第二十四話『マツリの準備』
突然だが――困惑するくらい突然だが、ぼくはあまり女の子と縁がなかった。顔がかっこいいということもなく、学力も運動能力平凡。可もなく不可もない人物――それがぼく。
良く言えばふつう。
悪く言えば目立たない。
性格も見ての通り。
とりあげるべき事柄がない、それがぼく。小学校中学年くらいまではバレンタインのチョコをもらった記憶があるけれど、それ以降、チョコをもらった記憶も、ましてや恋愛をした記憶もない。
だから必然、この〈邂逅〉に送られてきたメッセージによって、ぼくのテンションが少なからずハイになるという結果が引き起こされる。これは不可避の現象であり、決して――断じて、ぼくが軽い男であるというわけではない。
「おおおおお」
緊張と興奮で震える手で、腰につるした〈邂逅〉を胸の前まで持ってくる。
『こんにちは、ヒジリさま。まさかササ村にいるなんて思いもしませんでした。偶然って怖いですね。あ、本題なのですが――』
ここで改まった雰囲気が、声から伝わってきた。どうやらよもやま話に花を咲かせるために、メッセージを送ってくれたわけではないようだ。
『――ヒジリさまならもうお気づきでしょうが、この〈邂逅〉はレミアさまが送るように仰ったものです。きっとお伝えしたいことでもあるのでしょう。それで、早速ですが、レミアさまがお話したいことがあるそうです。都合が良い頃合いを教えてください。……今は他の人たちの手前、この辺で失礼します』
最後はささやくような、小さな声だった。これでぼくの推測が正しかったことが立証されたけれど、なんだか複雑な気分だ。さっきの緊張と興奮を返してほしい。いやまあ、勝手な話だけど。
「いつでも構いません。レミアさんの手が空いている時にお願いします」
言い終わると同時、青い光が消える。どうやらこれ、最大の録音時間の他に、音声認識による録音時間の調節も行っているようだ。なかなかハイテクなアイテムである。
「魔法ってすげぇな」
玉をしまおうとした時、また白い輝きを放った。
「はやっ! まさかレミアさんって暇なのか?」
当然そんなことはなく、白い玉から流れてきたのは『彼女』の声だった。
『あらかじめ伝言は頂いていますので。では、これからレミアさまからのお言葉を――「貴方が生きてササ村まで到達していることが、素直にうれしいですよ。魔を一体倒したそうですね? ギースから聞きましたよ。王都のすぐそばに魔の死体が転がっていた、と。貴方がやったのでしょう? アレはマグという魔でして、少し名の知れた存在です。貴方、なかなかやりますね。あとひとつ、どうやら他の国から、貴方と同じ境遇の者が遣わされたようですよ。詳細はまだ不明ですが、一応、伝えておきます」だそうです。こちらからの話は以上です。くれぐれもお体を大切にしてくださいね』
そして白い光は青へと変わる。
ぼくは、何も言わなかった。
いや――言えなかった、というほうが正確かもしれない。的確かもしれない。今聞かされた話は、ぼくにとって大事件だ。ぼくと同じように、同じような境遇でこの世界にやってきた人物がいるということは。
その人物もまた、世界最弱なのだろうか。世界最弱の身で、世界最強を倒さなければならないという任務を背負っているのだろうか。
わけもわからぬまま、この世界にやってきたのだろうか。
ぼくが知りえるわけがない。ただ、ぼくがその人物に出会わないということは、きっとないだろう。こうして旅を続けていれば、いずれ出会うことになるだろう。いや、出会わなければならないだろう。
確信――否、運命めいた何かを感じながら思う。
出会うしかないのだ、と。
青い光は、元の白い光に戻っている。
その日の晩、夕食を食べた後、ぼくは家から出て村の中を歩いていた。外に用があったわけではないのだけど、無性に出たくなったのだった。
祭りの準備も、この時間になると終了し、明日に回されている。日中見たやぐらも、すでに完成しているようだ。あのやぐらの上では、一体なにが行われるのだろう。こういう形式の祭りは経験がないので、どういうものなのか想像がつかない。
「こんなところにいたのか」
突然、後ろから声がした。振り返ると、ボトルとグラスを手にしたアランさんが立っていた。アランさんがぼくにグラスのひとつを差し出す。グラスを受け取ると、アランさんがボトルの中のものをグラスに注いだ。赤い液体で、さわやかな香りが漂う。アルコールのようなにおいも混じっているから、果実酒だろうか。
「この村は壁がないんですね」
「ん? ああ、そうだな。作っても意味がないからな」
「え?」
聞き返すと、アランさんがグラスをあおった。
「考えてみな。壁なんか作ることに何の意味がある? あいつらがその気になれば、壁なんて一瞬で無くなるさ」
「ないよりはマシ、ではないんですか?」
「どうなんだろうなぁ。まあ、たしかに数秒は違うかもしれないな」
数秒。
それは戦いにおいて、生死を分かつ決定的な時間だ。
「そう、戦いにおいては、な。一方的な蹂躙においては関係のない些細な時間さ」
「一方的な――蹂躙」
「そうさ。この町には戦えるやつなんてほとんどいない。人口も少ない。戦闘向けの魔法を扱える人口となれば、両手で数えられるだろうな」
「騎士団は……」
「いない。騎士団の人員だって無限じゃないんだ。まずは都市から守るのが定石だろう」
それが当然だというふうに、アランさんは赤い液体を飲みほした。ぼくもそれにならって、グラスを傾ける。
「この村のことはまあいいじゃないか。それよりヒジリ、お前、傷の調子はどうだ? まだその魔法を使ってきたやつの魔力が残ってるから、痛みはあるだろうが」
「もうほとんど痛みはありませんよ。すこしヒリヒリする程度です」
攻撃を受けた時のような、身が焼けるような痛みはない。
「そうか。それはよかった。それが心配だったんだ」
「心配をおかけしま――」
「しっ!」
突然、アランさんがぼくの口を押さえ、厳しい面持ちであたりを見回す。
「今すぐ家に戻るぞ」
うなずくと、アランさんもうなずいて、ぼくから手を離した。
「説明は後だ」
そう言って、アランさんが駆ける。ボトルもグラスもその場に残し、わけも分からず後に続く。一体何があったというのだろうか。アランさんの態度の変わりようは異常だ。
アランさんの家が見えた時、あの感覚がぼくを襲った。
――不吉。
黒くて暗い、身ぶるいをするようなおぞましい雰囲気。
それから逃げるように、ぼくは家に駆けこんだ。息切れしながら、アランさんのほうを見る。もしかしたらぼくは、とても情けない顔をしていたかもしれない。
「気づいたか」
「……魔、ですね」
「ああ。ただ通りかかっただけならいいんだが……」
「今も近くにいますか?」
魔力を感じとることができないぼくには、それを確認する方法がない。ぼくが感じるあの『不吉』も、とても曖昧なものだ。今回のような状況なら確信にいたるが、それ以外の場合はあまり効果が期待できない。事実、旅の道中で何度かそれを感じたが気のせいだった。
一度奥の部屋へ行き、剣と盾を持ってくる。
「どうだろうな。俺もそこまで細かくは感知できないんだ……っておい、そんな装備じゃ駄目だ。こっちの装備を持ってろ。貸してやる」
そう言ってアランさんが取り出したのは、一振りの剣と盾だった。手に取っただけでわかる。これは今までぼくが持っていたものよりも、圧倒的に良いものだ。
アランさんにお礼を言おうとした時、戸をたたく音がした。
「アラン、いるか!」
外から若い男の声が聞こえる。
「ああ。早く入れ」
答えるや否や、ドアが開いて三人の男が上がりこんできた。騒動に気付き、奥からローズさんとヴァンが出てきた。
ローズさんはその原因を察しているらしく、その手をヴァンの肩に添えている。ヴァンはよくわからないといった様子で、不安げにぼくたちを見回している。
「あの野郎、この村の周りをうろついてやがる」
三人の中で一番若い男が言った。背は高いが体は細く、あまり肉体労働はしていないように見える。年齢はぼくより少し上だろうか。
「個体名はわかるか?」
アランさんが問うと、背の高い男は首をふった。
「わかるわけねえだろ。俺は戦士じゃねえんだ」
この事態に混乱しているのだろう。男はひどく取り乱した様子だ。
「やめろ、テリー。冷静になれ」
長身の男――テリーを止めたのは、三人の中で最も年上と思われる男だった。こちらはテリーよりも少し背が低い。ただ、筋肉質で頼もしい体つきをしている。もう一人の男も筋肉質で、どうやらテリーだけがそうではないようだ。
「アラン、とりあえずプリムラに手紙を送ってくれないか。心視姫に伝われば、騎士団を派遣してくれるかもしれない」
「あのうろついている奴の出方次第だが、ここへの被害が最小限で済むかもしれん」
アランさんはうなずいた。最初からそうする予定だったのだろう、男たちが話している間に紙とペンを準備していた。
「テリーはここにいろ。魔の感知を続けてくれ。二人は集会所にみんなを集めろ。戦えるやつも全員だ。全員で守れ。ローズとヴァンも先に行っていろ。俺も後から合流する」
男ふたりはうなずき、ローズさんとヴァンを連れて家から出て行った。ローズさんとヴァンは不安げな目でアランさんを見ていた。
テリーだけがこの家に残る。
「俺がここに残ることに意味はあるのか?」
テリーが訝しげに聞く。
自分も彼らと一緒に行きたかったのかもしれない。
アランさんは書く手を止めず、視線も上げないままで言う。
「ここにいる三人は第一防衛線だと思え」
「三人?」
ここで初めて、テリーの目がぼくを見た。
「お前、誰だ」
「ぼくはヒジリ。旅人ですよ」
値踏みするようなテリーの視線に耐える。
「魔力がないじゃないか。手負いで魔力がないやつが戦えるのか?」
自分が戦士じゃないと言っておきながら、ずいぶんな言い草だ。けれどここは我慢だ。こんなどうでも良いことで喧嘩なんかしていられない。
「問題ありません。それで、魔に動きは?」
問題がないわけがない。戦えるのかと聞かれれば、うなずくことはできる。しかし、勝てるかと問われれば、なかなかそうはいかない。
「ない。まだうろうろしてる。距離が離れてるから判然としねえが、川のあたりとこの村を行ったり来たりしてるな」
川と村。
それにどんな意味があるのだろう。
『大丈夫ですか! 今、レミアさまにお伝えしました! レミアさまからの伝言を今から言います!』
プリムラの声が、部屋に響いた。どうやらすでに手紙を送っていたらしい。プリムラはここまで言うと、大きく深呼吸をした。落ち着いて正確に伝えるためだろう。
『「イカガカのマール騎士団に派遣を要請しました。二つ返事で了承してくれましたので、この伝言が届くころには出発しているでしょう。下手な刺激はせず、冷静に対応してください」とのことです。ヒジリさま、いますよね? みんなのこと――』
「やつが動いた!」
テリーの声で、プリムラの声はかき消された。
「魔力量が――大きくなってやがる!」
「なんだと!」
そう聞き返したのは、果たしてぼくだったのか、アランさんだったのか。
「こ、こっちに……近づいてくる」
ガタガタとテリーが震える。
「ぼく――行きます」
「あ、おい!」
アランさんが慌てた声を出す。
「この中にいても、魔法で一発ですよ」
苦虫をかみつぶしたような顔で、アランさんがうなずく。
「テリー、お前は裏口から逃げろ」
ぶんぶんとうなずくと、猛烈な勢いで駆けだした。それを無様だとは、決して思えない。
アランさんと家を出る。外は月の明かりに照らされ、視界はそれほど悪くない。注意深く周囲をうかがう。
「ヒジリ」
アランさんが顎をしゃくる。その先、赤々とした尾をゆらゆらと振る、一体の魔がいた。
「くひひひひ! さあさあ! 始めようかあ!」




