第二十五話『ひとりでは立てなくても』
弱さを知らない存在というのは、一体どんな存在なのだろう。ぼくが思うに、弱さを知らない存在がもしいたとするならば、それはどうしようもなく強大で、どうしようもなく最上位で、どうしようもなく完璧で、どうしようもなく終わりがなく、どうしようもなく欠陥がなく、どうしようもなく完成している――わけではない。弱さを知らないということはすなわち、未完成であることの証左だ。最終であることの証明だ。将来がないということが明白だ。
たとえば、ぼくのとなりで寝息を立てている世界最強の彼女――千紗。彼女はこの世界の人間としては、最も弱さを知らない存在に近い。けれど、決して知らないわけではない。彼女がこの世界で勇者と生きるまでの過程では、少なくない敗北を喫し、少なくない挫折を味わってきたはずだ。
たとえば、世界最弱のぼく。ぼくはこの世界にやってきてからが、敗北と挫折の連続だった。本当の意味で勝ったことなんて一度もない。運が絡んで勝った――外からの力によって勝った――偶然が偶然を呼び、偶然のように勝利してきたし、だからといって、ぼくがそのままの意味で最弱か――そう問われれば、それは否、と答えるしかない。
ぼくたちは今日を生き抜く戦いを繰り広げ、明日を救う旅をしている。明日を救うためには今日を生きなければいけない。そのためには成長をしなければいけない。弱さを知らないということは、それができない。弱さは成長をするための伸び代だ。自分の弱さを認識し、現実でそれを自覚し、繰り返していくうちに理解をして、それを補うことで成長する。
弱さを知らないと――それができない。故に、最終。
最終のステージに立った存在は、それゆえに先がない。終わることしかできない。歩みを進めることができない。弱さを知らないとは――つまりそういうことだ。最も完成に近いステージに立つ最終の存在は、しかして、完成への道を歩めない。進化を完了することができない。
そういう意味では、やはり千紗は最終に近い存在なのだろう。この世界に来てから無敗であると言うし、体に負担をかけている術式も力の対価と考えれば、それほど大きな枷ではない。当たり前のように生じる現象で――エネルギーが正常に循環しているということでしかない。そしてそれは同時に、彼女の先のなさを露呈してしまっている。
だからこそ、彼女には力を制限してもらう必要がある。
最強の――最終の座を降りてもらう必要がある。
彼女が彼女として――世界最強の勇者としての真価を発揮するために、彼女には一度最強をやめてもらった。
千紗にとってそれが苦行であることは、ぼくは考えるまでもなくわかっているし、自分たちを不利な状況に追いやっていることも理解している。それでも――それでも彼女にはそうしてもらわなければいけない。この世界において成長をしてもらうためには、その行程は必須だ。最弱のぼくは最強で最終の彼女を、完成まで押し上げなければいけない。勝ち負けなど問題にならない存在まで、彼女の存在をレベルアップさせなければいけない。
それこそが、最弱のぼくの役目だ。
ぼくの役目は魔の長を狩ること。
そして、彼女の成長を促すことだ。
ぼくが戦いたくなくてそういうことをしているのではなく、今までの戦績から見て、ぼくがまともに魔の長と戦った時、ぼくが勝つ確率が限りなくゼロに近いからだ。最強で最終の彼女なら、もしかしたら善戦できるかもしれないが、それではいけない。勝ちも負けも、そもそも戦いの結果すら無価値にするほどの存在――それになってもらわないといけない。
しかしぼく――勘違いするな。彼女は戦いのための道具ではない。ひとりの戦士であり、ひとりの旅人であり、ひとりの人間であり、ひとりの女の子であり、ひとりの友達だ。彼女を代替可能な存在だと勘違いしてはいけない。彼女はたったひとりで、取り換えなど不可能だ。
今日のスダンでの一件は、ぼくと千紗の弱さゆえに引き起こされたことではあったけれど、それだけで彼女が最終の座から降りることはない。精神面と肉体面の弱さを知って、初めてレベルダウンが果たされる。
「……、いい加減にしろよ。ぼく」
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
自分が考えていることが、自分の理解を超えている。
ゲーム感覚になっているような、そんな錯覚。いや、錯覚ではないのかもしれない。ぼくはいつの間にか、この現実をゲームのように捉えていたのかもしれない。究極的には自分に関係のない世界なのだから――と、この世界を軽視していたのかもしれない。この世界に住む人々を軽んじていたのかもしれない。
頭元に置いた〈邂逅〉に手を伸ばす。
名も知らない彼女なら、今のぼくを見て何と言うだろうか。
わからない。
ぼくは彼女が言いそうなことを予想できるほど、彼女と親しい間柄ではない。それほどの付き合いがない。そうだ、たとえばぼくがもし死んでしまったら、彼女はぼくのために泣いてくれるだろうか。それとも我関せず、と無視を決め込んでしまうのだろうか。ぼくとは一体どういう存在なのだろう。
――ぼくは、世界最弱の希望。
違う。
そんなことじゃない。そんなことは――本当にどうでもいいことだ。馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
違う。
そうじゃない。
ぼくは意味がある存在なのか――だ。
ぼくに意味はあるのだろうか。魔の長を狩るこの旅は、人間にとっては意味があるのかもしれないけれど、本当の意味で――意味はあるのだろうか。
駄目だ。自分でもわけがわからなくなってきた。考えが空転している。取り留めのない考えが――考えと言えないほどにばらばらなカケラが、ぼくの頭の中を走り回っている。くそっ! 落ち着け。もっと冷静になれ。
「……くそっ!」
赤い部屋が――真っ赤に濡れた部屋が頭に浮かぶ。
違う。
こんなことを思い出したいんじゃない。違う。冷静になれ。ぼくにはもっと考えないといけないことがある。今日のことは千紗とちゃんと話をしたじゃないか。今日のことは誰も悪くない。ぼくも千紗も、少年もファランも、ファランの手下たちも――誰も、誰も悪くない。
悪くない?
本当に?
本当に悪くないのか?
悪くない。
悪くない。
そうぼくたちは結論を出したじゃないか。後ろを振り返るのは構わない。けれど、後悔には全く意味はない。意味はないんだ。
だから――
だから、もう考えるのはやめろ。無意味な後悔をするな。
「ひじり? だいじょうぶ?」
声がした。
声がしたほうを見ると、千紗が寝ぼけ眼で、けれども心配そうな顔でぼくを見ていた。
「眠れないの? あたしが一緒に寝てあげようか?」
「大丈夫さ。年下の子と一緒に寝ないといけないほど、ぼくは繊細じゃないよ」
けれど、千紗はのそのそと立ち上がり、ぼくのベッドまで歩いてきた。
「千紗?」
そして千紗は全く迷うような仕草も見せず、それが当たり前であるかのように、ぼくのとなりで横になった。眠たそうな顔だけど、その目はぼくをまっすぐ見ている。
「嘘は言わなくてもいいんだよ? 聖、今にも泣きそうな顔してるよ」
それは――本当に優しい声だった。
「そんなの……気のせいだ」
気のせいだ。
「ひとりでは立てなくてもさ、ふたりでなら――きっと立てるよね」
ぼくは千紗を追い出すことはしなかったし、千紗のベッドに移ることもしなかった。シングルのベッドでふたり。かなり狭いけれど、今はその狭さすら心地よかった。
まるで夜の気配を恐れる小さな姉弟のように、お互いの体を寄せ合って。
抱き合うように――ぼくらは夜を過ごした。
〈分割するリンネ〉――討伐完了
〈吹き荒ぶブリューナ〉――討伐完了
〈■■■■■■■■〉――戦闘失敗
〈粉砕するイーザ〉――討伐完了
〈燃え盛るフィオ〉――討伐完了
〈団結するココ〉――一団撃破
【第二章 もうひとりの勇者】了
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