第二十三話『ササ村』
翌日、アランさんの許しを得て、家から出た。日の光が、想像以上に気持ち良い。今まで毎日のように浴びてきた光だが、昨日は一歩も家から出なかった。それが関係しているのだろうか。ふと、自分の腕を見ると、肌が日に焼けていた。
さすがに、毎日歩いて旅をしていたら焼けるか。
腕――というよりも、足が太くなった。だんだん、自分じゃなくなっていくような感覚がある。こちらに来て旅をして、それに伴う当然の変化ではあるが、それゆえに――こちらの世界に染まっていく感覚があるのだ。
村の様子は慌ただしかった。明後日に控えた祭りの準備をしているのだろう。畑で仕事をしている人もいるが、その人達も声がかかると祭りの準備を手伝いに行っている。広場になっているところがあり、その中心にやぐらのようなものが組み上げられようとしている。ヴァンはあれの周りで踊るのだろう。
「おや、傷はもう大丈夫なのかい?」
声をかけてきたのは、鍬を担いだ男性だった。
「はい。お騒がせしました」
「なに、気にするこたぁないさ。もし急ぎの旅じゃないんなら、明後日の祭りを見て行きな」
「はい。そうしようと思ってます」
「そうかそうか。ま、今は準備中だから何もないけどな」
はっはっは、と豪快に笑いながら、男性は歩いて行った。残されたぼくは歩みを再開する。整備が全くなされてない道――いや、道というよりも、平地に家が建っているだけという印象を受ける。壁もなく、頼りない柵が設けられているだけだ。果たして、これで魔の脅威から身を守れるのだろうか。疑問だが、今まで大丈夫だったのだから、まあ、なんとかなるのだろう。
やぐらの奥、細長い建物の前に、ヴァンと数人の子供が並んで立っていた。遊んでいる様子でもなかったので通り過ぎようとしたのだが、ヴァンに見つかって声をかけられた。
「もう大丈夫なの?」
「ああ。この通りさ」
「ヴァン、この人だれ?」
ヴァンの他には、四人の子供がいた。内二人は女の子だ。ヴァンに質問をしたのは、この五人の中で一番背の高い男の子だった。
「えっとね、ヒジリお兄ちゃん。旅人なんだって」
「旅人ぉ!」と、四人の子たちの声が重なる。不審そうにぼくを見ていた視線が、一変、憧憬にも似た熱を帯びる。そんな目で見られるのは初めてで、どうにもこそばゆい。全身がむずむずする。
「でも――」
と、一人の女の子が言った。
「――お兄ちゃん、魔力を感じないよ? ううん、ほんの少しだけ感じるんだけど、とっても小さいよ?」
「あ、本当だ」
他の子もそれにうなずく。ぼくは女の子の言葉に違和感を覚えたけれど、それが一体どうしてなのかわからなかった。
「ぼくはその……剣士なんだ」
苦しい言い訳だが、しかし、あながち嘘でもない。魔法が使えないのだから剣で戦うしかない。剣で戦う人のことは、一般に剣士というのだからうん、ぼくは嘘を言っていない。
「でも……なあ」
「うん」
「そう……だよね」
などと、曖昧にうなずく。いや、首をかしげている。
「あ、でもでも、魔力がないといけないってわけでもないよね!」
ぼくに魔力がないと言った少女が、フォローするように言う。同情されているのだろうか。
「そうだよ。全くない人は初めてみたけど、強さは人それぞれだってお母さんが言ってたよ」
わかったもう言うな。
同情されているんだな、理解した。
「ま、まあ――ぼくなんかのことよりも、だ。きみたちはここで何をしてるの?」
「えっとね、明後日のお祭りで踊る踊りの練習をしているんだ」
ぼくの質問にはヴァンが答えた。
「へぇ、ということはきみたち五人が踊るんだ」
「うん、そうだよ」
ヴァンが答え、残りの子たちもうなずく。
近くに指導者らしき人物は見つけられないけれど、今は休憩中なのだろうか。ぼくと話しているのだからきっとそうなのだろうけれど、これ以上話しこんでしまうのも良くない、か。
「そっか、それじゃあ練習、がんばって」
子供たちは元気にうなずき、乱れた列を整えた。みんなが建物のほうを見ているから、指導者が出てくるのを待っているのかもしれない。この光景を見ていると、学校の部活を思い出す。ぼくはどこの部活にも所属していなかったけれど(バスケ部だったけれど、それも小学生の頃だ)、なんとなく懐かしく思う。日常に見る光景のひとつであり、それだけで元の世界のことを思い出させる。
子供たちから離れ、またやぐらのほうに戻る。やぐらの周りには男たちが集まっていて、むさくるしい男の臭気を発しながら、やぐらを組みたてる作業が進んでいく。その作業をしている男たちの中に、 アランさんがいた。太い木材を肩に乗せ、慣れた様子で運搬している。
すごいな。ぼくならあんなもの、数メートルだって運べないだろう。
邪魔になってはいけない。作業場から離れる。
畑。
畑。
小川、というよりも用水路。
畑。
林。
小川。
林。
「なんだろうな。全然違うんだけど、地元みたいだ」
街灯がない道のほうが、ある道よりも多い。基本的片側通行で、数えるくらいの道で両側通行。道路のアスファルトから視線を上げれば、見えるのは木と山。開発という開発はほとんどなされず、コンビニですら、五年くらい前に初めて登場した。最寄り駅という言葉はなく、バスは一時間に一本か二本。市街地を指して『下』と言い、もっと山に入った地域を『上』と言う。そんな町。ちなみにこの『下』と『上』は、川の流れの方向から来ているのだろうと考えている。当然、市街地に住む人には通じない。
田舎。
歴史の教科書なんかで、この村に似た絵を見たことがあるような気もするが、それは偶然の一致でしかないだろう。ぼくたちの世界に――魔法はない。
きっとこれは既視感――というやつだ。
見たことがないものを、見たことがあるように感じているだけだ。
「そういえば、地元を思い出すの、久しぶりかも」
思い出す暇もなかった、ということなのだろうか。変な獣に襲われてみたり、強奪されたり、魔に襲われたり――考えてみるとぞっとしない話だ。よくもまあ、一介の高校生だったぼくが生き残っているものだ。
すぐに死んでしまうかもしれない。
そう思っていたのに――。
と、ぼくの左側が急に明るくなった。白い可視の光が溢れている。
「え?」
光っているのは〈邂逅〉だ。『彼女』から贈られた手のひらサイズの玉。魔術的な物質で作られていて、やはり魔法でしか壊せないらしいので腰につるしていたのだ。
初めてこの玉に送られてきた『彼女』の言葉。さて、彼女は一体、どのようなメッセージを送ってくれたのだろう。