第二十五話『悪夢、再び』
〝火トカゲの目〟
〝火トカゲの尾〟
〝火トカゲの鱗〟
〈燃え盛るフィオ〉
炎を操る魔。
ぼくが山道で出会い――出遭い、その赤い尾でぼくを屠った魔。力の差は歴然。結局のところ、あの時の対峙では、フィオは全力ではなかった。全力だったとしたら――ぼくはきっと、ここにはいない。
慢心。
魔が魔であるが故、圧倒的な力を持っているが故におこる慢心。
ぼくはそれのおかげで助かった。生き永らえた。
「くひひっ! 久しぶりだなあ最弱!」
今はどうなのだろう。
挑発的な目でぼくを見る――否、見下すフィオはすでに〝火トカゲの尾〟を発動している。
前振りなく。
尾がゆらゆらと揺れ、尾の周りの景色がゆがむ。
「久しぶりだな、フィオ」
できる限りの見栄を張る。ぼくの怯える心を隠すために。
「この魔力は……なるほど、ヒジリの傷の犯人か」
アランさんが呟く。
「さてさて、お話は短く済ませようぜぇ!」
尾の熱量が増える。揺らめく景色の範囲が広がる。
「聞きたいことがある」
「ちっ、なんだよ、最弱」
あからさまに不機嫌な声。しかしそんなことはどうでもいい。フィオの機嫌なんて、路傍の石よりも興味がない。
「どうやってこの場所が?」
魔力を持たないぼくは、当然、魔力を探知する方法では見つけることができない。ぼくの世界のGPSみたいなシステムはこの世界はない。あったとすればそれこそ、ぼくはあの日のあの場所で殺されていた。
喰われていた。
「魔力を探したんだ」フィオは至極退屈そうに言う。「わかんないかねぇ。てめぇは魔力を持ってねえが、別の魔力を持ってるだろ? くひひ、あの時はちぃと探しにくかったから諦めたけどなぁ」
――お兄ちゃん、魔力を感じないよ? ううん、ほんの少しだけ感じるんだけど、とっても小さいよ?
――まだその魔法を使ってきたやつの魔力が残ってるから、痛みはあるだろうが。
小さな魔力。
フィオの魔力。
「発信器、ついてたんだな」
「あん?」
理解できないと、フィオが怪訝な目でぼくを見る。当然だ。発信器はこの世界にはない、ぼくの世界の技術なのだから。
さて……これでぼくの疑問は氷解したわけだけれど、これからどうするべきだろうか。アランさんのほうを目だけで見る。アランさんは小さく首を振った。
時間を稼ぐ、ということなのだろう。
「なあフィ――」
「時間稼ぎにはのらないぜぇ」
一歩ずつ、ぼくたちに近づいてくる。それは警戒しているというよりも、楽しんでいるような足取りだ。まだフィオとの距離は離れているが、距離なんて、魔法を扱える者にとってはあってないようなものだ。
剣と盾のぼくと魔法のフィオ。間合いと立ちまわりという点で、あちらが圧倒的な有利。
「さあさあ、今度こそ始めようか!」
瞬間。
フィオを中心として、同心円状に火が地を這う。タイミングさえ間違わなければ、やはり飛び越えられる程度の高さだ。
〝火トカゲの目〟――。
地を這った火は、あたりを緑に染めている草を燃やし始めた。草と土が焼けるにおいが漂い始める。
――っ!
待て、冷静に分析している場合じゃないぞ。これはマズイ。何がマズイって、ここが村の中だということだ。
風が吹く。
火の手は大きくなり、活動の範囲を広げていく。
家が――
畑が――
燃える。
「ぐぅぅ」
アランさんが獰猛な表情で、フィオをにらむ。無作為に、無策で飛びかかるような愚行は起こさなかったが、けれど、今にも襲いかかりそうな殺意が放たれている。フィオはそんなアランさんを一瞥し、なんでもなさそうに視線をそらした。その尾は、楽しげに揺れている。
村を焼く炎が、暗いはずの夜を明るく照らす。
「燃える村――いいねぇ。まるで俺のようだ。そうは思わないかあ?」
燃え上がる村を見まわしながら、弾むような声でフィオが言う。
「ヒジリ――」アランさんが、ぼくに耳打ちをする。「――俺はこれからあいつに炎を転送する。お前は注意を引いていてくれ」
「わかりました」
構え――フィオににじり寄る。
鞘から抜かれたそれは、片刃のものだった。これは剣というというよりも、刀だ。西洋然としたデザインでありながら、刀の凛とした魅力を併せ持っている。刀とわかれば、相応の使い方がある。邪魔になる盾を捨て、両手で柄を握る。
「やっとやる気になったか。くひひっ!」
赤い尾が眼前に迫る。身をかがめてそれをかわし、フィオに向かって踏み込む。安物の剣ではない、良質の刀。鞘から引き抜いた時、その刀身の美しさに一瞬見とれてしまった程だ。
その刀で――フィオの右肩に斬りかかる。尾を振りきった後のバランスの悪さからか、フィオの回避行動が一瞬遅れた。本来なら息をするように回避されるはずのぼくの攻撃が、フィオの肩をかすめた。
赤い血が、つぅ、とその体を伝う。
フィオが後ずさりし、傷口に手を添える。そこから流れる血を確認すると、残忍な笑みを浮かべ、ぼくをにらんだ。
「力を抜いて、脇はゆったりと――」
いつか読んだ剣道の本の文章。
付け焼刃であることは重々承知――否、付け焼刃にすらならないだろう。ぼくは本を読んだだけで覚えられるほど、頭の出来は良くない。
けれどもしかし、刀を使うならば――せっかく自分の世界の、自分の国の伝統的な武器があるのだから、それに倣うのは悪くない。
「足と切っ先は相手を指す」
こんなことなら、もう少し体験入部の期間に練習しておくんだった。一日でやめるのは惜しかったか。
「なんだあ、その構えは」
フィオが見下すように言う。
ぼくとフィオとの距離は、まだ間合いじゃない。本に倣い、すり足で間合いを詰めていく。
「とろい動きだな」
フィオが右手を突き出す。向こうから間合いに入ってきてくれた。ぼくは右足を横にずらし、それに合わせて全身を移動させる。必要最小限の動きでの、軸移動。結局、これも我流でしかない。その道の人から見れば、児戯にも等しい動きだったに違いない。
「なっ」
しかし、フィオにとってこれは未知の武術。全ての動作が初めての動きだ。粗雑な動きも洗練された動きも、どちらも同じくらいに――わからない。
腕は上げ過ぎず、素早く――
「めえぇええぇええん!」
打撃の瞬間に力を込め――
気勢を込めた掛け声と共に――打つ!
またしても、フィオの反応が遅れた。体を切りつけられるのを避けるために突き出した腕、その腕に刃が届く。今度は派手に血が舞った。
「ぐぅううぅぅ」
フィオが呻く。
刀を持ち直し、フィオに向き直る。
「くひっ――」
フィオが浮かべた笑みは、狂気に染まっていた。ぼくに腕を切られたことが、それほどまでにショックだったのだろうか。はたまた、怒りか。
「くひひひひひひひひひ! 図に乗るなよ人間があ!」
〝火トカゲの尾〟――フィオの背後で揺れる赤い尾から放たれる熱気が、さらに熱を高めた。もはやあれに触れることは、それだけで命にかかわるだろう。
「おい最弱! 知っているか? 火トカゲには武器がまだあるんだ!」
「何を――」
フィオの手の周りが、わずかに揺れる。
「そぉおれぇ!」
右手が、中空を裂くように振るわれる。
「――――っ!」
瞬間、何か赤いものが、まるでそこに道があるかのようにぼくに迫る。今度は剣道を考える余裕もなく、横跳びでそれをよけた。
視線はフィオから離すことはできないのだが、後ろから何かが倒れる音と何かが燃える音がしている。考えるまでもない。さっき中空を走ってきたのは、火だ。
今までの魔法は地味だと思っていた。〝火トカゲの目〟は跳べば避けられるし、〝火トカゲの尾〟もそれ自体に触れなければ問題はない。〝火トカゲの鱗〟は〝目〟の強化版のような魔法だった。威力は段違いだが、しかし、それでも地味さが残っていた。人々が恐れるくらいだ、もっと派手な何かがある。そう思っていた。
「くひひ、忘れるなよ。火トカゲには〝爪〟があるんだ」
忘れるなよも何も、ぼくがいた世界に火トカゲなんていない。
「そうだな、覚えておくさ。でもフィオ、これも忘れるなよ」
「くひひっ。なんだよ、言ってみろ」
「ぼくは世界最弱だけど、世界の希望でもあるんだぜ?」
フィオは一瞬、呆けたような顔をしたが、すぐに破顔し、燃える村の中に笑い声を響き渡らせた。腹を抱えて笑うフィオは、ぼくを見ているものの、その目は明らかにぼくを馬鹿にしている。
自分につけられた傷も忘れ、ぼくという最弱を笑っている。
「笑わせてくれるなあ。なあ、世界最弱!」
やっと笑いが収まったフィオは、ぼくを指差しながら言った。
「ぼくには自覚がないんだけどね?」
ちらり、とアランさんのほうを見る。彼は小さくだが、確かにうなずいた。
「さあフィオ――〈燃え盛るフィオ〉! 戦いを再開しようか!」
「くひひ! いいぜえ!」
と、フィオが一歩踏み出そうとした時、彼の前に白い光が現れた。それは彼の眼前で漂っていて、徐々にその光は弱くなっている。
「なんだこりゃあ?」
フィオが不思議そうに目を細める。
光が消えると、その部分の空間が割れた。割れた空間から、燃えている巨大な何かが猛烈な勢いでフィオに向かって飛び出した。
「ぐおあぁあ!」
わけがわからず立ち止まっていたフィオに、燃える何かが直撃する。やがて裂け目が無くなると、フィオに向かって飛び出したものがよりはっきりと見えた。
燃える何かは、木だった。フィオによって焼かれ、倒れてしまった木が、フィオを襲ったのだ。
「くそがああ! てめえ、クソ野郎! ゴミみてえな野郎だから殺さないでやったのによお!」
木がはねのけられ、畑だった場所に落下した。地が泣く音がする。
フィオが立ちあがり、その両手に熱を帯びる。
「待て! フィオォ!」
慌ててフィオを止めようと走るが、木によって跳ね飛ばされたフィオはすでに、ぼくの間合いから遠くはずれている。
「燃えちまえ!」
二本の光が奔り、それが見えた瞬間、フィオの姿が消えた。
「アランさん!」
アランさんは目の前の出来事に対応しきれず、その光に呑まれた。断末魔の叫びと共に、地面に倒れ、ゴロゴロと地面で転がる。
そこにさっきまで姿の無かったフィオが姿を現し、その灼熱の尾でアランさんを貫いた。
「邪魔なんだよ――」
ざくざくと、何度も尾を抜き差しする。
もはや、アランさんの声は聞こえない。動くこともなくなっている。けれど、フィオの尾は止まらない。
「俺と最弱の邪魔をするな。生意気なんだよお。わかる? わかんねえよな? くひひ!」
憎悪にゆがんでいた顔が、悦楽の色をたたえはじめる。
ざくざく。
ザクザク。
次第にその音に水音が混じり始めた。
ぐちゅぐちゅ、と。
びちゃびちゃ、と。
アランさんだったものは、その形を失っていく。
「フィオオオ!」
「よお。世界最弱。くひひ、もう邪魔はいねえ」
存分にやろうか。
「フィオ――お前……」
どうして殺した、なんてそんなものは愚問だ。
ぼくたちがしているのは殺し合い。わかっている。だから、死人が出てしまうことは当たり前だ。当たり前なんだ。ぼくはフィオを殺そうとしているし、フィオはぼくを殺そうとしている。アランさんが殺されたのも、アランさんがフィオを殺そうとしたからで、フィオは殺し合いの中でアランさんを殺した。わかっている。これはそういうルールだ。勝った者が生き残る。当然だ。これは殺し合いなんだから。
「お前――」
だから、今は泣くな。泣いたら涙で視界が悪くなる。悲しむなら後だ。今は戦うことに徹底しろ。生き残ることに徹底しろ。
理性がそうぼくに語りかける。
「お前は――ぼくが殺す!」
「くひひ、じゃあ――俺はお前を喰うかねえ。魔力のない体は、どんな味だい?」
フィオはやっとアランさんに尾を突き立てるのをやめた。フィオの足元を見れば、『それ』はもう元が何だったのかはわからなくなってしまっている。あたりにまき散らされた血が、それが生き物だったのであろうと思わせるだけだ。
「ああ、味わってみるといいさ。お前が最弱でないのなら!」