第二十一話『通信魔法』
「心視姫はゼノの娘だ。だから、俺たちは心視姫を『女王』とは呼ばない」
あくまで、姫。
その区別はきっと、気分だけのものなのだろう。いくら姫と呼んだところで、実権を握っているのはあくまでも――どこまでいってもレミアさんだ。その事実だけは変わらない。
「心視姫がどういう思惑を持って行動をしているのか、俺たちには想像もつかない。人間に紛れて生活する中で、人間に肩入れをするようになったのかもしれないし、一見そう思わせておいて、実はそれすらも策略なのかもしれない」
疑えばきりがない、ということか。
「でも、ならばどうして、ぼくを魔の長――ゼノの討伐に向かわせるんです? しかもこの世界の人間ならまだしも、異世界のぼくを」
この世界の人間を討伐に向かわせるなら、まだわかる。不安要素を排除するために、わざと過酷な状況で戦地に赴かせることだって考えられなくはない。しかし、ぼくは異世界の人間だ。しかも、どうあがいてもこの世界の誰よりも弱い――世界最弱。そんなものは、決して脅威にはなりはしないだろう。仮に脅威になったとして、こちらの世界の誰かが召喚しなければ、ぼくはこちらにやって来られない。
不安要素の排除が目的なら――ぼくをこちらに呼んだ時点で、目的と矛盾している。
排除の為に呼び寄せる必要なんて――ない。
「ああ……わかっているんだ。俺たちも、な。心視姫はきっと……俺たちの利益の為に動いてくれている。わかってはいるんだ。でも、やっぱり信用しきってしまうのは難しい」
だから、話半分。
レミアさんの話は話半分に聞いておけ、か。
「騎士団を設立したのも心視姫だ。騎士団に魔の狩り方を教えたのも心視姫だ。だから、だから……信用してもいいのかもしれない」
でも信用しきれない。
それはきっと、ぼくたちが人間だからだ。
頭ではわかっていても、それが事実なのだと理解していても――認めたくない。
認められない。
そういう現実を突きつけられる時は、きっと少なくない。信じたいことを信じられないのと同じように、信じられないことを信じなければならない時もある。
「でも――やっぱり、な」
難しいんだよ。
アランさんは、力なく言った。
「それでもぼくは……彼女を信じるしかありませんから」
この世界から帰る、その目的のためには。
彼女を信じることが絶対条件だ。
「そうだな。悪かったよ、お前の決意を揺るがすようなことを言って」
沈黙が訪れる。重たい、重たい沈黙だ。
部屋の外から聞こえる音が、やけに大きく聞こえる。
沈黙を破ったのは、その外からの音――少年の声だった。
「父さん、入っていい?」
「あ、ああ」
アランさんが慌てて返事をする。入ってきたのは、小学生高学年くらいの少年だった。筋肉質ではないが、引き締まった体。日に焼けた小麦色の肌。薄い栗色の髪。顔はなんとなく、アランさんと似ている。口元、だろうか。
「あ、目が覚めたんだね!」
少年が駆けよってくる。
「君がぼくを見つけてくれたの?」
「うん! 良かった、元気になったみたいで」
にこにこと、無邪気な笑みで言う。
「ぼくはヴァンっていうだ。お兄ちゃんは?」
「ぼくは聖。よろしくね、ヴァン」
ヴアンは、へへ、と笑うと、しかし、少しだけ寂しそうな顔をした。
「本当はお姉ちゃんがいるんだけど……」
「ヴァン」
ヴァンの言葉を、アランさんが遮る。それはとても厳しい声だった。
「お姉ちゃんのことは、今はいいだろう。今は会えなくても、お前が大きくなれば……」
最後は、アランさんの申し訳なさそうだった。
「そんなこと言って、もう何年になるのさ!」
ヴァンは叫ぶと、部屋から飛び出した。物理的な破壊力を有しそうなほど大きな音をたててドアが閉まり、部屋にはまた、重い空気が漂い始めた。
「はあ……」
アランさんがため息をつく。その表情は沈鬱で、声をかけることもためらわれる。
「あの子には姉がいてな、年は……そうだな、ちょうどお前くらいだ。このうちは貧しいから、王都の方に出稼ぎに行ってるんだ」
「王都に、ですか」
このササ村がどのあたりにあるのかはわからないが、イカガカの最寄りの村らしいから、王都とは相当離れている。ぼくも王都からやってきたが、すでにいくつの夜を迎えたのか覚えていない。
前よりも伸びた、肩よりに少し届かないくらいの髪が、月日の流れを感じさせてくれる。
「ああ。時折魔法で話をすることはあるんだが……」
「やっている仕事が問題なんですか?」
出稼ぎならイカガカでもよさそうなのに、王都までわざわざ赴いている。色々な理由が考えられるけれど、そこは問題視しないほうが良いだろう。ぼくが関知するべき問題ではないだろう。
「いや、一般的に考えれば全く問題はないんだ。城の召使いだからな。しかし、顔が見えんから、ヴァンも心配してな」
城の召使い、か。レミアさんを心視姫と呼ぶアランさんのことだ、娘がその下で働くことに複雑な心境なのだろう。感覚としては、人質にも近いものがあるのかもしれない。
「そういえば、お前は城から派遣されてきたんだよな? プリムラっていう娘なんだが、見かけなかったか?」
プリムラ、ねぇ。
プリムラといえば、花の名前だったか。どんな花だったかは覚えていないけれど。
しかし果たして、ぼくはそのプリムラなる子と会ったのだろうか?
「名前を聞いていないので合っているかはわかりませんが、ぼくと同じくらいの女の子が召使いをしてましたね」
『彼女』がそうならば、ぼくはとんだネタバレを受けたことになる。
「本当か? どんな子だ!」
よほど心配だったのだろう、アランさんはぼくの両肩を掴んだ。心配が力に変換され、ぼくの肩に痛みが走る。
「つぅ――」
「あ、す、すまん」
はっとして、アランさんは椅子に座りなおした。
「そうですねえ……服はまあ、メイド服でした」
「メイド服?」
「ああ、召使いの人が着る服ですよ」
メイド、という言葉はないらしい。
「薄い栗色の髪で肩くらいまで伸びていました。肌色は白かったですね――」最後に会ったのはずいぶんと前のことなのに、どうしてだか鮮明に思い出される。「――利発そうな顔立ちでした」
そういえば、ヴァンの髪色も薄い栗色だったか。共通項はないでもない、のか。
しかしそれだけでは、決定的とは言えない。
「……情けない話、顔を見てないからな。それに成長もしているだろうし、わからんよ」
小さい頃の顔ははっきり思い出せるが、今会ってプリムラだと気づく自信はない。
アランさんは自嘲気味に笑う。
その笑みは、あまり見ていられるものではなかった。
「そういえば、娘さんからは通信が届くんですよね? アランさんからは送れないんですか? というか、手紙や物は送れるのでしょう?」
手紙が送れるならば、簡単な手紙を書いて送ればいい。それでぼくのことを聞くのだ。もし『彼女』がプリムラであるならば、ぼくが知っている限りのことをアランさんに話せば良いのだ。
「そうだな。やってみるか」
アランさんはうなずく。
「けれど、おそらく返答はプリムラ自身の魔法で届くだろうな」
「どう違うのですか?」
「俺の魔法〝小人の贈答〟は、物だけを送ることができるのに対し、プリムラの魔法〝風の音〟は、声だけを送ることができる。この手の魔法は、送られてきてからしばらくの間は、返答の時間があるんだが、プリムラは仕事柄、手紙を書く時間を惜しむからな」
「となると、ぼくには聞こえないわけですね?」
声は目に見えないものだ。ぼくの予想では〝風の音〟は、いわゆるテレパシーのようなものなのだろう。
「まあ、そういうことだな。あ、いや待て、聞くこともできるな」
「そうなんですか?」
直接脳に響いてくる、というようなものではないようだ。それとも、同時に複数の人間に送ることができる、ということなのだろうか。
「〝風の音〟のような魔法には、それ専用の受信機を作ることができるんだ。声を周りの人間にも聞けるように、な」
「ぼくにはまず、〝風の音〟のような魔法の仕組みがわかりません」
仕組みがわからないことには、その受信機なるものの仕組みも理解しづらい。
「そうだったな。〝小人の贈答〟や〝風の音〟のような、通信系の魔法はな、送る対象の魔力の波長を知っておく必要がある」
魔力の波長、か。となると、ぼくには決して送れないということか。
魔力を持たないぼくには。
「そう。そして、同時に一人にしか送れない。そこで考えられたのが〈邂逅〉だ」
アランさんが取り出したのは、白い光を弱弱しく放つ玉だった。手のひらサイズのそれが、どのような力を発揮するのだろう。
「この〈邂逅〉に〝風の音〟を送れば、声がこれによって周囲に伝えられる。玉から声が聞こえるんだ。問題は、ひとつの邂逅につき、一人だけしか対応させられないということだな」
つまり、この〈邂逅〉はプリムラ専用、ということなのだろう。
「まあ、それはいい。さて……でも送るのは夜か」
たしかに、夜くらいしか空いている時間はないだろう。「夜か」と言ったアランさんの表情は、少しだけ寂しそうに見えた。
「今日はゆっくり休め。外を出歩くなよ」と、そう言い残し、アランさんは部屋を出て行った。残されたぼくは、何をするでもなく、窓から外を眺める。
ササ村は農村のようだ。この窓からだけでも、いくつかの畑を見ることができる。田舎育ちのぼくには、その光景が懐かしく映った。村の人たちには笑顔が溢れていて、ここでの生活に満足しているように見える。
けれども、本当はどうなのだろう? 出稼ぎに出なければならないというのなら、稼ぎ口がこの村にはないのではないか。となると、この村も経済的に困窮しているのではないだろうか。まさか、この家庭だけがそんな状態にあるなんて、そんなことはあるまい。
「ぼくが考えることじゃない、か」
言葉は悪いが、ぼくには関係のないことだ。助けてもらった身ではあるけれど、それとこれとは話が別だ。関わって良い問題と、いけない問題がある。この場合は、明らかに後者だ。
関わったところで、責任が持てない。
関わっても良いというのなら、そのプリムラ――可能性としては『彼女』のことくらいだろう。しかし、次のプリムラからの連絡が届かない限り、『彼女』とプリムラはイコールでは結ばれない。
届いたとしても、結ばれないかもしれない。
でもやっぱり、どちらにしても、ぼくは関わるべきではないのかもしれない。
『彼女』は『彼女』のままにしておくのが、アランさんたちにとってはどうあれ、ぼくにとっては良いのかもしれない。
結論なんて出るはずもなく、レアンさんからもらった木の実をひとつ食べて、眠ることにした。荷物のほとんどは水浸しとなり、台無しになっていた。ギースさんに書いてもらった紹介状は、はやくも使用に耐えない有様となっている。しかしまあ、今は体力の回復が最優先だ。
日本語に英語のルビ、みなさんは字がつぶれずにきちんと見えていますか?