第九話『調査依頼』
千紗はエレナの部屋のドアの前でため息をついた。エレナと雑談に興じようと部屋を訪ね、ドアを開けようとしたところで聖と話している声が聞こえたのだ。
「あの子は本当に――馬鹿な子だ」
エレナはそう言って、会話を締めくくった。聖の声はあまり聞こえないが、何かを言っていることだけはわかる。自分が隠し通してきた最大の秘密が、こうもあっさりと露見してしまうというのがショックだった。
千紗のその結末を知って、聖が今まで通りの彼でいられるとは思えなかった。旅の終わりで適当にはぐらかせば、彼は元の世界に戻り、自分はこの世界にとどまることができた。
それが千紗のシナリオで、彼女自身が覚悟したことだった。
しかし。
それはここで崩された。
ごまかしがきかなくなった。
「知ってほしくなかったな」
最初は自分のための嘘だった。
それがいつの間にか、聖のための嘘になった。
結局、嘘をつき続けることは難しかった――そういうことだ。
「でも仕方ないか。ここで知られてしまったなら、最初から、最後までつき通せる嘘じゃなかったということだよ」
うん。
と、千紗は諦めたようにうなずいた。
千紗はドアノブに手をかけた。雑談をすることは諦め、本当のことを話す決意を固めて。もうエレナが話してしまった感は否めなかったが、自分の口で話すことがけじめのように思えた。自分にはその義務があると――千紗は思った。
ドアを開け、中に入る。聖とエレナの視線が即座に千紗に向けられた。
「はは……」
千紗は乾いた笑いをもらし、ふたりの間で立ち止まった。
「千紗……聞いてたの?」
「う、うん。エレナと話をしようかなって思ってさ」
「どうやら私はモテモテのようだが、あまり好ましいモテ方ではないな」
千紗は面白くもない冗談に愛想笑いで返し、聖の隣に座った。聖は何も言わず、曖昧な表情で千紗を見つめている。
沈黙が降りた。
誰も何も言わず――言えずに時間が流れる。
「エレナさん」
口火を切ったのは聖だった。
「なんだ?」
「ぼくたちはこれから、どこへ向かえばいいですか?」
けれど、聖が発したのは予想外の言葉だった。今までの話の流れを無視し、これからの旅の話へと話題をそらした。
「ん? ああ、そうだな。お前にはキモンに行ってもらいたい」
「鬼門、ですか」
聖が繰り返す。
「なんだか、嫌な名前だね」
「それはよくわからない発想だが、確かにあまり良くない場所ではある」
「どういうことっすか?」
「魔境キモン――ここから東に海を渡り、忌むべき大陸を抜けた先にある大陸に、その村はある。ああ、説明がややおどろおどろしい感があるが、道中はそうでもない。ただの船旅だ」
「村の名前にしては物騒ですけどね」
「言っただろう? 道中は――と」
「そのキモンって村が問題なんすね?」
千紗が答えを促す。
「そうだ。その村は森の奥にある。かなり魔力の濃い森で、ふつうの人間は寄り付かないような場所だ」
エレナは立ち上がり、窓際へと歩いた。窓から街並みを眺めながら、しかし、遠い目で話す。
「その村は異教の徒でな。ああ、これは別に〈大導師〉を信仰していないから言ってるんじゃない。それはたいした問題じゃない。あの村は〈大いなるもの〉を信仰している」
「〈大いなるもの〉?」
「ああ。それが何なのかはわからないが、不穏なうわさを耳にしてな。それがどうも気にかかる」
エレナは視線をふたりに戻し、ふだんは仕事に使っているデスクに座った。足を組んで、飴玉を口に放り込む。
「キモンがある森の西側には港町がある。ここから出た船が向かう港町なんだが、そこでは変な――というよりも嫌なうわさが流れていてな。なんでも――魔が森から出たのを見た者がいるらしい」
エレナの発言に、聖が立ち上がった。興奮し、顔が赤くなっている。
「魔が? おかしいじゃないですか。それならなんで、その村とその港町は無事なんです」
それは千紗も疑問に思ったことだった。千紗にとって魔は敵。千紗の敵である魔は、世界の敵のはずだ。魔は理不尽に無差別に人を襲うものだ――そう思っていた。だからこそ千紗は魔との会話はしてこなかったし、これからもするつもりがない。
そんな魔が――近くにありながら襲っていない町がある。
ただのうわさであったとしても、それはそれなりに千紗には衝撃的なことだった。
「それはわからん。結局、うわさの話でしかないからな。しかし調べる必要はあるだろう? 本当なら私がその役目を果たしたいが、今はいかんせん、この町の管理がある」
つまり。
お前たちが調べてこい――と、エレナは言っているのだ。もちろん、ふたりに選択肢はないわけなのだが。
「つまり調べてきてほしい、ということっすね?」
「そういうことになる。船の運賃は私が払おう。それから必要な物資はここで補給しておくといい。金は私にツケておけ」
エレナはそれが当然とばかりに言ってのけた。聖はそれを聞いて、信じられないものを見たと言いたげな目でエレナを見つめる。
「どうした?」
視線に気づいてエレナが問いかける。
「え? あ、いや、こういう時に手を貸す人という風には聞いていませんでしたから」
「誰に聞いた?」
千紗の肩が一瞬、小さく震えたのをエレナは見逃さなかった。いたずらな笑みを浮かべ、エレナはデスクから飛び降りた。
「チサ、きみは私をどういう風に紹介したんだ?」
「えっとぉーそのー、線引きをしてる人って紹介しました!」
指をワキワキと動かしながら千紗に迫っていたエレナは立ち止まり、真面目な顔で「ふむ」とうなずいた。
「それはあながち間違っていないな。私は手を出すべきかそうではないかは、私なりに区別している。そして今回は手を出すべきことだな」
「そうっすか?」
「当然だ。これは私の依頼であり、世界からの依頼だ」
世界からの依頼という言葉に、聖は少しだけ反応を示したが、それ以上は何もなかった。
「私が手を貸さないのは、手前勝手な理由で助けを求めている時だ」
今回はそんなことではないだろう? と、エレナは続けた。
「というわけだ。食料なり服なりなんなり、必要なものは買っておけ。そうだな……銀貨五枚までなら融通してやろう」
「とは言われたものの……」
さてどうしたものか。
差し迫って必要なものはないのだ。千紗にも聞いてみたけれど、千紗も特に必要なものはないようだ。適当な食料を買って、それで買い物は済ませてしまっていいかもしれない。本当に必要なものは何もないんだよなぁ。不思議だ。
「千紗、これから買い物に行くけど、一緒に来る?」
千紗の部屋の前で呼びかける。
「んー、あたしパスー。ちょっと済ませておきたい用があるんだー」
「わかった。じゃあ食料だけ買ってくるよ。ほしいものはないね?」
「ないよー。買い物よろしく」
「はいはい」
はて。
術式のメンテナンスは終わったし、千紗には何の用が残っているのだろう? まあ、ここで世話になった人は彼だけじゃないだろうし、そういう人たちに会いに行くのかもしれないな。
町に繰り出して、干し肉とドライフルーツ、魚の干物、固形食糧をいくつか購入した。荷物は持って移動しなくちゃいけないから、あまり大量にまとめ買いしても邪魔になることがよくある。これくらいの量が丁度良いだろう。これならあまりエレナさんのお金の浪費を抑えられるだろう。
銀貨五枚までなら面倒を見てくれるとは言ったけれど、ぼくはそこまで甘えたくもないのだ。
世界を救うのだから――と、人は言うのだろう。だけど、それとこれとは別のような気がする。ぼくは元の世界に戻してくれるなら、それで十分なんだ。それ以上は望まない。
「…………」
元の世界――か。
本当に戻れるのかな?
いや。
戻るという決断はできるのかな?
ぼくはもう、混乱しっぱなしだ。
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