第二十二話『人との対峙』
不衛生極まりない路地を歩いていると、T字路で妙に疲労した千紗と合流した。
「疲れてるみたいだね」
「まあね。体力は並々だからさ」
並々、ねぇ。ぼくを抱えてあの走りを見せた千紗とは思えない言葉だな。とはいえ、途中でバテて潰れないのなら構わないけど。
「で、聖。あの刀は?」
「盗られた。これから取り返しに行くんだ」
「ふぅん?」
千紗はびくびくと体を縮めている男に視線を移した。
「で、この男に案内させてるわけだね?」
「ああ。もう不覚はとらないさ」
「ああ、聖はアレにつかまっちゃったんだね」
「千紗には通じなかったみたいだね?」
「もちろん。気配で一発さ」
「スポーツ選手ってのはみんなそうなのかい?」
「あたしでそうなんだから、少なくても中学生以上はみんなそうなんじゃない?」
なるほど。これからはスポーツ選手には悪いことはできないな。後ろをとっても、不意を打とうとしても気配でばれてしまう。
男に先導させて道を進んでいくと、この薄汚い路地の中では比較的きれいな建物があった。男に確認するまでもなく、あの建物がファランの根城であろうことはわかる。
「あの建物がファランさんの家です」
「わかってる。お前はここにいろ。帰り道も案内させる」
「……へ、へい」
「へい」なんて言っているがまあ、こいつは逃げるだろうな。
「それじゃあ千紗、行こうか」
「う、うん」
木のドアを開く。中は思ったよりも整頓されていて、こういう目的できていなければふつうの家庭に見えただろう。
「なんか意外だね」
家の中を見渡して、千紗が言った。
「そうだね」
見たところ、〈揺光〉も〈邂逅〉も見当たらない。どこにある?
「千紗はもう少しここを見ていて。ぼくは向こうの部屋に行ってみる」
この階にはあとドアがふたつと階段がある。ぼくはその内の右手側のドアを開けた。その部屋にはベッドが並んでいた。あまり広くない部屋に、歩くところもそこそこにベッドが並んでいる。ざっと見ただけでも六つ。しかも二段ベッドだ。においもひどく、かなり汗臭い。
人ひとりがやっと歩けるほどのスペースしかなく、しかも歩ける場所も限られているため、この部屋の探索はそうそうに打ち切った。もちろんそれらしいものは見つからなかった。
元の部屋に戻ると千紗がタンスの中を物色していた。ゲームの勇者ならよくやっていることだけど、実際に見てみるとこれはひく。元の世界に戻っても、タンスは物色しないようにしよう。
気を取り直して左手のドアへ。
「あ、そっちはもう見たよ」
ドアノブに手をかけたところで、タンスから顔を出した千紗がぼくを呼びとめた。
「どうだった?」
「まあ、言わずもがな、だよ。たぶんそっちの部屋も同じだったんじゃない? 二段ベッドが並んでたよ」
少しだけ開けて中をのぞくと、二段ベッドがいくつも並んでいた。
「ファランはここの連中をここで寝泊まりさせてたのかもしれないね」
「そうだね。ふぅ、じゃあ二階に行こうか」
ギシ、ギシ、一段上がるたびに音が鳴る。築何年だろうかと思ったが、あまりにもどうでも良いことだと気づいて考えるのをやめた。
階段を上りきると、すぐ右にドアがひとつあり、少し進んだ左手にドアがあった。それから左手にまだ通路があり、そちらを進めばドアがある。
「ここから行くか」
右手のドアを開ける。
「いらっしゃい」
そこは、正解のドアだった。
「ファラン」
「ファランさま、だろ?」
ファランの傍らには、恐怖からか体を丸めた少年がいた。
「その子が何をしたっていうんだ? あと、ぼくの刀と〈邂逅〉を返してほしい」
「お前らぁ、このガキのぉ何だっていうんだ? 兄弟か? 家族か? ふん。違うだろぉ? そっちの女にはぁ見覚えがある。最近やってきたぁよそ者だ。男にはぁ見覚えがぁない。よそ者だろう? お前らがこのガキにぃなんの関わりがあるぅ? それともぉ何かぁ? お前らぁ、このガキのしたことぉ清算してくれるってのか? それからぁ、〈邂逅〉は俺には不要だからぁ返してやるがぁ、剣はぁそうだな……俺がぁもらいうけよう」
ファランはどこからともなく〈邂逅〉を取り出すと、床で転がしてぼくによこした。ご丁寧に、腰につるしていた時に使っていたものも投げ渡された。
さらにファランは、黒い鞘の刀を取り出した。やはりどこから取り出したのか、どこに置く場所があったのかは分からない。ちらちらと白い模様が鞘から浮き出るそれは、柄も鍔も、黒い。
黒い刀。
「これはぁ良い剣だぁ。俺が使うことこそぉこの剣が望むことぉ」
ファランが手に持つそれは、間違いなく〈揺光〉だった。
「それを……それをぼくに返せっ!」
「断るぅ」ファランは〈揺光〉を眺めながら言う。「で、だぁ。このガキはぁ、俺らを突然襲いやがったんだぁ。後ろからナイフでなぁ」
「その子が……ナイフで?」
にわかには信じられない話だった。見たところ、少年は小学生くらいに見える。みずぼらしい格好をしていて、服も体もよごれている。手足は縄で縛られている。
「ああそうさぁ。おかげでよぉ、俺ぁ死にかけたんだ。本来ならぁこのガキも殺してぇやるところだがぁ、まだ殺さずにいるんだぁ。それだけでずいぶんとぉ良心的じゃぁないか?」
「それはアンタの慢心からくる余裕ってやつじゃない? あたしにはそうにしか見えないよ」
千紗は呆れた表情で言う。
「慢心、だとぉ?」
ファランはいらつきを隠さない。
「うん。だってさ、手元に刀も男の子もいなくなってること、まだ気づいてないでしょ?」
「なっ――」
ぼくも気づかなかった。
千紗に言われて初めて、それらが千紗の手にあることに気づいた。
「お前、何をしたぁ?」
「はは。あたしがちょっと走って、とらせてもらっただけ……だよ」
「千紗? おいっ、大丈夫か?」
千紗のほうを見ると、千紗は玉の汗を流していた。今にも倒れてしまいそうなほど、千紗は疲弊しているように見える。千紗が差し出した〈揺光〉を受け取り、ベルトにさした。ひとまず、一応の目的はこれで果たしたことになる。
けれど。
これで解決、とはいかない。
「大丈夫。でも、戦うのはちょっと無理、かな」
「ならぼくがやろう。君はそこで見ててくれ。あとさ、それは大丈夫とは言わないよ」
「その女ぁ、かなり消耗してるみたいだなぁ? 悪いことぁ言わねぇからよぉ、そのガキこっちに寄こせやぁ」
ファランは立ち上がり手を自分の背に手を回すと、その手には赤く染められた波打つ大剣を持っていた。どこまでも中二病まっしぐらな男だ。
しかし、だ。数ある剣の中でも、あのフランベルジェほど凶悪な剣もなかなかないだろう。波打つ大剣は、無意味に波打っているわけではない。そこには人を確実に殺すための、人の知恵とは思いたくない知恵が詰め込まれている。
端的に言うと、あれに斬られると治癒に時間がかかるのだ。単純な刀剣の傷なら傷は直線的だけど、あれによる傷はかなりいびつなものとなる。肉はえぐられ、出血量も増える。あまりにぼろぼろになった個所は、通常のそれよりも治癒に時間がかかる。
「この子どもをどうするつもりだ?」
「お前らにはぁ関係のない話だぁ」
「そうかい」
黒い鞘から、純銀の刃を引き抜く。
「待て」
声がした。
「ちょっ、きみ、大丈夫なの?」
振り返ると、千紗の腕に抱かれた少年が目を開いていた。ぎらぎらと怒りに満ちた目が、ぼくを通り過ぎて、ファランへと向けられる。
「離せ! あいつは……あいつは僕が!」
少年は千紗の腕をふりほどいて、部屋の隅にある棚に駆けた。振りほどかれた千紗は、疲れがたまっていたのもあって、体勢を崩して床に倒れた。
少年は棚から木製のスプーンを取り出し、それをやや不満げに見ていたけれど、すぐに視線をファランに戻した。
「それで? どうするつもりだぁ?」
明らかに馬鹿にした、見下したファランの表情。
木製のスプーンを握る少年は、毅然として波打つ大剣を持つ男を睨む。
「魔力付与〝強くて悲しい嘘〟」