第十二話『やはりお前は希望だ!』
「おはようございます」
フロントに下りると、アーシャがトーストとスープが載ったプレートを持って、こちらへと歩いてきていた。
「うん、おはよう」
「これ、朝食です。これからお部屋にお持ちしようと思ってたんですけど」
「あ、そうなの? じゃあ、もらおうか」
応えて、階段を上ろうとすると、アーシャに呼びとめられた。
「降りてきたのは、何かご用でしたか?」
「いや? 目が覚めたから下りてきただけだよ」
「そうでしたか」
部屋に戻ると、アーシャはテーブルにプレートを置いた。
「アーシャの朝食はこれから?」
今の時間は正確にはわからないけれど(時刻という概念もないらしい)、光の感じから、まだ日が出て間もないことがわかる。こちらの世界に飛ばされて、ぼくもどうやら早起きをする体質になったようだ。少しずつだけど、こちらの世界に適応してきているということか。
「まさか! もう食べ終わってますよ」
胸の前で手を振りながら、アーシャは笑う。
「そうでないと、お客さんに対応できないじゃないですか」
「あー、それもそうだね」
宿で働いていると、いつどんなことで呼び出されるかわかったものではない。ぼくはホテルの仕事を想像しながら、適当にうなずいた。正直、よくわからないからだ。
テーブルから離れたから、もう部屋から出ていくと思っていたのだが、アーシャはさっきまでぼくが眠っていたベッドに腰かけた。
「仕事はいいの?」
ふぅ、とため息をついたアーシャはいたずらな笑みを浮かべた。
「たまにはお客さんにも甘えたくなります」
「困った従業員だ」
トーストの味は、元の世界で食べていたものとよく似ていた。ただ、甘みがこちらの方が強く、噛めば噛むほど、それはより強く感じられる。スープの味は……何と言えばいいのか、不思議な味だ。少なくともあのお城では食べたことがない味だ。決してまずくないのだが、おいしいと声高らかにも言えない。不思議な味だ。
「どうですか? お口に合います?」
「うん、おいしいよ。でも、このスープは不思議な味だね? 何を使ってるの?」
「えっとですね、そのスープにはとある獣からとったダシを使ってるんです。あ、でもなんていう獣かは秘密です」
企業秘密、というやつか。どうやらこのスープ、ただ者ではないようだ。スープを飲み干し、トーストも食べ終えると、アーシャはなぜか不服そうにため息をついた。
「どうかした?」
「いえ、ヒジリさんがもう少しゆっくり食べてくれれば、わたしはもう少し休んでいられたな――と思いまして」
「はは、それは悪いことをしたね」
「冗談ですよ」
そう言って、アーシャは立ち上がった。けれど、ぼくには冗談には聞こえなかった。表情は笑っていたけれど、目だけは少し恨めしそうにぼくを見ていたのだ。
なんなら、少し休んでいけばいいのに。
「あ、そうだ。ヒジリさん、兄が待っているそうですよ? そう言っていました」
待っているといえば、昨日のことだろう。結局、ぼくはあの紹介状に何が書かれていたのか知らない。どんなことを書いているのだろう。
「うん、ありがとう」
アーシャはプレートを持って部屋から出ていった。
洗ってもらっていた制服に袖を通すと、なんだか新鮮な気分になった。王都を出てから今まで、服を洗っていなかったのだ。汗と土の臭いが染み付いていて、形容し難い異臭を放っていた。形は少し崩れてしまったけれど、そんなことは気にすることではない。
「新しいシャツと下着を買わないとな……」
考えてみれば、王都で少しくらい買っていても良かったのだ。名前も知らないあの人に声をかければ、買い物にも付き合ってもらえていただろう。
剣と盾、それからお金を持って宿を出た。町の朝は慌ただしかった。大人は通りを早歩きで歩いていき、子供は学校にでも向かっているのか、何人かの塊で歩いていた。特に何をするでもなく、ただぼうっと歩いているような人はいない。
「商業都市ってのは、慌ただしいものなのかね」
テレビの中だけで知っている、東京や大阪などの都市部を想像して呟く。実際に行ったことがないから何とも言えないけれど。それとも、ぼくが住んでいた町がのんびりとしすぎていたのか。
時折吹く風は、上から壁の内側に落ちてくる。王都でもそうだったけれど、強い風が吹けば、それだけで大きな音が鳴った。大きな建物が並んでいるのも、それを助長している。日本と違うのは、この町にはアスファルトがなく、車もないということか。空気は綺麗だし、騒音と言える騒音も、風が鳴く声だけだ。
騎士団の建物には、迷うことなく到着した。ぼろぼろの建物は、入ることにためらいを覚えてしまう。
中に入ると、ノエルさんと昨日の女性が座っていた。そういえば、女性の名前を聞いていない。機会があれば聞いてみることにしよう。
「おはようございます」
「おぉ、来たか。良く眠れたか?」
透明の液体が入ったグラスをかかげ、ノエルさんが言った。
「はい、部屋に着いた途端に寝ちゃいましたよ」
「よっぽど疲れてたんだね。じゃ、ノエル、わたしは奥に退散してるから、難しい話をしてて」
女性はぐっ、とグラスをあおって立ち上がった。
「ああ。別にお前も同席してていいんだぞ? 関わりがない話じゃないんだ」
「いーのいーの。騎士団長さんにお任せします」
「……補佐役の職務を果たせ、と声を大きくして言いたいね」
「書類関係は手伝ってるでしょ? ばーい」
「ったく」
呆れるノエルさんをよそに、女性は奥へと消えた。ノエルさんがぼくを手招きし、ソファに座るように促した。
「補佐役、ですか」
「ああ。あいつ、あんなんだが一応副団長なんだ。戦闘能力も俺より高いんだ」
強い人が騎士団長になる、というわけではないようだ。となると、ノエルさんは実力と人望があるということか。
「俺は強くなんてないさ。俺がこのポストにいるのは、ただただ仕事をこなせるからだ――さて、こんな話よりヒジリの話をしようか」
「そうですね」
「ああ、そう気負うな。別に紹介状には何も書いてなかった。お前の要望にできる限りこたえてくれ、それだけさ」
「さっぱりした内容ですね」
もっと小難しいことを書いているのかと思った。
「まあ、紹介状だからな。お前の身分がわかればそれでいいんだ。で、今何か困ってることとかないか?」
困っていること――か。なんだろう? 衣服のことは別に言わなくてもいいことだろうとは思う。戦闘指南も、魔に関することも他人に聞くな、と言われているし。ぼくが困っていることといえば、おおむねそのようなことなのだ。
そうか。
「あの……レミアさんに戦闘指南を受けるな、魔に対する知識を他人から得るなって言われたんですけど、どうしてだかわかります?」
これはぼくの中で、とても大きな謎だ。ぼくを世界最弱と称した彼女が、なぜか強くなるための知識を得ることを禁じている。生存率をいたずらに落としているようにしか思えない。
弱さを強さに変換する。
そうは言っても、それをするにしても知識は必要ではなかろうか。
「そんなことを言ったのか? ……なるほど」
「なるほどって……わかるんですか?」
「まあ、あくまで俺の予想でしかないんだが。あれじゃないか? 先入観を持たせないようにしてるんじゃないか?」
「先入観?」
「ああ。戦闘指南を受けるということは、その指導者のスタイルを学ぶということだ。それはとても有益だが、あくまでこの世界の戦い方だからな。お前の世界の戦い方をしろ――してみろ、ということだろう。知識のほうはそのままの意味だな。先入観は偏見を生む。自分で見たものを知識として昇華しろ――そういうことだろう」
「……うぅん」
そうなのだろうか。
「でもぼくの世界では、戦いなんてほとんどないんですよ? いや、戦争はあるんですが。信じられないかもしれませんが、剣や盾を使わないんです」
「え? 剣や盾を使わないで、どうやって戦うんだ。すごく興味がわいた。その「戦争」について教えてくれ」
ぼくはノエルさんに、戦闘機や戦車、マシンガンや地雷、そういう武器の存在を説明した。火薬がこの世界に存在していないらしく、説明はとても難しかった。何度も同じ説明を繰り返した。
「そのカヤクというのは、後でまとめて聞くからそれ以外を頼む」
ノエルさんはなかなか理解できない火薬を一度諦め、ぼくにそう促した。
「その火薬を使うと、銃から鉛という金属の玉が出ます。銃は進化した弓と思ってください。火薬は火を使うと爆発します。それを爆弾といいます」
それから戦争に用いられる兵器を簡単に紹介した。中学生の時に読んだ本の知識が、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「……そんなものが。恐ろしい世界だな」
「全くです。でも、爆弾は元々、工事のために開発されたんですよ。ダイナマイトっていって、それが人殺しに悪用され始めたんです」
「使い方次第、か」
「そうですね、この世界の魔法だってそうでしょう?」
ぼくは魔力というものを全く持っていないから、それがどんなものなのかがわかっていない。あの魔が放った魔法は破壊の為に存在しているものだろうが、使い方によってはそれこそ爆弾――開発当初のダイナマイトのような役割を果たせるだろう。
「魔法? そうか!」
「どうかしました?」
ノエルさんが聞きとした顔で叫び、勢いよく立ちあがった。
「リサ! リサ!」
奥から慌ただしい足音が聞こえ、さっきの女性が現れた。
「どうしたの、ノエル――やけにうれしそうな顔をして」
「魔に対抗する新たな手段だ!」
「え? それってどういう――」
ノエルさんはぼくに視線を移した。その目は希望で輝いている。
「ヒジリ――お前はやはり希望だ! その知識を俺たちに伝えてくれ!」
「はい?」
「カヤクで対抗するんだ!」