第二十話『餌』
「すこしバテてきたんじゃないか? ん? 動きも遅くなってきているぞ」
汗をかき、息を切らせながらもアルバは余裕のある表情で、地にひざをつく千紗をながめている。汗が地面に落ち、黒い染みをつくる。
「まだまだ。スポーツってのは、疲れ果てて足が動かなくなって、もうこれ以上は無理ってなってからが本番なのさ」
(とはいえ、それは〝体力〟が尽きた場合の話。〝魔力〟が足りないのはどうしようもないなぁ)
アルバとの戦闘は、千紗の予想よりも多くの魔力を消費してしまっていた。術式の仕様には魔力が必要となる。魔法でも魔力は必要だが、魔力が足りなくなっても精神的なものでカバーができるケースもある。しかし、術式はあくまでも技術でしかない。電池が切れたおもちゃが動かないように、魔力が尽きた術式は発動しない。戦闘の大部分を術式の性能でこなしてきた千紗にとって、魔力の枯渇は絶対にさけなければいけないことだ。
そのために千紗は不必要な争いは避け、魔を狩り術式の触媒に魔力を充填してきた。
「じゃあその根性、俺に見せてくれ」
アルバを包む風がより一層強くなる。
(……もう手心加えてる余裕はない。できるだけ早く決着をつけないと)
魔との戦いにおいて、常にトップギアで戦い続けてきたことを今になって後悔する。適度に魔力をセーブしておけば、こんなことにはならなかっただろう。グローブの方はまだ少し余裕があるが、〝体〟のほうはもうわずかしか残っていない。
「いてて……とんだ不意打ちを食らったものだ」
ふたりの戦いの衝撃で、道の端まで飛ばされていたオグが今になって起き上がった。さっきまで立っていた場所と違うことに戸惑いながらも、千紗とアルバを見て状況を理解する。
「ふぅん? へぇ……アルバ、やるじゃねぇか」
(――――っ! こんなときに!)
この状況で二対一は非常に状況が悪い。魔力量の関係から一対一でも状況は不利な今、開戦直後に一撃でのすことができたとはいえ、オグの参戦は無視できることではない。
千紗は目をすばやく動かして、周囲の状況を確認した。
あたりにはすでに人の姿はなく、物陰からこの町の自警組織が様子をうかがっている。千紗とその組織とはすでに面識があり、協力関係を築いた。おそらく千紗がこのふたりを始末するのを待っているのだろう。
この町最強の風使い。
この町最強の炎使い。
この肩書きが本当だとするならば、彼らが手を出そうとしないのもわからなくはない。状況は悪くないが、しかし、決して最悪な状況ではない。
否。
最悪な状況ではなくなった。
観衆の存在は、千紗にとって邪魔でしかなかった。その術式の特性から周囲に被害が及ぶとはあまり思えなかったが、どんなことがあるかもわからない。そういうことに神経を使う必要がなくなった。
「よし、今からあたしは漫画の主人公だ!」
どんな主人公もピンチに陥る。
勧善懲悪を主題に置いた物語でさえ、ヒーローは逆境に立たされる。しかし彼らはみなそれを乗り越える。乗り越えることが主人公である必須の条件なのだ。
「お前――なんだ! なんなんだそれは!」
アルバが叫ぶ。
今まで小さな光だった青が、突然両の拳からはじけた。なにか爆音でもするかのような、圧倒的な光の暴力がふたりの目を焼く。グローブに充填された魔力が、激流となって溢れ出す。
「おおおぉぉぉぉ!」
またたく間にアルバとの間合いを詰め、とん、とアルバの腹を小突く。続けざまに反対側まで駆け抜け、光に驚いて顔を手で覆っているオグの腹を小突いた。
たったそれだけ。
それだけのことで、ふたりは地に伏した。
風のヴェールで身を包んでいたアルバも、自分が小突かれたということを認識する間もなく。初めからこの出力でやっていれば良かった、とはさすがに思えなかった。あくまでも相手を殺さないように、周囲に被害を出さないようにするために出力を限界まで落としていたのだから。
とっておきは、最後までとっておくものだ。
「はあ……はあ……」
ふたりに触れる瞬間には、命を奪わないと思う限界まで出力を落とした。血を吐かせてしまったものの、ここまで戦ってこの程度の傷なら軽いものだろう。
千紗はそう結論付けて、物陰から様子をうかがう自警団に合図を送った。ぞろぞろと物陰から男たちが姿を現す。
「悪いけど、何か魔力を充填できるものはないかな? もうジリ貧なんだ」
若い男が駆けよってきて、千紗に短剣を手渡した。
「量は少ないですが、足しにはなると思います」
「ありがとう」
千紗は短剣を引き抜き、短剣に付与された魔力を抜きだした。目には見えないが、たしかに力の存在を感じ、千紗は小さく息をついた。全身が少し火照ってきている。全身に術式が施されている千紗は、その存在そのものが触媒と言って過言ではない。魔力を自身に充填すれば、その分エネルギーが発生する。
「チサさんはこれからどうするんです?」
「ちょっと相棒を探しに行ってくるよ」
若い男は短剣を千紗から受け取ると、優しく微笑んだ。
「そうですか、お気をつけて」
「うん」
千紗はうなずくと、休憩もそこそこに魔力を消費しないように気をつけながら通りを駆けた。
見当たらなかった人たちは、通りを抜けるとまばらに見えるようになった。さっきまで戦っていたあの通りは、今は通行が規制されているようだ。野次馬たちは離れたところから通りを覗きこんでは、不安そうな顔で近くにいる人と話をしている。
あの暗く細い路地の近くには、さすがに誰もいなかった。事の原因が彼らなのだから、それも当たり前のことではある。しかし、千紗はそう思うと同時に違和感のようなものを感じていた。
(見張りも何もいない? いた方が不自然だから? まさか聖が全部片付けちゃったかな)
何か変だとは思うが、きっと聖が片づけたのだろうと路地に踏み込む。道の脇に散乱したごみの悪臭と血のにおいが混じって、少し歩くだけで気分が悪くなりそうだ。暗いところにごみが散乱しているだけあって、視界も最高に悪い。ふつうなら絶対に近づかないような場所だ。
最初こそ一本道だったが、だんだんと別れ道が多くなってきた。適当に歩いていたのでは道に迷ってしまいそうだ。
「誰?」
きょろきょろしながら歩いていると、どこからか声が聞こえた。
「どこ?」
「あそこ」
今度は声の位置がわかり、右手の道を見た。そこには濁った目の女が立っていた。ぼさぼさの髪のせいで、顔の全体はつかめない。ギラギラとしつつも濁ったその目が、圧倒的な存在感を持っているにすぎない。
「ここにあたしよりちょっと背の小さい男が来なかったすか? きれいな剣を持ってるんすけど」
「この人の来たのが見た。ファランは所のいる」
(うわぁ……なんか、気持ち悪い)
今まで多くの人と会ってきて、元の世界でも大勢の人と会ってきたが、ここまで変な人には会ったことがなかった。ほとんどの人に対して「こういう人もいるよね」で済ませてしまう千紗には珍しく、かなり積極的な感想を持ってしまった。それほど、この女のキャラクターは強烈だ。
「今、ファランって言ったっすね? ちょっと案内してほしいんすけど」
断れることを前提に提案する。
「断る」
女も当然、首を横に振った。お互いに嘆息し、千紗は臨戦の構えをとった。それを見た女はおもむろに、足元に落ちていた木片を拾い上げた。建築に使われたものなのか、木片とは言ってもボロボロで脆いというような印象は受けない。けれど、戦闘に耐えうるようにも見えない。
頑丈でも廃材である。
それなのに女はなぜか、その木片を長年愛用してきた武器のように構えた。壊れる心配などしていないような、余裕のある表情だ。
「あたしが勝ったら、案内してもらうっすよ」
「約束がしよう」
千紗が拳を突き出す。拳が当たるはずもない距離だが、拳から放たれた青い閃光が女の持っていた木片を砕く。
「――――っ」
持っていたはずの木片が消え、女はすぐに別の得物を拾おうと道の脇に走る。
「ひっ」
突然、女の目の前を青が走った。そこに落ちていたごみが、存在が消されたかのように消失する。振り返って反対側のごみを確認したが、結果は同じだった。
「ずるいじゃない。自分だけ武器を使うなんて」
「戦いに勝つため、だよ」
「勝つためなら何だってするっていうの?」
「あたしはそんなひきょう者じゃないよ。戦いに勝つためには、自分の勝利条件を満たすか、相手の敗北条件を満たす、もしくは自分の敗北条件をなくすか、相手の勝利条件をなくしてしまえばいいんだ」
畢竟、戦いは四つの条件によって集結する。
「で? 今回はどれなの?」
「あんたは開戦直後にごみを武器として拾い上げた。それはつまり武器が必要だってことで、それがあんたの勝利条件。だからあたしはそれを奪った」
武器が必要な者は、武器がないと勝つことが困難になる。五分だったものが六対四になれば、それだけで圧倒的な有利となる。
「いいわ。負けを認めましょう。ついてきなさい?」
くるり、と千紗に背を向けて、女は歩き出した。千紗はあっけにとられたが、すぐに女のあとを追った。