第十五話『魔法は実在した』
「それじゃあ、ぼくはこれで。お世話になりました」
町の外に出る門の前まで、アーシャとノエルさんが送ってくれた。
「ああ。気をつけてな」
「また来てくださいね」
うなずいて、ぼくは門の外に足を踏み出した。振り返ると、二人は小さく笑った。それにつられてぼくも笑い、手を振る。ノエルさんはそのまま立っているだけだけど、アーシャは深くおじぎをした。
しばらく歩いたところで――ぼくがもう一度振り返ろうとしたところで、門が閉まる音がした。
がしゃん、と。
鉄の音がした。
「ふぅ……また、ひとりか」
そう思うと、さっきまで――ついさっきまでの時間が恋しくなる。誰かの声が聞こえない――自分の声しか聞こえないというこの状況は、たしかに思考には適しているけれど、しかし、精神的に辛いものがある。
正直に、赤裸々に言ってしまうと、寂しい。
それはきっと一過性のものだ、そう思う。王都から出た時もそういう思いはあったけれど……いや、あの時はリヴィルに到着するのが早かった。それほど重症化はしなかったのだったか。
久々に見た町の外は、当然、壁などない。無限に広がる景色が、ぼくの視界を埋め尽くし、これからの旅の長さを物語る。世界は広い。広い世界を、ひとりで歩き続ける旅。
「旅の道中でも何かできることがあればな……」
魔に会いたいとは決して思わないけれど、飽きが生じる。景色は綺麗だけれど、あまりに単調すぎる。
緑の草原。
遠くに見える山脈。
緑、緑、緑。
たまに白と茶色。
「RPGの主人公って、こういう気分なのかな?」
呟きに応えてくれる人はいない。
ううん、仕方ないことだけど、やっぱり堪えるな。
ふと、後ろを振り返る。リヴィルの壁はまだまだ大きく見える。徒歩での移動速度の限界、というやつか。まあ、まだ早い時間だし、これからだ。
現在、ぼくは西に進路をとっている。ノエルさんに地図を見せてもらったところ、その地図が正確であるという前提で語れば、工業都市イカガカ(言いにくい名前だ)は山間部にあるらしい。都市、とは言っても、やはりリヴィルや王都のように壁に囲まれ、ぼくたちが一般にイメージするような大きさではないのだろう。
この世界は三つの大陸と、その間にひとつの島があり、いたるところに小さな島が点在している。ぼくがいるこの大陸は、この世界では最も大きいようだ。王都からリヴィルまでは近かったが、リヴィルからイカガカまでは遠いようだ。道中、小さな町や村があることを祈りたい。
今もぼくはレトアノ街道を歩いているわけなのだけど、この街道はどこまで続いているのだろう。この島の都市と呼ばれる町全てにつながっているのだろうか。地図には街道が記されていなかったから、そこを確認することはできなかった。
同じ調子で二日ほど歩いたところで、ぼくは少し、先に進むことをためらった。
「ううん、まさか山を越えなくちゃいけないとは思わんよ……」
どうしてこの世界の住人は、そういう大切な情報を伝えてくれないのだろう。ぼくを試しているのだろうか。もしそうなら、やれやれ、ぼくを過大評価しているようで困る。ぼくはそんなに対応力のある人間じゃない。
ぼくの行く手を阻む山は、一見すれば険しい山なのかどうなのかはわからないが、人の往来があることはわかる。地面は踏みならされて道となっていて、行商の道となっているのだろう。
「止まってても仕方ない。行こう」
久々に坂道を歩いている気がする。大陸の東側は穏やかな地形で、ほとんどが平原だった。街道沿いにずっと川があった。それが一変、この山である。
しばらく登ると、ギーギー、という声が聞こえ始めた。それが鳥なのか獣なのか、ぼくにはわからない。
わからないうちに、また新しい声が聞こえた。洞窟の奥から響いてきているような、重厚な声だ。
陽があまり届いていないからだろうか、少し肌寒くなってきた。木々の間から落ちてくる木漏れ日が、温かく感じるほどだ。木々は高く伸びていて、幹は太い。葉も青々としていて、山に元気があるように思える。鳥なのか獣なのか判然としないものの声も大きくなり、いよいよ山の奥に入ってきているようだ。
「あー、でも入る前に山の大きさくらい確認すべきだったよな」
至極当然のことに今頃思い至るあたり、どうも間が抜けている。そもそも、それなりの装備もせず、山に入ることが間違いであるように思う。
後悔しても遅いから、しないことにする。反省だけしておこう。
水がわいている場所があり、そこで夜を明かすことにした。ここまで道が続いていたということは、この湧水を経由するように人が往来しているということなのだろう。湧いた水はどこかへ流れることなく、わき出してすぐ、山にしみこんでいく。わき出た水を手ですくい、一口だけ飲んでみる。水は透き通った味がして、とてもおいしかった。おいしかったのだけれど、とてつもなく冷たかった。元々体は冷えていたのに、その上から冷たいものを飲むなんて……。
木々が覆い茂る中、まさか焚火なんてできるものだろうか。あたりに岩肌があるわけでもない。あるとすれば、この水がわき出ているところなのだけど、当然、湿気ていて火などつきそうにない。
「おやおや、まあまあ……珍しい、旅人さんですかな? しかも剣士さんとは……騎士団の方ですかね?」
突然後ろから声がして、ぼくは慌ててそこから飛びのき、声のほうを向いた。
「そう警戒をされますな。ただの行商です」
「行商?」
魔が跋扈するこの時代に、か? 王都にいた頃にも、物資で困っているような話を聞かなかったし、少なからずいるのだろうとは思っていたが……。まさか会うことになろうとは。
「はいな。毛皮と酒をね、扱っとるんです。剣士さんには……毛皮は必要なさそうですがね」
品定めするような目でぼくを見て、行商人は言った。行商人といっても、手荷物は背に負っているリュックだけで、他には何もない。身長が高いうえに太っていて、とてつもない巨漢に見えるが、その柔和な表情で和む。
「荷物は少ないんですね」
「ああ、今はこの山で木の実を集めとるんです。いやはや……少しばかり夢中になり過ぎて、山の反対側まで来てしまいました。そういえば、家を出てから何日目でしょうかね?」
なんて危なっかしい人だ!
「して、剣士さん。何かお困りようでしたが?」
「え? あ、ああ。火がなくて……」
食事は火がなくても大丈夫なものがあるから問題ないが、寒さはどうしようもない。アーシャが選んでくれたコートは暖かいのだけど、内側からの寒さにはどうしようもない。
「おやおや。少し待ってください」
そう言って行商人はリュックからアルコールランプのようなものを取り出した。
「それは?」
「酒を入れたもの瓶ですよ。火がつきやすいんですわ」
アルコールランプだった。
行商人はそれに紐を浸して、その先端に手のひらをかざした。
「何をしてるんです?」
「何をって……そりゃあ、あなた火をつけとるんです」
言った直後、ぽっ、と、火が灯った。
「わたしは魔力が低いですから、この程度しかできませんがねぇ」
「いえ……助かります。ありがとうございます」
これが――魔法。
これがこの世界に満ちている力か。まさか本当に人間も使えるなんて!
本当は寒いはずなのに、ぼくは興奮で寒さを忘れていた。ゲームでも小説でもアニメでも漫画でもない、リアルの魔法が、目の前に現れた。この興奮は、どうやって表現すればいいのだろう。
きっと、言葉にはできない。