第五話『術式』
千紗は自分の部屋に戻り、またこの広い部屋にひとりになった。ふと思い立って〈揺光〉を磨いてみると、思ったよりも汚れていたことに気づいた。磨き終えた時に、あまりに綺麗になったものだから、それで驚いたほどだった。
「そういえば、最近刀身も見てなかったな……」
預かった最初の内は、〈揺光〉が綺麗で意味もなく刀身から抜いていた。いつ頃からかそれをしなくなって、〈揺光〉は単純に、戦うための道具となっていた。刀はもちろん戦うための道具なのだけど、刀身の血を拭き取る以外の手入れをほとんどやっていなかった。強度を増す魔力付与をしていなければ、今頃この刀がどうなっているかなんて、考えるだけでぞっとする。
「…………」
ため息をついて、〈揺光〉を鞘におさめた。
「本当は戦いが好きなのかねぇ」
そんなことは考えたこともないけれど。
「……ちょっと出るか」
部屋を出て、長い廊下を歩く。エレナさんと話そうかと思ったけれど、忙しいと言ったいたし、今日はやめておく。話す機会はまだあるだろう。聞きたいことはいっぱいあるけれど、時機というものもある。
部屋に案内されている途中で、町を見下ろせる場所があるとか言っていたような気がする。場所はうろ覚えで正直不安だけど、気分を入れ替えるために行ってみるとしよう。
「どうかなさいましたか?」
記憶を必死に手繰りながら歩いていると、さっきぼくを部屋まで案内してくれた女性に声をかけられた。中肉中背の背の低い女性で、柔和な表情が印象的だ。
「あ、えっと、外の空気を吸いに行こうかと」
「ああ、それならこちらへどうぞ。お買い物に行かれるわけではないのでしょう?」
「ええ」
女性はほほ笑んだ。
のんびりとしたペースで歩く女性のあとに続く。
「部屋は落ち着かれませんか?」
角をひとつ曲がったところで、女性が言った。
「そう……ですね。ちょっと豪華過ぎて。もっと質素な感じにしてると思ってました」
「ふふ。この大聖堂はですね、〈大導師〉の家だったのですよ」
「ここが、ですか?」
それはまた……。
「下はホールを改築したのです。家具なんかはほとんど元々あったものです」
「となると、財政で滅んだわけではないと」
資産がなくなって滅んだのなら、家具の類も売りに出されているはずだ。家具などを売らず、家を丸ごと売り出すことはしないだろう。
「そうなります。あとですね、きっとヒジリさんが思っているよりも最近の方ですよ」
「最近の?」
「ええ。〈大導師〉は生きている時から神格化されていましたから。私も何度かお会いしたことがあります」
となると、今から半世紀以内の人なのか。そう考えると、この神聖都市の歴史はそれほど古くないのか。神聖都市としての顔を持つようになってから、数十年程度――まだまだ新興の町だ。
「そうですね。ここがこのような宗教都市になる前は、魔法都市として名がしられていました。世界最高峰の魔法の町だったんです」
「でも魔法は個人固有のものなんですよね? 教わってできるようになる技術じゃない」
「その通りです。ですからここでは、魔具が盛んに作られました。〈風の通り道〉や〈邂逅〉、それから〈揺光〉が知られています。特に〈揺光〉は、魔法都市における刀剣の最高峰と言われています」
「〈揺光〉!」
「どうかしましたか? ああ、そういえばヒジリさんも剣士さんでしたね。とはいえ、私はあまり〈揺光〉については知らないのです。形状さえも。それは〈大導師〉と共に戦った剣士が使っていたとされているのですが、ある戦いを最後に所在不明でして」
所在不明?
どうして所在不明のはずの刀をローズさんが持っていた? この人の口ぶりだと、〈揺光〉は量産されていない。それどころか、それは一本しか存在していないはずだ。
ぼくは何かを忘れている。
何かを見落としている。
「〈揺光〉はこの世界の技術で作られていない――とまで言われています。魔力付与を抜きにしても」
この世界の技術じゃない?
それはぼくのような存在が――過去にもいた?
「その剣士の名前、わかりますか?」
「名前? えっと――たしか、サクラという名前だったと思いますよ。あ、ちなみにもうひとり共に戦った方がいらっしゃって、どんな方なのかは不明なのですが――噂ではエレナさまがそうなのではないかと言われています」
「エレナさんが?」
くっ、さっきから怒涛の真実が発覚しすぎて、頭がついていかない。考える時間をちょっとはぼくに与えてくれないか。
「エレナさまがこの町の指導者になったのは〈大導師〉が天に召されたあとのことです。〈大導師〉にこの町を任された――と、そう仰いまして」
「みんなが、それを信じた――わけではないでしょ?」
「もちろん。ですが結局、誰もが頭を欲していた――そういうことなのでしょうね」
頭を欲していた。
圧倒的な存在感――それはカリスマと言って差し支えないものを放っていた〈大導師〉の死後、リーダーシップを発揮する人物が必要だった。そこに現れたエレナさんは、まさに望まれた存在だったのだろう。
「エレナさまはその後、住人たちの混乱を収めるために、ここを大聖堂としたのです」
混乱を収めるために、救いを与えるために宗教を作り上げた――そういうことなのか。別に、それ自体は珍しい話じゃない。
「エレナさんが見た目通りの年齢なら、本当に手が負えないですね」
「あの人は見た目通りの年齢じゃありませんよ。〈大導師〉が召されたのが十八年前ですから」
十八年前――ぼくが生まれる二年前か。
「魔法都市という側面を持ちつつ、この町は神聖都市としての顔を持つようになりました。今ではそちらのほうがメインになっています」
「魔法都市としての働きは弱まった」
「いえ、そういうわけでは。むしろ、術式という新しい技術が生まれました。これもエレナさまの功績です。元々あった魔力付与の魔法を応用して、術式が生まれました。術式の登場によって、魔具も飛躍的に進化しました」
女の人は立ち止まって、窓から町を見下ろした。ずいぶん高いところまで登ってきたようだ。
「〝邂逅〟のような魔具は元々ありましたが、それとは別に戦闘に用いる性能を持った魔具が現れました」
「その魔具を用いたものが、術式」
「そういうことです」
女の人はまた歩き出した。
「術式はまだ一般に普及した技術ではありません。リスクもまだまだ未知数な部分があります。ですから、もっと詳しいことがお聞きになりたいなら、エレナさまに聞いてみるといいかもしれません」
「ちょっと待ってください」
聞き捨てにならないフレーズがあった。
「一般に普及されていない技術って言いました? しかもリスクすらまだ把握しきれていないって」
「は、はい。それがなにか?」
「千紗は術式を使っていますよ? 両手のグローブは術式を使うためのアイテムですし、それに――全身に術式が施されているって」
ぼくたちがともに旅をすると決めた日――千紗は確かにそう言っていた。
「…………」
答えない。
さっきまで柔和だった表情が、見る間に苦々しいそれに変わっていく。ただその表情は、ぼくに隠していたのがばれたことへの焦りというよりも、申し訳なさそうな表情だった。
「実験なんです」
実験?
「術式の性能を測るための実験なんです」
「実験だって? 危険すぎる!」
「チサさんは――チサさんは、自ら志願して術式を使っているんです」