第十四話『魔法の形態』
ぼくの部屋はすでに千紗が取ってくれていた。ぼくが寝ていた部屋がそうで、千紗はとなりの部屋なのだそうだ。ぼくが学園ラブコメの主人公なら、この状況は同じ部屋なんだろうな。あー……久々にラノベ読みたいな。戻ったら色々まとめて買わないと。
夜も更け、そろそろ寝ようかとベッドに潜った時、控えめのノックが聞こえた。
「はい?」
「あたしだけど……まだ起きてるから返事してるんだよね。入ってもいいかな?」
「構わないよ。どうぞ」
「おじゃましまーす」
千紗が恐る恐る部屋に入ってきた。着ている服はさっきまでとは違い、黒地に白のラインが入ったジャージの上下だ。おそらく彼女の寝巻なのだろう。ぼくはさっき千紗が買ってきてくれた服を着ている。体にぴったりとフィットする黒のノースリーブの服に、ジーンズのようなデザインのグレーのロングパンツ。彼女の見立ては完璧で、教えてもいないのにサイズがぴったりだった。外に出る時用に、紺色のロングジャケットを買ってきてくれていた。このジャケットも前に来ていたコートと同じで重くない。紺色がメインで、それを縁取るように、白い装飾が施されている。
「どうしたんだい?」
「ちょっと真面目な話をしに来たんだ」
「ふぅん? ここで話す? 外に出る?」
「じゃあ、外で話そうよ」
「わかった」
ベッドから立ち上がり、かけていたジャケットを着る。膝あたりまで裾があり、ロングジャケットと銘打たれているが、コートといって差し支えなさそうだ。
階下に降りて、外に出る。外は夜の冷たい風が吹いていた。人の姿はあまり見えないが、零れる光が人の存在を伝えている。豪快な笑い声が聞こえてきて、どこの世界にも酒飲みはいるのだと実感した。
「港に行こうか。そのほうが話しやすそうだし」
「そう? まあ、ぼくは構わないけど」
月明かりに照らされた道を歩き(街灯はない)、灯台のほうへ向かう。潮の香りが海から流れてきて、やっと港町にまでやってきたのだと実感ができた。もうかなり古い記憶だけれど、港町はたしか、この大陸の中心よりも西にあったはずだ。王都が東よりだったから、かなり移動したことになる。
「聖はさぁ――」
千紗は灯台にもたれるように座り、ハーフフィンガーグローブをはめた両手を見ながら言った。服は着替えても、グローブは外さないようだ。
「――この世界の魔法についてどう思う?」
「どう、というと?」
「あたしはさ、もっと自由に扱えると思うんだ」
「自由に? それはどういう意味で」
「ほら、この世界の人ってさ、個人の扱える魔法は数種に限られてるって言うじゃん?」
「まあ、そうだね」
ササ村でぼくを助けてくれたアランさんは物質転移の〝小人の贈答〟、『彼女』は声を転送する〝風の音〟。ぼくから金を巻き上げたヤンさんは発火の魔法。魔力付与に属する魔法を得意とする人が多い、という話を聞いている。また、人ひとりが扱える魔法はせいぜいひとつかふたつ、物心ついたときからそれを知っているらしい。
「実はそうじゃないような気がするんだよね」
「それは……たとえば五つや六つ扱えるってこと?」
「そそ。この世界の人たちはさ、魔法を使う時に何も使ってないよね?」
「魔力を使っているらしいけどね。ぼくは全く持ってないからわからないけど」
魔と対峙した時に感じるあの不吉――あれが魔力なのだろうか。
「そういうことじゃなくてさ、触媒だよ」
「触媒? 杖とか牙とか?」
「うん。触媒を使えばもっと魔法を安定させられるだろうし、魔力を充填できるタイプなら、もしかしたら本来自分が使えない魔法も使えるかもしれないよ」
「そうかも……しれないね。でもさ、それでどうするつもり?」
「本気で言ってる?」
「本気もなにも、ぼくは千紗が言ってることがよくわからないよ。たしかに魔法に幅がでるならそれは有益だけど……。そもそも触媒の使用を思い立ったきっかけはなんなの?」
中学生の千紗が、魔法に使う触媒にそういう可能性があると思い至るとは、ぼくには考えにくかった。もし千紗が中学生男子なら、ぼくは何の疑問も持たなかったかもしれない。偏見も甚だしいのだけど。
「これだよ」
千紗は自分がはめているグローブを外し、ぼくに手渡した。グローブは革で作られている。今は涼しい季節だけど、もし暑くなるようなら蒸れて大変なことになるだろう。
「そこじゃなくて……」
あきれ顔で千紗が呟いた。
「そ、そうだね」
手の甲の部分に、青い球体が金属で固定されている。その球体は澄んだ色をしていて、ずっと見つめているとそれに呑まれてしまいそうだ。それ以外には特に変わった部分はなく、とにかく美しい石という評価できない。
否。
これが触媒か。
「これが千紗の魔法の元なんだね?」
魔の軍団を一瞬に焼き払った青い閃光。本来千紗には使えるはずもない魔法だが、こうやって魔力を有した触媒を用いているのなら可能なのだろう。いや、可能なのだ。現に魔法を扱っていた。
「そ。でも厳密には魔法じゃないみたいなんだ」
「魔法じゃない? でもぼくは魔法のことしか聞いてないよ」
魔法とは異なる、魔法に似たもの。
そんなものの存在は聞いていない。
「あたしもよく理解はしてないんだけど、こういう触媒を使った魔法は……ああ、厳密には違うんだっけ」
「気にしなくていいよ」
「うん。触媒を使う魔法は魔法じゃなくて、術式っていうらしいんだ」
術式。
ゲームや漫画なんかでたまに出てくる単語だな。時には科学的なものだったり、学問的なものだったりする。今回は触媒を用いた魔法、か。
「誰から教わった?」
「このグローブをくれた人。たしかエレナって言ってたかな?」
「エレナッ!」
「ど、どうかしたの?」
突然大声を上げたぼくに、千紗は驚いて身を引いた。
「い、いや、ぼくはその人に会うようにって言われてるんだ。旅の指針をくれるだろうって」
しかし千紗はぼくのことばを聞いて眉をひそめた。
「指針をくれる? エレナはそういうタイプの人じゃないよ」
「どういうこと?」
ブロールさんはエレナという人物が、ぼくに旅の指針を与えてくれると言った。しかし千紗はそういう人物ではないと言う。ブロールさんの思うエレナと、千紗の言うエレナとの間に距離がある。
「エレナはたしかに優秀で優しい人だけど、それは新興都市の住民に限られるんだ」
「つまりよそ者のぼくは相手にされないと」
「相手にされないというか、うーん……助けてはくれないかな」
「神聖都市の決まり?」
「というよりは、エレナの主義みたい」
なるほどね。そうならばぼくとしてはどうしようもない。無理に聞き出すなんてことは、ぼくにはできないし、したとしても答えてはくれないだろう。
「もしかして神聖都市に行くつもりだった?」
「まあ、ね。でもエレナから指針を聞けないとなると、行く必要もないかもしれないね」
そしてまた旅の目的がなくなってしまったわけだ。
千紗と共に旅をするといっても、千紗の目的は人探し。そして魔の長の討伐。最終地点は同じだが、過程が異なる。いつ会えるともわからないもう一人の勇者を探し、それから討伐へ向かう。それとも……魔の長を求めながら探すのだろうか。
「うーん、必要はなくても価値はあるかもしれないよ。神聖都市は〈大導師〉を信仰してるのは知ってるよね? その〈大導師〉っていうのは、そのまま強大な魔力を持った伝説の魔法使いのことなんだ」
「つまり?」
「神聖都市は宗教都市であると同時に、魔法都市でもあるんだよ」
魔法都市――なんて心惹かれる言葉だろう。魔法に憧れる年齢を通り過ぎたぼくでも、その言葉の持つ魅力的な響きには興味を抱かざるを得ない。
「あたしにはかなり上位の術式が施されてるんだけど、あたしが召喚された場所が神聖都市だったからなんだ」
上位の術式?
「それは初耳だよ」
「まあ、初めて言ったからね。あたしには術式が施されてる。身体能力を飛躍的に上昇させる術式があたしには常時発動されてるんだ」
「常時? 切れないってことだね」
「うん。あたしが死ぬまで」
死ぬまで。
それがぼくには呪いのように聞こえた。
延々と戦い続けることを義務付けられているかのようだ。
「あたしはそれで構わないと思ってるんだ。どうせ魔の長を倒さなくちゃいけないことは変わりないし、戦いが終わった後はきっと戦う必要なんてないから」
「そうだね」
千紗が元の世界に帰りたくないと言っていたのは、もしかしたらこのことが関係しているのかもしれないと、ぼくはなんとなく思った。
「で? 神聖都市には行く? 行きたいなら案内するよ」
ぼくは少し考えて、千紗の提案にうなずいた。魔法都市という言葉に惹かれたのではなく、魔法というものをもっと知りたくなったのだ。