第五話『理解不能』
「正々堂々、真っ向から始めましょう」
ブリューナは槍をぼくに向け、厳かに宣言した。
「そうですね。お互いに禍根が残らないように」
本当に不思議な気分だ。
ぼくとブリューナは敵同士。それなのに、相手を尊重したいと思ってしまう。敵とか味方とか、人とか魔とか、そんなことをすべて取り払ってしまいたくなる。
〈揺光〉を構える。
刀と槍で有利なのは、基本的には槍だ。一見するだけでも間合いに埋めがたい差があることがわかる。懐に潜ればなんとかなるようにも思えるが、槍における攻撃点は何も槍頭だけではない。石突きや柄でさえ、槍では攻撃点になりえる。
問題なのは、ブリューナがどれほど槍術と棒術を心得ているかだ。
五つに分かれた穂を持つ槍頭をぼくに向け、ブリューナは間合いを測り始めている。
ブリューナを視界から外さないように、周囲を確認する。ここも他とは何の違いもない坑道で、これといって目立つものはない。退路は一応あるが、そもそもその選択肢はないに等しい。あちらとて同じだろう。
先に動いたのはブリューナだった。
槍が届くギリギリの間合いまで一気に詰め、その長物を突き出した。刀で槍を受けるというのは自殺行為だ。後退するのではなく、槍をよけて前進する。刺突の構えを取ってブリューナに迫る。
ブリューナは表情を変えることなく槍を引き戻し、引き戻した勢いを殺すことなく半回転させ、石突きでぼくを殴る。
腹に石突きを受け、意識が一瞬途切れた。意識が回復してブリューナの姿を確認した時、その距離は最初の位置よりもさらに離れていた。ブリューナの周りには、他の場所よりも多くの石が転がっている。逆に、ブリューナの頭上の岩壁はえぐられている。
「うぅん……やはり狭い場所での槍は駄目ですね。あなたも剣なんか使わないほうがいいんじゃないですか?」
「あいにく……刀しかないもので」
これで銃の開発に成功すれば違ってくるのだろうが、ないものをねだってもしかたない。
「そうですか」
答えるや否や、ブリューナが迫ってくる。
予想外だったのは、次のブリューナの行動だった。
ブリューナは槍で突いてくるのではなく、薙いだ。遠心力によって増幅されたエネルギ-が、ぼくを襲う。
空を切る音が廃坑に反響する。
「――――っ!」
反射的に後退する。槍は岩壁に止められることなく――むしろ岩壁をえぐる。
横一閃。
ブリューナには場所に不釣り合いな長物というデメリットなんて、全く関係がない! あの槍はブリューナの魔力によって生成された槍。であるならば、その強度、破壊力はブリューナの魔力に依存する。
つまり。
強度がブリューナの魔力より低い場合、それは障害にすらならない。いや駄目だ。焦るな。刀を持ったなら、心を乱してはいけない。心の乱れは太刀筋をゆがませ、十分な効果を発揮させない。
「立ってください」
ブリューナが言う。
「…………」
是非もない。警戒は解かずに立ち上がる。
「では、再開です」
正々堂々。
ブリューナのそれはいささか度が過ぎているような気がする。これではまるで試合だ。殺し合いではない。それにブリューナが槍を出した以外に魔法を使っていないことも気にかかる。何を隠しているのかわかったものではない。
「〝イーゴの羽〟」
魔法か!
魔法名を宣言した時、ブリューナの持つ槍に変化が起きた。いや――槍じゃない。槍の周りを取り巻く空気が動いている。
「イーゴ、知っていますか? 私たちが元々いた場所に生息している鳥ですよ」
「初耳です」
そもそもこの世界のことすらほとんど知らない。
「イーゴって、とても速く飛ぶんですよ」
槍の周りだけでなく、ブリューナの周りの空気も動き始める。坑道に漂うほこりが、慌ただしく動き回っている。
ブリューナが一歩足を踏み出したかと思うと――ぼくの目の前にいた。
「なっ――」
ブリューナの槍が唸る。間合いの関係からか、石突きで脇腹を打たれた。一瞬の絶息。視界がゆがむ。
これが――人と魔の力の差か。
「まだだ!」
立ち上がるぼくに、ブリューナはどこか申し訳なさそうな表情を見せた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに戦意をぼくに向ける。
壁につかまりながらやっとの思いで立ち上がった時、ブリューナの背後から爆音が響いた。
山の見晴らしの良い場所から地上を見下ろす人影がひとつ。ノースリーブのシャツに膝下くらいまでのハーフパンツ。両手にはハーフフィンガーのグローブを装着している。グローブの甲の部分には澄んだ青の宝石のような物がはめ込まれている。
「あそこが港町のーえっと……スダンか。で、あっちが……イカガカ、だっけ?」
うーん、とミサオは思案顔になる。
「ま、確実に会うならスダンだよね。港町だし」
そう結論を出すと、ミサオは山を下り始めた。
「あーあ。もうちょっとゆっくり来てもよかったかも。何も魔法なんて使う必要なかったよね」
ミサオは旅の道中に出会った旅人に、転移の魔法を使ってもらった。丁度ミサオが出発した町からこの山までの間くらいの場所を歩いていた時のことで、旅人にスダンとイカガカの中間点に送ってもらうように頼んだのだった。運が良いのか悪いのか、旅人が人を転送できる最大範囲も、そのくらいの距離までだった。
「旅は歩いてこそだよねぇ……」
これからは魔法に頼るまいと心に決め、ミサオはグッと拳を握る。
しかし、歩く旅には危険がつきものだ。
「ちょいと、アンタ」
「はい?」
おそらく自分が呼びとめられたのだろうと、ミサオは振り返った。人の気配には今まで気づかなかったが、気配に気を配るようになったのが最近のこと。あまり気を留めなかった。
後ろに立っていたのは三人の男だった。見るからに人相が悪く、服もあまりきれいなそれではない。
「荷物と金、置いてってもらえないかい?」
リーダーと思われる、もっとも体の大きな男が言った。後ろに控える二人の男たちは、腰の後ろに手をまわしている。短剣か何かを隠し持っているのだろう。リーダー格の男はミサオをにらみながら、足をタンタンと踏みならしている。
――魔法の準備かな?
ミサオはそうあたりをつけ、視線を男に戻した。
「嫌なんだけど……」
「そうかい」
男たちは下卑た笑みを浮かべ、ジリジリとミサオににじりよる。ミサオはそれを何の感慨もなく見つめ、近くにあった木を軽く小突いた。
瞬間。
雷が落ちたような轟音と共に木が倒れ、小突かれた部分が塵となって飛散した。
ミサオの手から、青い閃光の残滓が漏れている。
「な……なんてな。こういうこともあるから、油断しちゃいけねぇぜ」
リーダー格の男がひきつった顔で言った。
「うん。忠告ありがとう。それじゃあ、これで失礼しちゃうよ」
「お、おう」
ミサオが悠々と立ち去るのを、男たちは悪魔を見るような目で見送った。
爆音。
ぼくはもとより、ブリューナもぼくから視線を外して音源を探した。
「早く立ってください」
ぼくを見ることなく、ブリューナが言う。その声には濃い警戒の色がうかがえた。出口のほうから響いてきたのならともかく、廃坑の奥から聞こえてきたのだから、その驚きは計り知れない。
立ち込める砂煙の中から、人影が浮かびあがってきた。いや、人影というのは正確ではない。あれはどう見ても人ではない。
「あなた一人、じゃなかったんですか?」
「そのはずだったんですがね」
確認できるのは、長い腕と二対の翼。身長は高く、挙動が安定していない。
「きゅあああああああ!」
突然の叫び。
それと同時に理解する。
「ブリューナ、こいつがぼくの言ったやつですよ!」
「なるほど」
ブリューナは自分と同族であることを知っても、警戒を解くことをしない。ぼくがあいつに危険を感じたように、ブリューナも何かを感じているのかもしれない。
「うーん! 不可解だよ! どうしてどうしてどうして、君と君と君とボクとボクがここにいるんだい? あれあれ? あられれあられ?」
魔がこちらに歩いてくる。ぼくとブリューナは武器を構え、いまだ全容を現さない魔と対峙する。
やがて姿が明らかとなる。やはりそこに現れたのは、さっき出会った――出遭った魔だった。
赤い、赤い魔。
「ヤダよ! ヤダヤダ! ボクは悪くないんだから!」
不吉な大きな口で、魔はわけのわからないことを喚いている。
「リズ! そうだよリズだよ! リイィィイィズ! ああ……どこどこここ?」
またこの名前だ。
リズとは一体誰のことなのだろう。
「あなたは誰です? リズとは誰のことです」
「ボクかい? ボクか! ボクは〈■■■■■■■■〉さ! ヒャー!」
肝心の名前の部分が聞き取れない。ノイズがかかっているかのように、その部分だけが聞き取れない。ブリューナもそうだったようで、顔をしかめている。
「リズというのは?」
「リィィィズ! リズを知っているのかい? いや知らないんだね! リズは人気者! リズ! リズは不人気者!」
頭が痛くなる。理解をすることを拒む言動と、甲高い声は精神的に辛いものがある。
「アアァアァイイィィヤアアァアァ!」
再び咆哮。
魔がこちらに向かって駆けだす。
ぼくの前に立つブリューナは槍を魔に向けて突き出した。無策に突進してくる相手には、単純に突き出しただけでも十分な効果が得られる。本来、槍は中距離の武器。このようなせまい場所では扱いづらいが、突き出すという面だけで考えれば強力な武器となる。
しかし。
赤い魔は槍が突き出されたのを見て、ぴたりとその場で止まった。おおよそあり得ない動きだ。慣性の法則を完全に無視している。
「ヒュアアー!」
ブリューナが槍を引き戻そうとする刹那、赤い魔が槍頭をくぐって柄を握った。その場所から槍は形を崩し、槍頭が地面に落ちた。
「〝イーゴの――」
魔法名を宣言しようとした時、すでにブリューナは言葉を発することはできなくなっていた。司令塔をなくした体は力なく倒れ、坑道を赤く染めていく。
もごもごと大きな口を動かしながら、赤い魔は駆ける。
恐ろしいとはこのことか。
フィオとは違う、別種の怖さ。
怖い。
「ルルルルラアア」
赤い魔はぼくを通り過ぎ、廃坑の闇に消えた。
あたりは静寂を取り戻し、ブリューナの血のにおいが、ぼくにぼくが生きていることを教えていた。