第十六話『早起きは三文の徳』
魔法。
RPGやファンタジーなんかでおなじみの、人智を超えた力。その力の源となるモノは作品によって異なるが、一般的に、その力のことを魔力と呼ぶ。魔法の中には死者を復活させるようなものが存在し、特にゲームではよく用いられる。考えてみれば、もし本当にゲームの世界においてそんな魔法があるとするならば、老化以外で人は死なないのだろう。
死んでもよみがえるのだろう。
少し怖いと思う。
だからきっと、死者蘇生の魔法は、チートのようなものなのだろう。主人公たちにのみ許された、世界の均衡を崩してしまう禁術に違いない。
「おやおや、それはそれは――数奇な運命を歩んどられるようで」
行商の男はヤンと名乗り、両手を広げ、芝居がかったしぐさで言った。
「それでは、あのリヴィルでの滞在期間はとても面白いものではなかったですかな? あの町は我々から見ても、珍しいものであふれとりますから」
えー……っと、どうだったかな。
思い出してみても、どうも珍しいものはなかったように思う。というよりもなによりも、観光というものをしなかったように思う。
「いやー……何と言いますか、気付かなかったです」
「なんと!」
まるでぼくが罪悪でもあるかのように、ヤンさんは言った。恐ろしいものを見るように、ぼくを見た。
「それは罪悪ですよ!」
本当に言った。
「あの町に行ったのに、どうして観光をしないという選択肢があるのでしょう! ああ、神よ! 我らが神よ! この少年を罰さないでください!」
ぼくがしたことは、そんなに悪いことだったのだろうか。
芝居かかった台詞を続ける。
「そんなことでは――そんなことではヒジリさん! ヒジリさん! あなたは生きることに損をしてしまいますよ! ええ、損ですとも! 商業都市リヴィルはその町の最奥! 最奥こそ最も見どころだというのに! その様子だとヒジリさん、あなたは宿場と表通りの店にしか行ってないのですね! ああ、もったいない! なんともったいないことか!」
胸の前で両手を握り、祈りのポーズをとった。この大げささは、舞台の上では大層映えることだろう。
「…………」
そんなことを言われたら、ぼくとしても損をしたなという気になる。しかしだ! 今から道を引き返すというのはどうだろう。すごく間抜けに見えるし、時間がもったいない。ここまで来るのにも何日かかっていると思ってるんだ。ダメだ、ダメダメ。今から帰るなんて、そんな選択肢はない。
「まあ、この世界に来たばかりだというのだから仕方ありませんか。その荷物を見る限り、それほど金銭的に余裕もないようですし」
そう言ってぼくを見る。
なぜだろう? この時だけ一瞬、じっとりとした視線に思えた。
「まあ、そうですね。苦労してますよ」
お金なんて、どんな場合でも持っていないことにしておく方がいい。自分が金持ちであるという自慢は、ただただ盗んでください、だまし取ってくださいと言っているようなものでしかない。
「ところでヒジリさん――今日はここで野宿でしょうが、明日、わたしのうちに泊りませんか? この寒空だ、そうそう野宿ばかりでも大変でしょう」
「え? いいんですか? ありがとうございます」
反射的に答えて、しまった、と後悔した。勘違いかもしれないけれど――気のせいかもしれないけれど、さっきのあの視線が気になる。
「あ、やっぱ――」
「おお、それはよかった。まあ、うちと言っても私は行商ですんで、ボロ小屋と同義ですがねぇ。しかしまあ、壁と屋根があるだけマシでしょう」
そう言うヤンさんからは、さきほどのような嫌な感じは受けなかった。さっきの感覚は本当勘違いだったのかもしれない。そんなに簡単に人を疑ってはいけないだろう。
ヤンさんはリュックから木の実を取り出し、自分とぼくの間に置いた。赤い実で、みかんくらいの大きさだろうか。皮は硬そうだ。
「これは?」
「これは旅人に好んで食べられる木の実でして、滋養強壮の効果があるんですわ。おひとついかがですかな?」
ヤンさんは石を拾うと、木の実に何度か打ちつけた。皮が割れて、中から白い果肉が姿を現した。酸っぱいにおいが漂う。硬い皮に反して、果肉は柔らかそうだ。
「じゃあ、いただきます」
果肉は酸味が強く、ほのかな甘みがあった。いくつも食べるのは厳しいが、ひとつかふたつ食べるのなら、とてもおいしく食べられる。
「どうですかな?」
「おいしいですね。こんなに酸っぱい果物、食べたことがないですよ」
一番近いのはレモンか。しかしもしかしたら、この酸っぱさはレモンをも凌駕しているかもしれない。
「それはよかった。どれ、この実はたくさん持っていますんで、いくつか差し上げますよ」
「え? わ、悪いですよ」
「いえいえ、ヒジリさんはこの世界を救う勇者さまなんですからねぇ。この程度の投資……もとい、支援はさせてくださいよ」
ぐいぐい、と木の実を寄せてくる。
「それじゃあ、頂きます」
木の実を五つ、革袋に入れた。
ヤンさんは満足そうにうなずくと、毛布を取り出し、それにくるまった。
「申し訳ないが、わたしはもう休みます。明日も歩かなければなりませんからねぇ」
「は、はあ……おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
ヤンさんは目を閉じ、間もなく眠りに落ちた。寝入る早さも行商の技術なのだろうか。休めるときに休む、という精神でいたら、そういう技術が身につくのかもしれない。ぼくはまだその境地には達しておらず、ときには不眠に悩むことすらある。
「でもまあ、寝るかな」
これ以上起きていても、何も得るものはないだろう。
翌日早朝、ヤンさんに起されて、重たい瞼をこじ開けながら食事をとった。
ヤンさんに先導してもらい、山道を進む。朝露が草木を濡らしていて、木漏れ日がそれに反射している。
「いやはや、それにしても勇者さまはお寝坊ですな」
苦笑交じりにヤンさんが言う。
「そうですか? そうでもないと思いますけど」
日もそれほど入ってきていないし、まだ日が明けて間もないような気がする。しかし、ヤンさんはそう思っていないようで、呆れたようにため息をついた。
「もう、昼が近付いとるんですがねぇ」
「え?」
「これだけ木が覆い茂っていたら、そりゃあ暗くなりますとも。こう言う場所では、昼夜は把握しづらいんですわ」
なるほど。それは気付かなかった。ということは起こされたのは早朝だと思っていたが、それほど早い時間でもなかったということか。
「何度も起こそうかと思ったんですわ。しかしながら、寝顔を見たら気が引けましてねぇ」
「すいません……」
ぼくが寝坊していた分、進行も遅れてしまったわけだ。これは少しペースを上げないといけないかもしれない。
「まあのんびりと行きましょう。山道を歩くのも初めてだと思いますんで、慣れることが大切ですわ」
すべてお見通し、ということか。旅慣れした人物は観察眼に長けていて、なかなかどうして油断ならない。
お互い、口数が少なくなった。山道は凹凸が多く、歩くことにも神経を使う。それに加え、森の湿気と日光の少なさ、不気味な動物たちの声があって、話をすることすら億劫に感じ始めてきたのだ。
旅慣れしたヤンさんでもそうなのだから、ぼくがそれに耐えうるはずもないのだ。
「おや」
ヤンさんはそう言ったかと思うと、指先に火をともしていた。
「どうしました?」
瞬間、ヤンさんの目の前に拳くらいの『何か』が現れた。
「困ったものです」
ふっと手をかざすと、それは燃えて灰となって地面に落ちた。
「今のは?」
「肉食の虫ですわ。このあたりにもいたんですねぇ、ここはよく通るんですが、気付きませんでしたわ」
気をつけてくださいよ。
それからまた、何事もなく進んでいく。あの虫が登場したおかげで少し、話をすことになったのだが、結局、もとに戻った。
どれだけ歩いただろうか、元々あまり明るくない道がさらに明るさを失った頃、ヤンさんの明るい声が響いた。
「おお、そろそろですよ――ヒジリさん!」
「え? 本当ですか?」
「こんなことで嘘をついてどうするんです。ささ、頑張って歩きましょう」
人っていうのは現金なものだ。
どれだけ疲れていても、足が棒のようになっていても、目標が――終わりが見えてきたら、力がわいてくるものだ。そうする作業効率があがっていくわけだが、まあ、失敗をすることもある。
「うわっ」
地面に出てきていた木の根につまづいて転んでしまった。
「大丈夫ですか? あんなボロ小屋、あわてなくても逃げませんよ」
「はは……そうですね」
喜びの感情を表に出せる自分が素晴らしい!
なんて、自身に照れ隠しをするぼくだった。