第十七話『お前がそうであるように』
小屋は木造で、二、三人で生活するくらいなら十分な大きさに見える。ヤンさんは先に小屋に入ると、「戻ったぞー」と言った。
「誰かいるんですか?」
ヤンさんに続いて小屋に入ると、木のテーブルといすが並んでいて、そのひとつに男の人が座っていた。男の人は細身で、髪が長い。ひ弱な印象を一見すれば受けるが、すこし見てみると全身に筋肉がついていることがわかる。
「誰だ、そいつ」
細身の男がぞんざいに言った。明らかに歓迎されていない。
「いやはや、昨日会ったんですわ。旅人だそうで、ひとまず今日だけここに泊ってもらおうと。あの山道で会うのも何かの縁でしょう」
「名前は?」
男は面倒臭そうに頭をかき、苛立ちのような諦めのような、曖昧な表情でぼくを見た。
「聖っていいます」
「ヒジリ? 珍しい名前だな。俺はヤンの相方のレアンだ。よろしくする必要はない」
「は、はあ……」
「レアンさん、そんなに邪険にしなくても……」
ヤンさんが慣れたようにレアンさんをなだめにかかる。レアンさんは、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ぼくは本格的に嫌われてしまったようだ。
「ま、まあ、こんな奴ですが悪い奴じゃないんで。ヒジリさんは奥の部屋でくつろいでいてください」
案内された部屋には、不思議と何もなかった。さっきの場所には雑多に荷物が置かれていたのに対し、この物の無さは何だろう。光と換気の為だけにあるような小さな窓、申し訳程度のベッドと役に立ちそうにもない机。環境はあまり良くないが、まあ、突然現れたうえに部屋まで貸してくれているのだから、文句を言う筋合いなんてないだろう。
屋根と壁があるだけで、感謝するべきだ。
「それに行商って言ってたから、ここも中継点のひとつでしかないんだろうな」
山の中に小屋がひとつあれば、そこで時間の調節と体力の回復ができるのだろう。それだけができれば良い、ということなのかもしれない。
荷物を部屋の隅に置き、ベッドに倒れこむ。やわらかさのかけらもないベッドだけど、温かくはあった。こちらに来てからどれだけの時間がたったのか、もはや思い出すことも難しいけれど(日にちの感覚がかなりあやふやになっている)、元の世界での生活がとても恵まれていたことに気付かされる。
「ふあぁ……」
何かできることがあれば、ヤンさんの手伝いをしようと思っていたのに、どうしてぼくは、こうも睡魔に襲われやすいのだろう。ちょっと……考えておかないといけないかも、しれない。
食事のあと、彼らも明日発つということで、すぐに寝ることになった。レアンさんは結局、ぼくとは一言も言葉を交わしてはくれなかった。ぼくを空気だと思うようにしたらしい。
生活感が全く感じられない部屋にひとり、ぼくは明日の準備をする。この小屋にはもうひとつ部屋があるらしく、ふたりはそこで寝ているらしい。大丈夫だろうか? ぼくが心配するようなことではないけれど、一緒に行商をしているといいながら、あまり仲が良いようには見えなかった。そのちぐはぐさが合っている、のだろか。
本当にぼくが考えることじゃないな。
もう寝よう。
ガサガサ、という音で目が覚めた。
「ん? あれ?」
手足が自由に動かない。依然として音は続いていて、それはとても近い。
室内は真っ暗で、外から入ってくる明かりすらない。自分の手すらも見えない暗闇だ。
「おい、ヤン、起きたぞ」
「へぇ? もう? それはそれは、お寝坊さんの勇者さんにしては上出来ですな。いや、でもやはりお寝坊さんですが」
「ヤンさん! レアンさん!」
どういうことだ? 一体ぼくは、どういう状況に置かれているんだ。
「うあっ!」
起き上がろうとして、体をよじると、どういうわけかベッドから落ちた。腰を強く打ちつけ、一瞬、絶息する。
「ったく、静かにしていろ。ああ、そうだ。お前、金は持ってないのか?」
レアンさんが冷徹な声で言う。
「昨日聞いた話じゃあ、それほど持ってないとは言っていましたがね」
ここにきて、状況がわかってきた。
要するに。
ぼくはだまされたんだ。
「人聞きが悪いですな。ヒジリさんが勝手にわたしたちを信用しただけですわ」
ヤンさんの言葉が、ぼくの胸に殴りかかる。
「ふん、こいつになんて言われたが知らんが、初対面の人間をそうやすやすと信用するな、ということだ。そんなことでは……剣と盾が泣くぞ?」
「ぼくをどうするつもりです」
「どうもしませんよ。わたしらの目的はあくまで金なんですわ。まあ、次の町で困らないように、銅貨百枚は残しておきますよ。もっとも――それ以下しか持っていないなら、全額いただきますが」
銅貨百枚だって? ぼくの所持金の大部分が持っていかれてしまうじゃないか! 見つけられる前に、拘束を解かないと!
手足を縄で縛られているこの状況を、どうやって切り抜けるか。手は後ろに回ってしまっているし、足首で縛られていては立つこともままならない。ぼくは魔法も使えないし、漫画のキャラクターみたいに隠しナイフを持っているわけでもない。力づくで縄をちぎるなんて芸当も、できるはずがない。
「おい、まだか?」
いらだちを込めた声で、レアンさんが言う。
「真っ暗ですんでね、音だけが頼りなんですわ。もう少し待ってください」
「もうこいつも起きちまったんだ。明かりをつけても同じだろ」
「ああ、それもそうですな。じゃあ、明かりを取ってきますんで」
足跡がして、ドアが開く。足音が遠ざかり、部屋からいなくなったことがわかった。
「ったく、まぬけが」
声をよく聞いてみると、その声が自分の隣から聞こえていることにきづいた。かなり近い。
「ふん、おいヒジリ、別に殺しゃあしねぇから、抵抗なんて考えるなよ? 俺らが欲しいのは金だ。食料だって盗らないんだ。良心的だとは思わないか?」
確かに、この手の輩にしては良心的だとは思う。ここでぼくを殺してしまう方が、圧倒的に楽だし安全だ。この世界に警察と呼べる組織がどれほどあるのかわからないけれど、全くないわけではないだろう。だとすれば、ぼくのような存在は殺しておくに限るはずだ。
でも――殺さない。
「ぼくを殺しておく方が、リスクは減るんじゃないですか?」
「馬鹿か。全面的に信用する気は全くないが、むしろかなり疑っているが、一応、この世界を救う――魔を殺しに来たんだろう? 殺したら一抹の望みも断たれるだろう」
「それは事実だと言っておきますよ。成功するかどうかはわかりませんがね」
「他人事だな。自分の命だろ?」
「自分の命だからですよ。無責任に『絶対に倒します』なんて言えません」
「ふん、気持ち悪い奴だな」
「どうとでも。それより、どうしてそんな一抹の希望を抱く相手にこんな仕打ちを?」
「わかってないな。俺らにとっては対象なんて誰でも良いんだよ。生かすか殺すか、その差でしかない」
「ふぅん?」
「お前がこの世界を救うように――俺らは金を盗る。それだけのことだ」
ぼくがこの世界を救うように、か。
「それにしても遅いな、ヤンのやつ」
レアンさんが愚痴を漏らした時、ちょうどヤンさんが現れた。手にあのランプを持っていて、ヤンさんの顔がおぼろげに浮かんでいる。
「すいませんね。では、失礼して」
火の位置が、ぼくが荷物を置いたところまで移動する。
「おやおや、ふぅん」
「どうした?」
「いえ、お金をたっぷりとお持ちなんでね」
そりゃあ、王都からほとんど使ってないから入ってる額は大きいだろう。
「駄目ですなあ、行商でもないのにこんな大金を担いで旅をするなんて……あれ? 銅貨がないんですか? 仕方ないですねぇ、銀貨一枚だけ残しておきますんで」
「できれば全額置いておいてほしいですけどね」
「それは無理な相談ですわ。レアンが言っていた通り、わたしたちにはこれしかないんですわ。恨まんでください」
「……」
「はい、確かにちょうだいしましたよ。ああ、ヒジリさんに差し上げた木の実の効用は本当ですから、ちゃんと食べてくださいね。では、わたしたちはこれで」
火の明かりが部屋の外に消える。隣から足音が聞こえないから、レアンさんはまだここにとどまっているのだろう。
コツン、という音が耳元でなる。
「縄を切ってやろうか? ただし、手の縄だけだが。どうせ切るスキルもないんだろ?」
「お願いしたいですね」
答えると、レアンさんは「ふん」と冷たく笑った。
「初対面の人間を、簡単に信用するなと言っただろう。そんなことでは――いつか痛い目に遭うぞ」