に滴る自分の血を眺め、クリルは忌々しげに言った。

「人間が……終わらせてやる」

 そこには先ほどまでの余裕はなかった。


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