第八話『重大な見落としほど気づきにくいものはない』
荷物をまとめて町から出ようとした時、ぼくを呼びとめたのはブロールさんだった。
「研究結果は待ちませんか」
「要請していた内容とは大きくかけ離れていましたから。ぼくたちが要請した通りの内容なら、結果を待っていたかもしれません」
魔力を用いない兵器の開発。
それの前提となる火薬の開発。
ぼくたちはそれを要請していたはずだ。しかし、実際に行われていたのは、結局、魔力を用いたものだった。それでは意味がない。魔力を用いないものであるからこそ意味を発揮する。
それとも。
それとも、ぼくたちが間違っているのだろうか。
魔力を用いようが用いまいが、そこに大きな差はないのだろうか。
「そうですか、残念です。まあ、結果はリヴィルと王都の騎士団に報告するので、耳に入るかもしれませんね。ああ、それはそうと」
「どうかしましたか?」
「ヒジリさん、あなたはこれからどこへ向かうんです?」
「ひとまず、街道に沿って歩いていきます」
そういう計画を立てていたはずだ。
「目的地はないんですか?」
「目的地?」
そういえば決めていない。
ん?
これっておかしくないか?
「どうしてそこで不思議そうな顔になるんです。まさか目的地もわからずに旅してきたとでも?」
そのまさかだから困る。今までは街道沿いに歩いて行けばいいやと思っていたが、そんな馬鹿なことあるわけがない。ぼくは一体どうしてしまったのだ。
「図星、ですか」
ブロールさんが苦笑する。
「無策な勇者がいたものですね。まあ、旅の指針が必要ならば、ここから北西に進んだ先にある神聖都市に向かうと良いでしょう」
「神聖都市?」
「……地図が必要ですね。出発の前にもう一度来ていただけますか?」
「むしろぼくのほうからお願いさせてもらいます」
旅に指針は必要だ。町から出かけていた体を引き戻し、騎士団の建物へ向かう。
町を出ると言って出て行ったばかりのぼくが戻ってきたことに、建物内にいた数人の団員たちは怪訝そうな目をしていた。愛想笑いでその場をやりすごし、ブロールさんの後を追う。
通された部屋の真ん中には、大きな地図が広げられていた。この部屋は主に、作戦会議で用いられているのかもしれない。
「ここがリヴィルで、北西に進むと――」ブロールさんの手が地図の上を滑る。「――ここが神聖都市です。そうですねぇ……普通に行くと王都からここまで来るのと同じくらいかかりますか」
さて問題。
ぼくは一体どれだけの時間をかけてここまでやってきたのでしょう。
解答。
覚えていない。
しかし、かなりの時間がかかったことだけは覚えている。それこそどれだけ時間が経ったかも忘れる程度には。さすがに一年もかかっていないだろうが。
「もっとも、ここから北に進んだ……ここ、港町スダンから出る船に乗り、神聖都市に向かうという手もあります」
「陸路よりも早いですか?」
「圧倒的に早いですね。しかしまあ、海魔に襲われるという可能性は排除しきれませんが」
「海魔? ぼくらが普段魔と呼んでいるものとは別物ですか?」
「いえいえ、同じものと考えてもらっていいですよ。陸にいるか、海にいるかの違いだけです。もしかしたらやつらは別種かもしれませんが、我々からしたら同じようなものですから」
乱暴な理論だったが、たしかにそこまで厳密に区別する必要もないのかもしれない。
「渡航に必要な料金は?」
「そうですねぇ……銀貨三枚あれば大丈夫でしょう。魔法である程度の安全は確保していますが、危険であることは変わりありませんしね」
「なるほど……」
危険であっても、ここは船に乗って行ったほうが良いかもしれない。いまいち緊迫感がなくて忘れそうになるが、これは先を急ぐ旅だ。この世界から魔の脅威をなくし、元の世界に戻るための旅だ。
「ま、どちらに行くかはお任せしますよ。で、大切なのは神聖都市に着いてからです」
「そうですね。旅の指針がどうって……」
「はい。神聖都市に到着したら、真っ先にエレナという人物に会ってください。あなたに旅の指針を与えてくれるはずです」
「何者なんですか?」
ぼくから意見を求めておいてだが、いきなりそう言われても素直に納得はできない。せめてどういう人物なのかは知っておきたい。
「その町の指導者ですよ。神聖都市は〈大導師〉を信仰する世界最大の宗教都市であり、世界最大の魔法都市でもあります。エレナはそこで最も力を持つ人物です」
よくわからないが、とにかくすごいということはわかった。
「宗教都市ってことは、やっぱりタヴーとなることってありますよね」
宗教における禁忌。
それを犯すことは、たとえそれを信じていないものであっても許されない行為である。たとえ普段はそれを犯していても、それを信じる人の前では決して犯してはならない行為である。
肉を食べない宗教の人が目の前にいるなら、肉料理を出さないし、食べない。
肌を見せない宗教なら、肌を見せない。
犬を崇拝するならば、犬を敬い、軽く扱わない。
これは必要なことだ。
「禁忌、ですか。ああ、大切なことがあります。決して人や物を指差してはいけません」
「指先には魔力が宿るから?」
「よくご存知ですね」
「ぼくの世界にも、似たような考え方がありますから」
もっとも、それは今では廃れた考え方で、推理物の漫画なんかでは犯人を示す時、お約束のように犯人を指差しているわけだが。ひょっとしてあれは指先に宿る魔力によって、犯人の口を割らせようとしているのだろうか。
「その他には?」
「そうですねぇ……。基本的に魔法を否定しなければ大丈夫でしょう。とにかく大切なのは指差さないことです。どの指でも関係なく、ですよ」
「わかりました」
人や物を指差さないこと。大丈夫だ。ぼくは普段から何かを指差すということはしていない。魔法を否定するようなこともしていない。普段通りに行動していれば、宗教都市で問題になることはないだろう。ひとまず今は、港町に向かうことに専念しよう。
ブロールさんにお礼を言って、今度こそ出発するために建物から出た。
まだまだ道は長そうだ。
「うーん……どうしようかな」
軽くジョギングをした後のような清々しい疲労を感じながら、ミサオは大きく息を吐き出した。まだこの町には来たばかりだが、はやく目的を果たしたいという思いがミサオを焦らせている。
ミサオの目的は人探しだ。
王都から派遣されているという一人の勇者と合流し、ともに魔を狩ること。それがミサオに与えられた役目である。今はその勇者を探している最中なのである。
「外見だけ教えられてもね」
この世界ではあまり見かけない白色のシャツと黒いズボンをはいており、あまり身長の高くない男としか教えられていない。どうやら服装で一目量然らしいが、世間知らずのミサオには難易度が高い問題でもある。
「まっ、いつかは会えるさ!」
気楽に――気楽過ぎるほど気楽に言って、ミサオは町に戻った。
ミサオの去った後には、赤黒い塊がひとつ残されている。