第二話『無知は罪』
「それで……」
千紗について歩いて、もう結構な時間が経つ。それなのに、ぼくらはエレナという人物がいる場所に、一向にたどりつくことができないでいる。ぼくはもう何回か同じような店を見ているし、同じような通りを歩いている。千紗は最初のような楽しげな笑みではなく、なんとなく焦っているような笑みを浮かべている。
「ぼくらはいつになったらエレナさんに会えるんだ?」
「も、もう少しだよ。あはは」
へたくそな口笛を吹いて、千紗はとぼけるようにそっぽを向いた。
「迷ったんだろ?」
「ま、迷ってなんかないさ。あたしは元々ここに召喚されたんだよ? 冗談は休み休み言ってよ」
早口だった。
信用ならない――というか、誤魔化しているのが丸わかりだ。嘘がへたというよりは、嘘がつけない性質らしい。
「その角――さっきも曲がったぜ?」
びくっ、と千紗は急停止し、乾いた声で笑った。そして回れ右をして、ぼくの横を通り抜けた。
ぼくは黙ってそれの後に続く。今度は初めての道を歩いた。この通りには怪しげな看板が並んでいた。
『魔導書専門店』
『肉離れ宝石』
『回るサラダ』
まだ『魔導書専門店』はどういう店なのかは想像できるけれど、あとの『肉離れ宝石』とか『回るサラダ』とか、ネーミングセンスを疑う看板がずらりと並んでいる。なんとも言えない空間を、千紗はそれでも懐かしそうに眺めている。というかなんだよ、『肉離れ』宝石って。
「この辺にーっと……あった!」
ととと、と、千紗は立ち並ぶ怪しい店のひとつを叩いた。看板には『炸裂する子たち』と書いていた。意味がわからない。
ドアが軋む音がして、中からひとりの老人が姿を現した。
「おやぁ……お前はチサだ」
しわがれた声で、けれども親しげに千紗を呼んだ。怪しげな店の怪しげな老人だが、千紗とは顔見知りの間柄のようだ。
「久しぶりっす」
千紗も気さくに返す。老人はうなずくと、ぼくに視線を移した。不思議そうにぼくを見つめ、
「お前は……初対面かな?」
と、昔を思い出すような遠い目で言った。
「はい。ヒジリと言います」
「ふむぅ。なんだ? 今度はお前が魔力付与を受けるのか?」
値踏みするような目でぼくを見る。
「え?」
「違うっすよ。ちょっと聞きたいことがあるんす」
「聞きたいこと?」
はて、と老人は首をかしげた。千紗は構わずに続ける。
「久しぶりにここに来たんで、道に迷ったんすよ」やっぱり迷っていやがった。そうならそうと言えばいいのに。「大聖堂までの道、教えてもらえないっすか?」
言うと、老人はかすかに笑った。それは自分の孫を見ているような表情だった。
「待っていなさい」
そう言って、老人は店の中に消えた。
「あの人は?」
「えっと、あたしにこのグローブをくれて、魔力付与をした人。ロックさん」
中から老人――ロックさんが出てきた。手にはサッカーボールくらいの大きさの赤い球体を持っている。
「これが先導して飛んでいくから、ついていくといい」
千紗は手渡された球体をしげしげと見つめ、「ありがとう」と頭を下げた。ロックさんは満足そうに笑った。
「用が終わったら、ふたりともここに来なさい。調整をしてやろう」
ロックさんは屋内に入ってドアを閉めた。
「ふぅ。それじゃあ、行きますか」
千紗が球体を両手で頭上に掲げる。
「どうするの?」
「こうするの」
千紗は頭上に掲げた赤い球体を、そっと上に投げた。いや、投げたというよりは、そこに置いたような感じだ。
「〝エルナード大聖堂〟」
落下すると思われた球体は、しかし、その場でふよふよと滞空した――かと思うと、今度はすごい勢いで横回転を始めた。ナウ・ローディングってか? 球体は回転速度を落とすと、そのままゆったりとしたペースで移動を開始した。
「ついていくよ」
「あ、ああ」
球体は一定のペースで道を移動し、時折その動きを止めては、ぼくたちがはぐれないように待っていた。人通りの多い道では、その動作で何度か助けられた。
「あの球体は〈風の通り道〉っていうアイテムなんだ」
「〈風の通り道〉? なんだか不似合いにしゃれた名前だね」
「まあ、用途としては適切なネーミングなんじゃないかな? 元々は洞窟なんかで迷った時に使うアイテムらしいから」
「ていうことは、目的地を指定しなくてもある程度は案内ができるってこと?」
「正確には条件を設定して、それで案内をするらしいよ。あたしも使うのは初めてだから、よくわかんない」
カーナビ、みたいな物なのだろうか。それともネットの検索エンジンか? 条件を設定するなら、検索エンジンのほうが近いかもしれない。それにしても〈風の通り道〉とは便利なアイテムだな。ぜひともひとつ欲しい。
〈風の通り道〉がまた止まる。
「今、これが欲しいとか思った?」
「思った。めちゃくちゃ便利だよね」
「やめておいたほうがいいよ」
千紗は苦笑いをしながら言った。
球体がまた動き出す。
「どうして? 旅が少しは楽になると思うよ?」
少なくとも今回みたいに道に迷うことはないし、新しい町でも条件設定次第では新しい発見もあるかもしれない。持っていて損があるとは思えない。
けれど、千紗は苦笑いのまま〈風の通り道〉を指差した。
「あれさ、めちゃくちゃ高価なアイテムなんだ。聖が持ってる〈邂逅〉も高価だけど、〈風の通り道〉はそれよりも高いんだよね」
え? 〈邂逅〉って高価なアイテムだったの? うわー、知らなかった。
「い、いくらくらいするの?」
聞くと、千紗はリュックのサイドポケットに手を突っ込んで、中から例の手帳を取り出した。ぱらぱらと目的のページを探す。
「えっとね、〈風の通り道〉ひとつで……銀貨七百枚だね」
「な、なな――ひゃく?」
七百枚?
魔を一体狩っても銀貨十枚くらいにしかならないのに? え? あのアイテムは魔七十体分の価値?
「だからあ、その魔を一体倒して十枚ってのはぼったくられてたんだって。船の運賃だって全然違ったでしょ?」
そうだった。あの時から、たとえ騎士団でも無条件に信用するのはやめよう――と、心に刻んだのだった。奇しくも――あの男の言った通りになったわけだ。
「ち、ちなみに〈邂逅〉はいくらくらい?」
「え? それ、自分で作ってもらったんじゃないの?」
「まさか」
そもそも、存在自体知らなかったのだ。さすがにエヤスさんも、そこまでは教えてくれなかったし。そういえば――あれ? ぼくはエヤスさんから何を教わったんだっけ? 今更だけど、あの人に教わったから助かったっていう経験は一度もないぞ? 文字の翻訳表も今はないし……。
おっかしいなぁ。
「〈邂逅〉はねぇ……銀貨百二十枚と銅貨がいるみたい。貨幣価値は流動的らしいから、参考程度に聞いておいてね」
高い……!
リヴィルで安くして宿に泊めてらった時は、銀貨一枚か二枚くらいしか払っていない気がする。もしかしたらもっと少なかったかもしれない。
ササ村でローズさんが大切そうに抱きかかえたのも、今になって思えばさらに重いなぁ。こんな高価なもの――壊れたからと言っておいそれと作り直せない。個人でその声を聞くことはできても、みんなで聞くことはできなくなる。みんなの声を送れなくなる。
「し、知らないって罪だね」
「はは。あたしだって最初に猛勉強させられたからね。それに、知らないことは知っていけばいいだけの話だよ」
知ればいいだけの話――か。
知るな――と言われたぼくは、どうすればいいんだろうね。
行き当たりばったりで行けと言われたぼくは、どうしたらいいんだろう。
ここまで、屁理屈。
「頼りにさせてもらうよ、千紗」
皮肉でもなんでもなく、本心からそう言った。
「頼りにしてください」
笑い合い、また〈風の通り道〉の後について行く。ぼくたちの前方、いくつかのブロックの向こうに大きな屋根が見えた。
「あ、あれがエルナード大聖堂。この町の中心にして、この町の中枢だよ」




