第七話『揺らめく光』
ロックさんはぼくの腰に差された〈揺光〉を指差して、真剣な眼差しで言った。
「その刀を譲ってはくれまいか」
「お断りします」
ぼくは間髪入れずに答えた。
「お前、その剣の価値――わかっているのか?」
ロックさんはぼくと〈揺光〉を交互に見た。何か信じられないようなものを見るような、重大なものを見るような目だ。
ロックさんはこの刀が、〈揺光〉だということを知っているのだろうか。それとも、ただ単に、この刀の持つ美しさに惹かれたのだろうか。いや、このロックさんの口ぶりだと、確実にわかっている。この刀が〈揺光〉だということを。
「わかっているつもりですよ」
だけどぼくはその価値以上に、この刀で交わした約束のほうが大切だ。たとえこの刀が銅貨三枚程度の価値だったとしても、決して手放すことはないだろう。
「ふん。たとえばだが、もしその刀を譲ってくれたら、魔力のないお前に最高の術式を施してやる――と言ったら?」
それはいったい、何の冗談だ?
リスクのことは、言わないほうがいいだろう。
「それでも嫌ですよ。この刀はぼくにとって、とても大切なものですから」
「そうっすよ。ヒジリはいつも大事そうに抱えてるんすよ?」
「その剣は〈揺光〉だろう? そもそもお前なんかが持っているには不釣合いな剣だ」
「どうしてです?」
確かに不釣合いかもしれない。だけど、これをぼくに持たせてくれたローズさんは、これを何かの縁だと言った。ならば不釣合いだろうが、ぼくが持っていることに意味があるはずだ。
「その剣は〈大導師〉とともに魔と戦った剣士サクラが使っていた剣だ。戦いの後、サクラは姿を消した」
「はあ」
「〈揺光〉はこの町で作られた――というのが表向きだが、それはあくまで術式を施しただけに過ぎん。その剣そのものは、本来、この世界のものではない」
ここまでは、予想できていたことだ。使用人のダリアンさんですら、その可能性を耳にしていた。まだ重要な場面じゃない。
「その剣がどういうものなのかは知らんが、術式を施すとともに、その剣は変質した」
「変質、ですか」
ぼくはこれを使っていて、特に違和感のようなものは感じなかった。むしろ快適に、体になじむような使い心地だった。
「〈揺光〉に施したのは、強度と切れ味を増す術式だ。名を〈魔を断つ剣〉といい、剣にのみ付与する術式だ。触媒は付与される剣そのもの、それそのものを術式の触媒とする術式」
「その術式を施したら、どうなったんです?」
ロックさんは、言い知れぬ深い感情をしわに刻んで言った。
「結局、調整ってなにしたの?」
ロックさんの店からの帰り道、ふと気になって千紗に聞いてみた。
「ん? えっとね、魔力の充填とストックをもらったんだよ」
「ストック?」
「うん。これなんだけど……」
千紗はかばんをあさって、中から木製のキューブを四つ取り出した。キューブは何の変哲もないもので、これが充填用の魔力のストックだと言われても、全く信じられない。積み木にこんなブロックがあったな、と、どうでも良いことを思い出した。
「そのキューブひとつでどれくらい充填できるの?」
「そうだねぇ、たしか、〈武神〉がフル充填で、〈力は満ちて〉が半分だったかな」
「どっちがどっちの術式なのか教えてくれないと、ぼくはその名前を初めて聞いたよ」
案外、千紗も名前を忘れていたのかもしれない。なんというか、それが冗談ではなくありえそうだ。ロックさんと話をして思い出したのだろう。
「えっと〈武神〉がグローブで、〈力は満ちて〉が体のほうの術式だよ」
「意外だね。ブローブのほうが消費は激しいと思ってた」
「どっちもどっちだね。〈力は満ちて〉は常時、魔力を消費してるから。効力を高めることで、さらに消費するんだ」
なるほど。家電製品の待機電力のようなものか。家電といえば、ああー、パソコンいじりたいな。あまたの流行に乗り遅れちゃったよ。
「ということは、〈力は満ちて〉のほうが、最大量が多いってことだね」
「そゆこと」
ここでまたひとつ、疑問が出てくる。それは千紗のふたつの術式のうち、〈力は満ちて〉の触媒はいったい何かということだ。何を触媒にして、何に魔力を充填するのだろう。魔法による魔力付与とは違って、術式には触媒がいる。けれど、ぼくは千紗がそれらしいものを持っているの見たことがない。まさかグローブの石が、ふたつの術式の触媒になっているということはないだろう。
触媒、か。
千紗のそれを、ぼくは知らないままでいいのだろうか。
それを知らないといけない――ぼくはそう思うのだけど、実はそれはそこまで重要なものではないのかもしれない。
「で、そのキューブは全部でいくつある?」
「えっとね、これも高価なものだから、六つまでしか準備できなかったって」
値段は聞かないことにしよう。そうしよう。
「でも、聖と約束してるから、六つだけでも長持ちしそうだね」
「そうだといいけどね」
ずっとそれを続けていられるか――それははっきりと言って、できないと思う。魔はそんな生ぬるいやつらじゃないし、ぼくらは弱い。本来なら強いはずの千紗の力を制限するというのは、つまり、戦いを厳しくするということだ。
いくら魔力に頼らない戦い方を身つけるためとはいえ、自分たちが死んでしまっては元も子もない。そうならないうちに、千紗の制限を解放する必要がある。そうなった時、六つのキューブで大丈夫なのかという不安は常につきまとう。
「あ、そうだ。千紗はもしぼくに会わなかったら、あれからどこに行くつもりだったの?」
「え? 突然だね。そうだね、海を渡るつもりだったんだよ」
「そうなの?」
もしかしたら会わないまま、千紗は海を渡っていた可能性もあったのか。そう考えると、ぞっとしない。彼女がいなければ、ぼくはあの場で終わっていた。
思い出して、ぼくは少し身震いした。あの時ほど終わりを意識したことはない。今までも魔と戦ってきたけれど、どこかで〝勝利〟を見ていた。
数の暴力。
それは言葉よりも、想像するよりも――恐ろしいものだ。
強大な一体と、並みの大群。
それは、同等の強さを誇る。
「ま、あたしじゃなかったら、助けに入っても返り討ちかもね」
笑いながら冗談めかして言うが、しかし、それはどうしようもなく事実なのだろう。ぼくはそう思う。
「あんな目にはもう会いたくないよ」
「はは。でも、いずれゼノと戦うんだから、それは避けられないね」
「まだ考えたくもないよ」
ぼくはいずれ知ることになる。
ぼくは――
ぼくたちは――
何も知らなかったし、考えてもいなかった。