第十九話『勝敗よりも生存』
世界最弱。
それはぼくに冠された、不名誉極まりない称号だ。異世界からこの世界に召喚され、世界に混乱を招く魔の討伐を言い渡されたぼくは、しかし、この世界の誰よりも弱い。
個人差はあれど、この世界の全ての人は魔法を操ることができる。しかし、それがぼくにはできない。魔力というものは、ぼくには全く備わっていない。この世界の生物の前提となる部分が――基本となるものがない。
ゆえに――最弱。
世界最弱。
けれども、ぼくはすでに魔を一体、討伐した。ということは、ぼくは最弱ではないのだろうか。否、ぼくは最弱だ。どうしようもなく――最弱だ。
「くひひっ! てめぇ最弱なのか? 傑作だねぇ。くひひ」
けたけたと、顔を傾けながら笑う。
ピエロ。
ぼくはこいつから、ピエロにも似た不気味さを感じていた。
「最弱ねぇ……じゃあ、さっさと食べられてほしいところだねぇ」
じりじりと、というよりも、すたすたと。
警戒の色もなく、無策に無作為に、魔はこちらに近づいてくる。やつが近づいてくるにつれ、嫌な感覚が――不吉がぼくを包む。間合いがつまる。三メートルくらいだろうか。この距離は、すでにお互いの間合いだ。
剣を鞘から引き抜く。
「魔力付与はなし、か。くひひ」
魔力付与。
武器や防具、魔法具などに施す魔法的な強化。レミアさんは魔力付与された装備品をぼくが常時装備することは、ぼくの体がもたないと言って、ぼくに魔力付与した装備を与えてはくれなかった。
「では、くひひ――始めようか」
両手を広げ、にたぁ、と嫌な笑みを浮かべた。
「〝火トカゲの目〟!」
「……ひとかげ?」
魔を中心に、赤い光が地面に広がる。熱を帯びたそれは、ぼくたちを囲むように広がっていく。赤い光は焦げたにおいを誘発させている。とっさに跳びあがり、その光を避ける。土の焦げたにおいが、鼻をくすぐる。
「くひひ……」
着地して気づいた。あの赤い光は――火だ。火の勢いは弱まっているが、地面のところどころに、まだ火が残っている。
「〝火トカゲの目〟……」
おそらく、今の光――火の魔法の名前なのだろう。前に遭った魔は、あの光線を放つ時に名前を言ったのだろうか。
――そんなことはどうでもいい。
そんなことよりも、これからどう戦うかだ。距離はまだ、五メートルほどある。一応間合いではあるが、それはあくまで、届くというだけの話だ。それに、もしあの時の魔のように、自身の体を強化できるなら、的確な場所に攻撃を仕掛けなければならない。
手持ちの武具は、剣と盾。それから、リヴィルで購入したナイフが一本。さて……これで何ができる? むやみに突っ込むことはできない。冷静に考えないと。
「くひひ……来ないのかぁ? そーれっ! 〝火トカゲの尾〟」
今度は尾か。
しかし、魔法名を宣言したにもかかわらず、特に何の変化も起きなかった。
「なんだ?」
周囲には何の変化も起きなかったが、あの魔の後ろが妙に明るい。
「こういうことさ。くひっ」
ゆらり、と魔の後ろから一本の尾が姿を現した。灰色とは違う、赤い尾。
火トカゲの尾。
腰のあたりから伸びたそれは、一メートルくらいの長さだろうと思う。
「地味だって思ってる? くひひっ、仲間内じゃあ〈燃え盛るフィオ〉で名前が通ってるんだ。くひひ」
こいつはフィオという名前なのか。いや、それこそどうでもいい。
〈燃え盛るフィオ〉という二つ名から、なんとなく、どういう魔法を扱うのかはわかる。さっきの〝火トカゲの目〟と〝火トカゲの尾〟は、その二つの由来となったものだろう。そして、それだけではないはずだ。レミアさんは、魔は圧倒的な力で襲ってくると言っていた。ぼくはまだ、それほどの破壊を見ていない。
魔――フィオが地を蹴り、こちらに向かってくる。鋭い爪でぼくを貫こうとするのを、盾で防ぎつつ、受け流す。甲高い音が鳴り、左腕がしびれた。衝撃でよろけているところに、〝火トカゲの尾〟が追撃を仕掛けてくる。間一髪、盾で尾を払う。
「あぐっ!」
〝火トカゲの尾〟を防いだ直後、左腕に猛烈な熱が走った。熱さに耐えきれず、盾を投げ捨てる。盾は川の中に落ち、ジュッという音がした。一瞬触れただけであれだけの熱を持たせるのか。これは直に触れたら、かなりマズいな。一刻も早く、あの尾をどうにかしないと。
剣を構え、フィオと対峙する。〝火トカゲの尾〟がゆらゆらと揺れる。これがゲームなら、あの尾に攻撃をすればいいはずだ。しかし、実際には、あの尾は強力な熱伝導能力を持っている。下手に触れれば、こちらの身が焼ける。ならば、ゲームのセオリーよりも、命を取ることのセオリーに従うのが大切だ。
頭。
首。
胸。
腹。
腰。
腹と腰は表裏だから同じ択として、四択。あいつの動きはそれほど速くはないが、かといって、容易に触れられる速度ではない。
フィオがもう一度ぼくを貫かんと、腕をのばしてくる。剣で払おうとしたところで、その軌道は大きく変わり、腕の代わりに赤い尾が襲ってきた。あまりに突然のことで、それをよけようとして体勢を崩し、転んでしまった。こけた時に手をつくなんていうことはしない。あれは自殺行為だ。こけながら体をよじり、背中から倒れる。肺に衝撃が伝わり、息が漏れた。
すぐに体勢を立て直し、いまだぼくに背を向けるフィオの右肩を剣で突く。一撃必殺を狙いたいが、尾が邪魔だ。なるほど……物理攻撃しかできない相手なら、〝火トカゲの尾〟だけで背中が守れているのか。いや、ぼくが未熟なだけか。
剣が肩に届きそうになった刹那、突然、尾が地面を叩いた。地表がめくれ、大小の石が飛散する。
「ぐあ!」
飛散した石が、肩と腹に当たった。体勢が後ろに傾く。痛い。痛い――熱い!
「ぁぁああああ!」
熱い!
〝火トカゲの尾〟によって熱せられた石がぼくに触れ、それによって身を焦がすような熱が襲ってくる。無様にも地面を転がり、川に落ちる。流水に体を冷やされ、少しはマシに――ならない! 気休め程度にはマシになったが、熱さそのものは全くなくならない。
「ぐうぅぅぅぅ」
これは、これは――これは! 熱伝導じゃない!
「あれ? 世界最弱はどこだ? くひっ! なるほどねぇ……魔力が無いやつは探知ができねぇ」
探知が――できない?
――なんだ……人間いないのか。
――どこだ! どこにいやがる!
なるほど……そういうことか。前に遭ったあいつは、魔力で人の居場所を探っていたのか。だから目の存在は、基本的に意味はないのか。しかしわかったところで、この事態は好転するのか?
考える。
考える。
「くひっ! あー……まさか、最初の尾で死んだ? ちゃんと目で見て確認するべきだったなあ」
死体はどこだろう?
フィオがきょろきょろと、周囲を見回している。
――逃げろ!
逃げることが惨めなものか!
今は逃げて、勝てるようにならなければ……。
ジリジリと体が焼かれる。川の流れに従い泳いで――流されてしまおう。幸い、剣は手に持っている。これがきっかけで錆びてしまうかもしれないが、それはもう仕方がないことだろう。
一度、フィオの様子を探るべく、川面に顔を出す。フィオはまだ、地上を見まわしていた。
「くひひひ! もう面倒くさい! 死亡確認がめんどうだから、一帯を燃やしちゃえ〝火トカゲの鱗〟ぉ!」
瞬間。
〝火トカゲの目〟とは比べ物にならないほどの、圧倒的な火力が――暴力が、地上を這った。勢いはとどまることを知らず、岩山を焼いた。後には質の良さそうな石炭が残った。
もういい。これ以上の様子見は危険すぎる。焼ける体を左手で抱きながら、ぼくは水の流れに乗った。
それにしても、どうして魔はああも面倒くさがりなのだろう?