第十二話『紡がれた糸』
まず視界に映ったのは、木の天井だった。どうやらここは宿の一室のようで、部屋は綺麗だ。リヴィルのあの宿よりは数段ランクが高い宿だろう。おそらくこの部屋を借りたであろう人の荷物が部屋の端に置かれている。ワンルームのこの部屋のどこにも、その持ち主らしき人の姿は見当たらない。
ベッドから体を起こし、窓際まで歩く。そこから見た景色は、見たことのない町だのものった。
海がすぐ近くにあり、船が停泊している。船と倉庫のような建物の間を多くの人が行きかい、そこからは活力が感じられる。そんな港から少し視線をずらせば、今度は人でごった返した市場が見える。外に出て少し歩けば、その喧騒を肌で感じることができるだろう。
力が溢れている町だ。
「港町スダン。工業都市イカガカから北に上ったところにある町だよ」
反射的に、全身を後ろに向ける。
「そんなに警戒しなくていいよ」
立っていたのは、中性的な人物だった。ノースリーブのシャツに、膝下くらいまでのハーフパンツをはいている。スポーツ少年のようにも見える。シャツは体にフィットするタイプで、そのボディラインをはっきりと見せつけている。が、まだ男女の判断をするのは難しい。ハーフパンツは対照的に大きめで、バスケ部のユニフォームが近いかもしれない。黒い髪が肩のあたりまで伸びている。両手にはハーフフィンガーグローブをはめていて、ぼくの元の世界でそれをはめていると、周囲から笑われそうだ。だが、グローブの裏には澄んだ青い宝石のような物がはめ込まれている。もしかしたらファッションではめているのではないのかもしれない。
「……君は?」
年齢はおそらく同じくらいだろう。強いて言うなら、ぼくよりも数歳年下かもしれない。でも身長はぼくよりも高い。
「あたしはチサ。ここまで君を運んできたのもあたし」
チサ、か。この世界に来てからは、あまり聞かないタイプの名前だな。どちらかと言えば、日本人みたいな名前だ。
「ぼくは聖。助かったよ、ありがとう」
あの時。
魔の大群に襲われた時に見えた人影は、まさかチサだったのだろうか。にわかには信じられない話だけど、今はそれしか考えられない。
それに。
この声には覚えがある。
あの線の世界を移動している時の声だ。
「君が魔の大群に襲われてたからさ、さすがに見過ごせなくてね」
そこで見て見ぬ振りができるなら、この人物は鬼だ。
「本当に助かったよ。それにしても強いんだね。どうやってあの数を倒したの?」
一瞬見えた、あの青い閃光。あれの正体はきっと魔法なのだろうけれど、初めてみたぼくにはそれ以上は何もわからない。一見、どこにでもいそうなこの人が、どうやってあの数を乗り切ったのだろう。
たしかに引き締まった体だけど、それは中高生レベルの引き締まり方であって、魔と戦うのには不十分なように思う。それは自分にも当てはまることではあるのだけど。
「……」
チサは少し嫌そうにぼくを見ている。
「どうかした? 何か変なこと言ったかな?」
「あたしを見る目がやらしい」
「やらしいって、だって君はおと……」
あたし?
「女だよ、一応。どうせまな板とか、洗濯板とか言いたいんだよね?」
えー……。そこまでは言ってないし、思ってない。思ってない、よな?
チサ――女とわかると、もう女性の名前としか思えない――は顔を少しだけ赤くして、早口に言った。
「いいよ、もう。貧乳はステータスなんだもん。巨乳好き好きヒジリはこの宿のおばちゃんにでもうつつを抜かしてればいいじゃん」
どうやらぼくは地雷を踏んでしまったらしい。急に辛辣なことを言われてしまった。まだ出会って十分と経っていないのに。
どう対応しようか頭を抱えていると、チサは急に表情を緩めた。
「なんてね、冗談だよ」
くすくすと笑う。
「え? 男ってこと?」
「女だよ!」
チサは人探しをしているのだという。この世界では見慣れない服を来た、身長のあまり高くない男らしい。どうやらその人物はこの世界に召喚された人物らしく、魔を狩る力を秘めた、世界最強に近い勇者らしい。
途中までは自分のことかと思っていたけれど、最後の最後でその勘違いに気づいた。ぼくは『世界最強』ではなく、『世界最弱』だ。魔に負ける言い訳にはしないと決めたけれど、その事実が変わったわけではない。ぼくは誰よりも弱く、それゆえに呼ばれた。だからチサが探している人物とぼくは正反対だ。
「うーん……それ以上の情報はないの?」
「たぶん。あたしは自分のことを強いって思ってるんだけど、それ以上に強いとなるともっと有名だと思うんだけどね」
言わないけれど、ぼくもチサの名前は初耳だ。
「あ、聞き忘れたけど、どうしてその人を探してるの?」
「その人と協力して魔の長を倒すため。それで魔の長を倒して、あたしは晴れて元の世界に戻れる」
チサの目には確固たる決意が見て取れた。
「あのさ」
「うん?」
「ぼくも連れて行ってくれないかな?」
魔の長を倒すのが目的なら、ぼくとチサは一緒に行動するべきだ。ぼくは弱いけれど、決して戦えないわけじゃない。いや、こんな後ろ向きな考えではいけない。ぼくは魔の長を倒す力を持っている。レミアさんはそのためにぼくを呼んだのだから。
「でも、危ないよ? 死んじゃうかもしれないよ?」
「ぼくもチサと同じ境遇なんだよ。どうしてだか、ぼくには魔力付与は施されなかったけどね」
魔力付与はぼくの体を蝕むらしい。
「魔を倒すために召喚された?」
「そういうこと。でも、肩書きは『世界最弱』だけどね」
チサは悩んでいるようで、うーんと唸っている。
「えっとさ、戦績教えてくれる?」
戦績、かぁ。
実は負け越してるんだよな。
「えっと、なんか凄い大きな体で、光線をばらまく魔を一体倒して――」
王都から出た翌日だっただろうか。結局名前はわからずじまいだったけれど。
「〈燃え盛るフィオ〉には何度も負けたよ」
まだぼくに襲いかかってくるだろう脅威。けれども、ぼくはあいつを倒さなければいけない。ササ村でのことをぼくは決して忘れられない。
「〈吹き荒ぶブリューナ〉と、リンネを倒して――」
ブリューナとはもっと話してみたかった。彼はぼくが会った中で、もっとも人に近い魔だった。
「あとは、名前が聞き取れなくて、もう別世界の意思で動いてるとしか思えない魔に遭ったけど、戦ってはない」
正確には――戦う前に負けた。
「そんなに負けたりしてるのに生きてるっていうことは、つまりそういうことだよね」
どういうことだ?
「いいよ。あたしと一緒に行こう」
「いいの?」
「うん。あたし実は、ひとりで寂しかったんだよね」
「わかるよ。ぼくも寂しかったんだ」
ふとした時に一人であることが苦痛になる。
悲しくなるんだ。
「よろしく、チサ」
「よろしくね。聖」
それでも、これからは隣にチサがいる。




