第十八話『戦いという名のスポーツ』
大通りの真ん中でにらみ合うぼくらの様子を、そこに居合わせた人たちが恐る恐るうかがっている。
「まずは俺から行こうか」
「行こうか」
オグが前に出てくる。ゆらゆらと彼の周りの景色がゆがみ、突如としてそこに炎が姿を現した。
「お、おい!」
馬鹿か! こんなところでそんな物を出すな!
「怖気づいた――ぐふっ!」
気づけば。
オグの体は宙高く待っていた。体に纏っていた炎はいつの間に消滅し、綺麗な放物線を描いて地面にたたきつけられた。
「しゅっ、しゅっ! はい、次はアンタだ、おデブちん」
さっきまでオグが立っていた場所に、千紗が立っていた。千紗はシャドウボクシングをしながらアルバを挑発する。
「それとも――おデブちんにはハードな運動かな?」
飛ばされたオグを呆けて見ていたアルバは、千紗の挑発に体を小刻みに震わせた。
「俺を……俺をデブと呼ぶなぁ! デブはデブでも――俺は動けるデブだ!」
これがヤ○チャ視点、というやつなのだろう。ぼくがまばたきをした次の瞬間には、アルバと千紗の立ち位置が逆転していた。ぼくと千紗に挟まれる位置にアルバが立っている。さすがの千紗もこれには驚いたらしく、驚きの表情をしたためていた。
こりゃあ、ぼくは参戦できないな。ここは最強に任せておくことにしよう。幸いアルバは千紗に集中しているし、ぼくがここからいなくなってもバレやしないだろう。千紗にジェスチャーでサインを送り(きっと理解してくれたはずだ)、ぼくは痛々しいキャラクター性を持つ男を追いかけた。
あいつが向かっている場所は、あそこしかない。
「俺の速さについてきたのは、お前が初めてだ」
「あたしの速さについてきたのも、アンタが初めてだよ」
(あの速さの種は風に違いない。でも、あたしは自分が走る時の抵抗しか感じなかった)
千紗はグローブの触媒の術式を起動し、出力を最小まで落とした。相手は魔ではない。なにも殺す必要はないのだ。
アルバの足元ではゴミやほこりが、彼を守るように飛びまわっている。本来不可視であるはずの風を、千紗はそれによって認識する。
「最強の風使いと言うわりには、地味な使い方をするんだね」
「こんなの基礎にすぎない。この風を使ってお前を分割することだってできるぞ」
(危険だね。あんまり長引かせてもいられない、か)
お互いが瞬間移動ともとれるほどの速力を持っている。どちらかが動けば、一気にこの戦いが動くことは目に見ている。しかしそれだけに、お互いが動けずにいた。
身が焼けるような緊張感が場を支配する。本来一目散に逃げるはずの一般人も、この雰囲気にのまれて動けなくなっていた。オグを囲む風が変わった。さっきまで音もなく動き回っていたそれは、突如として低いうなりをあげ始めた。それに応えるように、千紗の手の甲で青い光が弾ける。
「初めて見る魔具だな。一体何の魔法だ? お前は俺の魔法の属性を知ってるんだ。それくらい教えてくれるのが公平ってやつだろう?」
(こいつ、相方がいなかったら雰囲気が全然違う)
「属性、ね。あたしは知らないよ。これなんか光みたいだし、光属性? もらい物だからさ、わかんない」
「よくもまあそれで世界最強と言えるな」
「まあね。あとさ、これは魔法じゃないんだよ。術式っていうんだ」
「術式?」
「無知は学ばなくちゃね、その身をもって」
先に動いたのは千紗だった。うなる風の中を駆け抜け、アルバの懐にもぐる。
「――――っ!」
驚愕の表情を見せるアルバの腹を、その右で打ち抜いた。
そのはずだった。
千紗の右はその手ごたえを感じないままに振りぬかれ、アルバは数メートルうしろで余裕の受け身をとった。
「ちょっとしびれたが、その程度だな」
「どういうカラクリなのかな? あたしはちゃんと振りぬいたはずなんだ」
(でも、聞かないなら殴り続けるまで!)
千紗は術式の出力を上げた。拳から放たれる青い光が、その勢いを増している。それを見てアルバも風を強めた。さっきまでのように自分の周りだけに吹かすのではなく、さらに広い範囲に風を吹かせている。アルバが吹かせる風で、千紗の短い髪が揺れる。
動いたのはアルバだった。風を切る鋭い音と共に、アルバの姿が見えなくなる。それに気づいた瞬間に、千紗はステップをしてその場から移動した。低い音がして、さっきまで千紗が立っていた場所の地面がめくれた。アルバは常に移動をしているのか、その姿を確認する事はできない。めくれ上がった石畳が、千紗に飛びかかる。
(こんな物――っ)
避けようとして、一瞬ためらった。どういうわけか、一般人は避難をしていない。呆然とした表情でこの戦いを見ている。後ろにも人がいて、千紗がよけてしまうとうしろの誰かに当たってしまう。
思考を切り替え、飛来する石を殴りつけた。閃光と共に石は砕け、ちりとなって落ちた。そして、千紗の横腹に重たい衝撃が襲った。千紗の体が吹き飛ばされ、地面を無様に転がる。
「もうちょっと太ったらいいんじゃないか? そうしたらそんなに吹っ飛ばないぞ?」
「ふん。あたしはセンターやフォワードじゃなくて、ポイントガードなんだ。力よりも技巧なんだよ!」
「言ってる意味がよくわからんな」
(落ち着け。相手をよく見ればいいんだ。相手の体の中心と重心を)
人間が行動をする時、そこには必ず予備動作が必要となる。腕を動かしたり、指を動かしたりする程度ならそうでもないが、走ったり飛んだりという動作には必ずある。一見、それがないように見えることがあるが、それはその予備動作を極限まで小さく短く行っているに過ぎない。もしくは、予備動作をあらかじめ終了させているか。
(右!)
アルバの体が消える。千紗はそれと同時に体を右に向け、全力でストレートを放つ。たしかな手ごたえと共に、閃光が突き抜けた。
「げほっ! ごほっ!」
数メートル離れたところにアルバが立っている。拳が触れた腹のあたりの服は完全に焦げてしまっている。穴から覗く清潔感に欠けた腹は、赤く腫れている。
(どうしてその程度の損傷なんだ)
術式の出力を下げているとはいえ、生身で食らえば相当のダメージを負っているはずだ。にもかかわらず、アルバはせき込んではいるものの自分の力で立っている。
「よく反応したな、俺の動きに」
「アンタの体の中心と重心が左に傾いたからね。注意するべきは右側とうしろだった。それからその風の音で、右から来ていることに確信を持ったよ」
手、足、目、時には全身を使ったフェイクの応酬を繰り広げるバスケットのプレイヤーである千紗には、速いだけで正直な動きをするアルバの動きは、目で見る前から予測ができた。
「怖いよ? 正面から直進してきたと思ったら、突然自分の横に立ってたりするんだからね」
「だから、一体何の話だ?」
「あたしが愛してやまないスポーツの話だよ。そんなことよりさ、手ごたえはあったんだよ。どうして平気そうに立ってるわけ?」
千紗は手を抜かない。
それはスポーツマンシップに則った、彼女の矜持だ。どんな相手でも全力でぶつかる。殺さないように術式の出力を落としているが、あくまで殺さないようにするためだ。決してアルバを見くびって出力を落としているわけではない。それなのに、アルバはひざを折らない。
「さあ、ね。目に見えない何かに邪魔されたんじゃない?」
「風、か。便利な魔法だね」
「全くだ。ガキの頃はバカな使い方しかしてなかったがな。……思えば、あの時の使い方は宝の持ち腐れだったな」
「どういう使い方をしてたんだい?」
「なに、思春期に入る前の男が考えることなんて、ひとつしかないさ」
「……そのまま成長してたら良かったのにね、どうしてこうなっちゃったんだか」
「知らねぇよ。もう良いだろう? 再開しようか」
「傷はもう大丈夫?」
「治るのを待っていたのか?」
「それがスポーツマンシップってやつなのさ」