第十五話『港の夜、観光の朝』
「わかった。だったら案内するよ」
「ありがとう」
「海路と陸路、どっちがいい?」
「陸路は時間がかかり過ぎるから、多少危険でも海路から行こう」
リヴィルで見た地図には、今ぼくたちがいる大陸以外にも、いくつかの大陸があった。もしそちらに移動しなければいけないというなら、今体験しておくのも良いことだろう。
「陸路はあたしがおぶってもいいよ?」
「それは遠慮しておくよ」
カッコなんて言わなくてもいいのだろうけれど、さすがにもう傷もそれほどひどくないのにおぶってもらうのは後ろめたい。というか恥ずかしい。どんな顔をして背中におぶさっていればいいんだ? ぼくは女の子の背中で平然としておぶさっている、なんてそんな高等な能力は持っていないぞ。
「あははっ! よかった。さすがにあたしでもそれは疲れるよ」
「ギャグが高度すぎて本気かと思ったよ」
「まさか。あたしだって聖をおぶって走るのは恥ずかしいよ」
そりゃそうだ。
「神聖都市に行く前にさ、もう少しその術式について教えてくれないかな。魔法とは別物なんだろ?」
「うん、ちょっと待ってね」
そう言って千紗は手帳を取り出した。女の子っぽい手帳ではなく、合成革で装丁された渋い手帳だった。
「それはあっちから持ってきたの?」
「うん。カッコいいでしょ」
どうやら言動によらず渋い趣味を持っているようだ。手帳を広げ、その中からメモをぼくに示した。そこには少し丸い文字で、次のように書いていた。
一、触媒に充填された魔力が枯渇した場合、再充填しなければならない。
一、魔力の充填には魔獣の魔力が最も好ましく、続いて魔族が好ましい。
一、触媒の素材は魔獣、魔族が最も好ましい。続いて原生魔石が好ましい。
一、触媒の素材は人間以外が好ましい。人間では適性の高い処女が好ましい。
一、術式は魔法の上位互換でもなければ、下位互換でもない。
一、ただし■■■■への魔力付与に関しては運■■■■十分な■■■■である。
一、術式による■■■■への魔力付与は■■■■■■■■。
魔力も枯渇するのか。とりあえず前から順に疑問を解消していこう。一番気になるものが最後にあるけど。
「千紗はその再充填用のアイテムは持ってるの?」
「もちろん。魔の魔力を凝縮したキューブがあって、それで充填するんだよ」
まあ持っていて当たり前か。そうでなければ術式メインの戦法はとれないだろう。その消費量は気になるところだけど。
「じゃあこの魔獣と魔族っていうのは?」
「魔族はあたしたちが一般的に魔と呼んでいる種族のことだよ。あれはかなり上質な魔力を持ってるらしいんだ」
「なるほどね。それによって術式の質も向上するってことか」
「そうみたい」
そういう理屈なら、貧弱な(?)魔力が大量にあっても意味はないということか。より質の良い魔力が必要となる、ね。そういう状況があるかはわからないけれど、術式の質を落としたければ低品質の魔力を充填すればいいのか。
「で、魔獣っていうのは、その魔が元々いた――今でもいるだろうけど、その日陰の世界に生息する獣だよ」
「力関係としては、魔族と魔獣はどういう関係にあるかわかる?」
「そんなこと聞いてどうするの? まあ、わからないから答えようがないんだけどさ。それこそ神聖都市に着いたら聞けばいいと思うよ」
「それもそうだね。次だけど、人が触媒になることがある?」
「知らないよ。でもこういうことが言われてるわけだから、今はどうだかしらないけど、昔は使われてたんじゃないかな?」
ああ、必ずしも現在であるとは限らないわけか。そういう前提があると、このメモの信憑性も少し落ちてしまうような気がするな。いやいや、気にしないでおこう。
「この文字を塗りつぶしているところは、何が書いてあった?」
これが一番気になっていたことだ。わざわざ自分でメモを取っておきながら、消しゴムで消すでもなく塗りつぶしている。忘れてしまうのはまずいが、そのメモを読みたくないという気持ちが見て取れる。
聞かない方が良い、のだろうか。
でもこれから一緒に旅していくわけだし……。
「簡単に言っちゃえば、枯渇する前に再充填しておけってこと」
それだけ?
それだけのことでメモを塗りつぶすのか?
そこがどうしてもひっかかったけれど、そこを聞くことはしなかった。今の受け答えからわかるように、あまり聞かれたくないことなのだろう。ぼくはそんなことを聞き出すような、そんな上手な方法を知らない。
ひとまずこれでメモの内容に対する疑問はあらかた解消された。細かい疑問はいくつかあるけれど、そこはいずれ解消されることになるだろう。
「術式についてはホントにあたしに聞くよりもさ、神聖都市の人に聞いた方がいいよ。あたしだって聖と同じ世界から来たんだし」
「そうだったね」
千紗が流暢に術式の説明をしてくれたから、それをつい忘れてしまっていた。
「ふぅ……あたしが話したかったのはこのことなんだけど、どうする? もう少し風に当たってく?」
「そうだね。もう少しこうしていよう」
千紗は浮かしかけていた腰をもう一度落ち着け、少しだけぼくに寄って座った。それからしばらくぼくたちは何も言葉を交わさず、海の風に吹かれていた。
翌日。ジャケットにボタンとジッパーの代わりに装着されたベルトをゆったりと締めて、改めてそのジャケットの機能性の高さに驚かされた。一見すればただの中二病的なデザインでしかないのだけど、その柔軟性と通気性、ベルトによる調整にそれぞれ高い評価ができる。ついでに、と千紗が買ってきたこれまた奇抜なデザインのベルト――腰の部分で×の形を作り、バックルの部分でも同様に形で留める。二本一体のベルト――をジャケットの上から巻いて、そこに〈揺光〉と〈邂逅〉を装着した。
階下に降りて千紗に合流すると、「うわぁ……買ってきたあたしが言うのもあれだけどさ、なんか漫画の主人公みたいな格好だね」と言って笑われた。千紗は初めて会った時のように、ノースリーブのシャツに、膝下くらいまでのハーフパンツをはいている。やはりスポーツ少年――もとい、スポーツ少女に見えるいでたちだ。バスケの練習に行く途中で呼ばれたと言っていたから、あれは練習着なのだろう。両手のグローブさえなければ、体育館に行けば見ることができるような女の子だ。
「あ、やっぱりその刀は聖が使うんだ」
「そう言えばぼくが聞いてばかりで、ぼくのことをあまり話してなかったね」
〈揺光〉のことには全く触れてない。
「ま、それについては行きながら聞くことにするよ。丁度今日は神聖都市への船があるからね。今日を逃したらまたしばらくかかるから、陸路で行く方が早くなっちゃうよ」
「船の搭乗券なんかは準備できてるの?」
「そんなのいらないよ。お金払えばいいんだ」
でも、お高いのでしょう?
「銀貨十枚あれば絶対に大丈夫だよ」
はは……魔を一体倒したのと同じ額じゃないか。海路はそれほどまでに危険なのか? まさかぼくは地雷を踏んでしまったのか?
どっちにしてもぼくには選択肢はない。今更陸路に変更することは、物理的にはできるが精神的にはできない。経験だ、経験。
「出航までにはまだ時間はあるからさ、ちょっと観光して行かない? どうせ今までろくに観光もしてないんでしょ?」
「よくわかるね」
「そんな雰囲気がにじみ出てるよ」
どんな雰囲気だ。