第十話『出航』
「話はエレナさんから聞いてるよ。キモンに行くんだってな」
筋骨隆々の船乗りが、神妙な面持ちで言った。エレナさんが言っていたとおり、キモンという村はあまり良い場所ではないのだろう。この船乗りの反応だけでそれがわかった。
「はい」
「そうか。まあ、死なねぇ程度で頑張ってくれな」
船乗りはぼくから千紗に視線を移して、感慨深そうにため息をついた。どうやら面識があるようだ。
「まさか本当になるとはな」
「嘘つきは泥棒の始まりっす」
船乗りはその意味を図りかねて首をかしげた。
「あたしはあたしの言動に誠実に生きてるんすよ」
「男前だねぇ」
船乗りは感心してうなずいた。
「よっしゃ。乗りな。俺たちがお前たちを送り届けてやる」
船乗りは胸を張って、豪快な笑みと共にぼくたちを船に招いた。
船は木造で、歩くたびに軋む音がした。相当年季の入った船なのだろう。信頼できる半面、なんとなく不安だ。そんななんとなく不安な気持ちが表に出ていたのか、船乗りが苦笑した。
「沈みやしないさ。そんなことよりも、これから冷え込む季節だが防寒はしているか?」
「ぼくは大丈夫ですよ。それほどでもないですが、コートを着てますし」
この気温で着て暑く感じないなら、もしかしたら防寒としては役に立たないのかもしれないが。問題はぼくよりも千紗だ。
「あたしも大丈夫っすよ? 着てないだけで上着は持ってるんで」
ぼくが心配する必要は全くなかったわけだ。これで寒さに対する心配はひとまずなくなったわけか。
「そうかい、ならいいんだ。で、だ。部屋は別々がいいのか? それともいっしょがいいのか?」
「別で」
「別で」
考える間もなく、圧倒的な速度で答えた。それはみごとなシンクロを見せ、もしこれが採点されたならば、かなりの高得点が叩きだされたことだろう。あまりの見事なシンクロっぷりに、船乗りは一瞬動きを止めた。
「そ、そうかい。俺ぁてっきりそういう仲なのかと」
「ありません」
「ないっす」
ふむ。
さすがに息は合うらしい。短い間だけど、いっしょに旅を続けた成果だろうか。
「短いどころか海を渡っただけだよ」
「そうだっけ?」
スダンでの一件の印象が強すぎて、短いとは言いつつもそれなりの期間を共にしたような感覚がある。まるで吊り橋効果のような信頼度の上昇が、ぼくに起こったわけか。
勘違いというものは怖いものだ。
「そうだよ」
千紗は苦笑交じりに言った。
「こことその部屋だ」
ぼくと千紗の部屋は向かいだった。とりあえず近い方が便利だと気を利かせてくれたのかもしれない。味のあるドアで、開く時に、ぎぃ、と音がした。
「なにかあったら呼んでくれ」
そう言って船乗りは出て行った。
「思ったよりもきれいだね」
スダンから乗ってきた船は、この船より新しいものだったけれど、あまり手入れが行き届いていなかった。
「さて。とりあえず夕食までどうする?」
まだ日は高い。これから夕食までは時間が有り余っているし、夕食以外にこれといってすることもない。甲板に出てもいいけれど、出たからといってやることはない。
時間が有り余り、一般的に無為と呼ばれる時間を過ごさなければいけない。
「甲板に出ておしゃべりする? それともトランプでもする?」
「トランプなんて持ってるの?」
「持ってるわけじゃないじゃん」
「わかってたよ」
ああ、わかっていたとも。そんな娯楽を持っているわけがないなんて、火を見るよりも明らかじゃないか。
千紗も退屈そうにため息をついて、部屋に唯一置かれていた椅子に腰かけた。座るところが無くなったぼくは、仕方なくベッドに座った。荷物を足下に置いて、肩のこりをほぐす。
「聖こそ神聖都市で何か買えば良かったのに。エレナからお金もらったんでしょ?」
「そんなお小遣いみたいな使い方できないよ。必要不可欠ってわけじゃないしね」
そんなことに軍資金を使ったと知れれば、エレナさんはどんな顔をしただろう。想像するだけで恐ろしい。
軍資金は軍資金であって、遊ぶ金ではないのだ。
「うーん、心にゆとりをもたらすという点においては重要だと思うけどなぁ」
「その手があったか」
物は言い様だ。嘘をつかずに真実をちょっと曲げ、自分の意見を通す。そういうことを覚えていっても良い年頃になってきたか。その自覚を中学生の千紗にされたのは、あまり面白くないけれど。というか、単純に、千紗もそういうこと言うんだなぁ、と思う。
「言ってもあたしだって、元々は聖と同じだしね」
ぼくと同じ。
ただの中学生。
にも関わらず、この違いはなんだろう。
千紗はやけに落ち着いているような気がする。死への恐怖を全く持っていないような――そもそもそれを考慮していないような。
まるでゲーム感覚だ。
「ゲーム感覚でいいんじゃないかな? そうでないと気が狂っちゃうよ」
「うーん」
うかつにそれに同意してしまうと、どこからかゲーム脳などと批判されそうで怖い。批判するなら同じ立場になってみろと言いたいところだが、さすがのぼくも、この考え方には抵抗がある。
世界が違う。
それはぼくたちにとって大きな違いであり、大きな壁であるのだけど、だからといってそれが理由でゲーム的にこの旅のことを考えられない。気が狂いそうだという千紗の気持ちはよくわかるけれど、それはこの世界の人たちを裏切るような考え方のような気がしてならないんだ。
「成功すれば――それでいいんじゃない? どんな意図でこの旅をしようが、あたしたちがやることは変わらないよ。結果も過程も変わらない」
「結果も過程も?」
「結果も過程も。だってそうでしょ? ヒジリは死なずに元の世界に帰りたいし、あたしだって死にたくない。そしてその思いを遂げるためには、とにかく魔を倒して倒して倒して――最終的には〈俯瞰するゼノ〉を倒さなくちゃいけない。そこで手を抜くことはできないし、手を抜くことは死を意味するんだよ? だったら、ちょっとでも気が楽なほうがいいよね」
だからって――。
いや、それでいいのか。
いいのかもしれない。
結局、ぼくたちに選択肢なんてなく、おつかいのようにゼノを倒す。
それはゲームと同じじゃないか? 市販されているRPGと変わらない。
「それでもぼくはそうとは考えないよ」
「どうして?」
「ぼくは今まで会ってきた人たちと約束したからね。ぼくはそれに背くようなことは思うことすらできないよ」
「ふぅん……。はぁー、あたしもそういう人たちと会いたかったなぁ」
「これから会えるかもしれないだろ?」
まだ旅は続くんだ。少なくともこれから向かう港町、それからキモンには立ち寄る。そこでどんな人と出会うかはわからない。
「そうだね。期待せずに待ってるよ」
「うん。それでいいと思うよ」
期待して待つようなことじゃないし、待っていて会えなかったら落胆は大きい。それで落胆してしまうくらいなら、まだゲーム感覚でいてくれたほうが良い。
どんな些細なことでも、負の感情は体を鈍らせる。
反応が鈍る。
それは死に直結する。
「さて、と。あたしも荷物を置いてくるよ」
「うん」
千紗は荷物を抱えて部屋から出て行った。部屋から出る間際、千紗は「うーん」とうなって「どう暇をつぶそうか」などと呑気なことを呟いていた。
「ぼくもあれくらい肩の力を抜いたほうがいいのかな?」
肩に力が入り過ぎているようにも思うけれど、これくらいが丁度良いとも思う。そこらの判断は自分ではできないから、旅が終わった後に下されるであろう評価に任せることにしよう。
ぼくはぼくにできることを、ぼくらしくするだけだ。
ひとまず今は、ひと眠りしよう。幸い時間はたっぷりある。