第二十六話『無力の証明』
刀を構える。
両手で持ち――心は静かに。
落ち着きと冷静さを保ち、ただし弛緩するのではなく――研ぎ澄ました感覚の中で敵を見据える。白銀の刃が炎を映し、まるで血のように赤い。
ぼくは最弱だ。
何もかも――戦いに関する全ての知識が張りぼてだ。
こうして刀を構えている今も――それは変わらない。この感覚も――不思議と周囲の音すら小さく感じるほどのこの感覚すらも、きっと張りぼてだ。ぼくに極みという言葉はなく、本物という概念はない。全ては偽物、つけ焼刃。
ただもし、ぼくが本当に勇者であるのなら、本当に世界の希望であるのなら――
目の前の敵を打倒する力が必要だ。
否、持っているはずなんだ。
「くひひひひひっ!」
フィオが笑う。何が楽しいのかおかしいのか。
フィオの姿が消える。視線は外していないのに、ずっと見続けていたのに――まるで初めからいなかったように、そこにはフィオの姿はなかった。
ざり、と、背後から足音がした。それと同時、身が焼けるほどの熱気を感じた。振り返る代わりに、体をずらしてその場から離れる。爆音の後、さっきまでぼくが立っていた場所には火柱が立っていた。
燃える地。
これが魔か。
地を炎が這う。これは〝目〟ではなく〝鱗〟か。さながら壁のように迫ってくるそれは、不可避のものだ。盾ではどうしようもない。そもそも盾なんて、一体何の役に立つんだ。魔の力からすれば、紙きれも同然だ。もっとも――その盾も、それが刀であるとわかった時から、すでに手放してしまっているのだけど。
身をひるがえし、家屋の裏に逃げ込む。炎の壁はぼくが隠れた家を焼いた。同心円状に広がる壁の前では、どこに身を隠してもこの結果は変わらなかったとはいえ、どうしようもない罪悪感が募る。
この村の人たちがどの建物に隠れているのかはわからないが、きっとあの広場の奥にある細長い建物だろう。であるならば、まだ火の手は迫っていないはずだ。
「くそ……暑いな」
この一帯はすでに火の海だ。そしてこちらからは何もできることがない。フィオの機動力は人間とは比にならないし、魔力量はいわずもがな、筋力だって全く違うだろう。魔力によって増強できる可能性を考えれば、絶望的な差があるはずだ。
「でも、逃げてばっかりもいられないよな」
全くどういうことだ。
ぼくは普通の高校生だったんだぜ?
構えなおし、フィオと対峙する。一度精神を整え、今度はぼくから仕掛けた。距離は少し離れているが、今までずっと後手だったぼくが先手を打つのだ。意外性はあるはず。
「ぜぇいやあ!」
右足で踏み込み、わずかに迫っていた間合いを一気に詰める。振りあげた刀を、フィオの頭上に落とす。斬撃の瞬間に柄をしぼって、攻撃力の上昇を図る。
しかし、ぼくの太刀はフィオをかすめもしなかった。
「くひひっ! 初めて見る剣術だがなあ、どうにも馬鹿正直過ぎてなあ」
揺れる尾が憎たらしい。
「いいことを教えてやるよ、最弱」
離れた場所から、フィオが言う。今にも欠伸を漏らしそうな、気の抜けた声だ。
「なんだよ」
正直な話、こういう風にフィオと話をすることになるのは願ってもないことだ。冷静に――現実的に考えて、今のぼくがフィオに勝つことは絶望的に難しい。しかし、すでにイカガカからの騎士団が出発している。こうして話をしながら時間を稼ぐのは、悪いことではあるまい。
いつ到着するのかなんて、全くわからないけれど。
「てめぇには魔力がねえから知らねえだろうけどよ、戦いっていうのは魔法でするものなんだぜ?」
「それはぼくがやっていることは戦いではなく、ただの遊びだと言いたいのか?」
対して――
フィオはニヤニヤと笑うだけだ。言葉などいらない。これは明瞭な肯定だ。今までの全ての攻防は、フィオにとって遊びの域を出なかったのだ。ぼくによって傷つけられた腕は、そういう意味ではちょっとした事故でしかないのだろう。
認識の差が。
ステージの差が。
如実に表れてしまう。
しかし――それがどうした。
ぼくが立つステージが低いのは、今に始まったことじゃない。この世界にやってきたその瞬間から、ぼくは底辺でしかない。そうでなければ、こうやって戦っていない。
「それがどうした。ぼくにとって、これは戦いだ」
弱さも強さも、そんなものは関係ない。それを超越して初めて、ぼくは戦いのステージに立つことができる。
「そうか。これが戦いか。くひひ」
フィオには今、隙しかない。ぼくを見下し――人を見下すフィオには、戦いに赴くための覚悟がない。緊張感のないフィオは、どこからでも攻撃ができそうだ。
それなのに。
どうしようもなく、隙がない。
村が焼かれ、気温がどんどんと上がっていく。燃え、焦げたにおいが鼻孔をくすぐり、嫌でも集中が乱される。
「くひひ――」
フィオが消える。視界の端から、炎が奔ってくるのが見えた。
「くそっ!」
紙一重でそれをかわす。これじゃあ防戦一方もいいところだ。どうにかして活路を開かないと。
と。
必死に嗜好を巡らしているところで、またしても、フィオは攻撃の手を止めた。しかし、今回、フィオの表情は晴れない。どこかイライラしているように見える。
「くひひっ。笑えねぇ。騎士団かよ」
騎士団?
もう到着したのか!
「面倒くせえなあ、おい。おい、最弱!」
「……なんだよ」
「てめえとの勝負は――くひひ、遊びはここまでだ。また今度やろうぜえ?」
勝負ではなく、戦いでもなく。
あくまでも――遊び。
「二度と顔を見せてくれるな」
負け惜しみとわかっていても、ぼくは言わずにはいられなかった。けれど、それは叶わない願いなのだろうと、どこかで感じている。
「そんなつれないことを言うかねえ? くひひ」
慌ただしい音と共に、怒号が響く。
「心してかかれ!」
その声が騎士団のものであると、すぐにわかった。ぼくはその声で初めて到着を知ったが、フィオはもっと早い段階で気づいていたのだろう。魔力を感知し、場所を特定できるほどなのだから、もしかしたら、彼らがイカガカを出て、こちらに進路を取った時点で悟っていたのかもしれない。
だとしたら、本当に遊びだ。
「じゃあ、俺ぁここで失礼するぜ! くひひ!」
炎の向こうに人影が見える。何人いるのかわからないが、わからないほど大勢であることだけはわかる。たった一体の魔に対して、これほどの戦力を割くということは、やはり魔はそれだけの相手であるということのなのだろう。
「いたぞ!」
声がして、一斉に、さまざまな光のようなものが飛び込んできた。フィオはそれを尾でひとつ残らず弾くと、そのままその尾で地面を叩いた。地面がめくれ、そこから火柱が立つ。
騎士団の面々が、気押されてしまったのが雰囲気で伝わってきた。フィオも感じとったのか、ふん、と鼻を鳴らし、今度こそ姿を消した。
『不吉』が感じられなくなった。
騎士団たちは敵がいなくなったことを悟ったのか、今までフィオが立っていた場所――つまりぼくの前に駆けこんできた。人数は数十人といったところか。数えるはさすがに無理がある。
「おい、けが人がいるぞ!」
一人が叫ぶと、人の山をかきわけ、数人の男が走ってきた。男たちはぼくの周りに集まってきて、持っていた荷物を下ろした。
「大丈夫か?」
「……はい」
幸い、それほど大きな傷は負っていない。奇跡と言っていいほどの軽傷だ。男たちがぼくを治療してくれているのを横目に、ぼくは村を見まわした。炎は燃え広がり、ほとんどの家屋が焼け落ちてしまっている。遠くに見える細長い建物――村人たちが避難していると思われるあの建物には、奇跡的に火の手は届いていなかった。
元々は戦闘員としてやってきた騎士団人たちが、それぞれにできることを行っている。魔法で火を消す者、生存者を探す者、それぞれだ。
「あの……」
「どうした、どこか痛むか?」
「いえ、村の人はきっと、あの建物に隠れていると思いますから、人を向かわせてください」
男はうなずくと、おそらく指揮を執っているだろう人物のもとへ走った。残りの人はぼくの傷をあらかた検分すると、簡単な処置をしてからぼくが示した建物へと走った。
さて……ひとまずは、アランさんの家に置いてきた〈邂逅〉を回収しなければ――と。
ぼくは浅ましく考えてしまった。今の村の状態を考えれば、アランさんの家がどういう状態なのか、考えなくてもわかるというのに。
ぼくがフィオの〝火トカゲの鱗〟から逃れるために用いた家、それこそがアランさんの家だった。
「くそっ! くそっ!」
荷物が焼けてしまったことは仕方がない。金も全て失った。しかし、あれは――〈邂逅〉は失ってはいけないものだ。ぼくと『彼女』をつなぐ唯一のものだし、ぼくは今回のことを伝えなければならない。それは『彼女』にであり、レミアさんにでもある。
赤々と燃える家に、消火活動をする人が集まってきた。
「少し下がって!」
消火をしている人が、ぼくに声をかけてきた。けれど、ぼくは動くことができない。これほどの脱力感を、ぼくは初めて経験した。
敗北感よりも。
無力感よりも大きい。
喪失感。
失ってしまったという、取り返しのつかない気持ち。
結局――ぼくは何もできなかった。戦っているつもりで、守っているつもりで、ただただ被害を増大させただけだった。
ぼくは無力だ。
次回、第一章最終話です。




