第十一話『無意識の緊張』
触れば木片が落ちてきそうな建物の前、女の子は立ち止まった。
「ここが騎士団のリヴィル支部です」
そう言って、扉を開く。開けた瞬間、女の子は少しだけ顔をしかめたけれど、それだけで特にためらうこともなく中に入って行った。ぼくは何も異変は感じなかったけれど――女の子には何か感じるものがあったのだろうか。もしかしたら、嫌いな人でもいたのかもしれない。
中にいるのは、騎士団のメンバーであろう二人の男女がテーブルをはさんで談笑をしている。女性がぼくたちに気付いて、よっ、と手を上げた。
「やほー、アーシャ。後ろの人はだあれ?」
上機嫌に声を上げる。そうか、この子はアーシャっていう名前なのか。
「町の人じゃないが……旅の人か?」
続いて、女性の向かいに座っていた男性が訝しげに聞いた。
「うん。さっきそこでたまたま会ったんだ。えっと……」
困った、という顔でぼくに振り返る。そこでぼくは、彼女に自己紹介をしていないことに気付いた。
「ヒジリっていいます。今日、この町に来ました」
「ふうん?」
女性が興味深げにぼくの全身を、舐めるように見る。少々居心地は悪いが、これを咎めたらなんだか負けのような気がする。
「そんな軽装でよくもまあ旅をするもんだね。ノエルも何か言ってあげなよ。この子、絶対に旅慣れしてないよ」
ノエルと呼ばれた男性は、「確かにな」とうなずいた。
「これはその……レミアさんが軽装で行けって言ったので」
「レミアさん? それってレミアさま―――姫さまがそう言ったのか?」
「え? はい。そうですけど」
答えると、途端にこの場にいるぼく以外の三人から、警戒の色が発せられた。女性が警戒を隠すこともせず立ち上がった。
「んー……何者?」
正直に答えたものだろうか? 言って信じてもらえるとも思えないし――いや、騎士団の人達なんだから事情はちゃんと話さないと、もしかしたら協力を得られなくなるかもしれない。
「えっと……何と言いますか、レミアさん――正確にはその側近の執事然としたエヤスという人に召喚されまして」
三人の表情は警戒から驚きに変わったけれど、ぼくは構わずに続けた。
「魔の長を討伐しろって言われて、半ば勢いで放り出されたんですよ。そういう境遇の者です。あ、これ、王都で知り合った騎士団の方からの紹介状です」
女性に紹介状を渡すと、女性は手渡されたものをしげしげと見つめ、ノエルさんに渡した。ノエルさんはそれを読み始め、読み終えると深いため息をついた。
「お前も大変だな。素直に同情するよ」
「はは……」
「ねえ、お兄ちゃん――なんて書いてあったの?」
「ん? ああ、おおむねさっきヒジリが話したような内容だよ。あとはまあ、サポートをしてやってくれってことか」
「ふーん」
今、すごく自然に会話が流れたけれど、そうか、ノエルさんとアーシャは兄妹なのか。あまり似てない兄弟だな……似ているとしたら髪の色が綺麗な栗色なところくらいか。
「ところでアーシャ、どうしてここにいるんだ? お前は店番をしている時間だろ」
「店番なんて……どうせ来ないよ。今のこの世界でさ、行商や旅人なんてそうそう……」
「……」
「ああ、いるね」
なんでだろう。
すごく注目されているのだけど。
「あ、あの、ヒジリさん――今日の宿はもう決まってますか?」
「え? いや、決まってないけど」
「じゃあ、うちに泊ってくださいっ! うんっ……と安くさせてもらいますから!」
「え? あ、はい」
半ば勢いに任せて押し切られた感じだが、泊まる宿も大きな問題だったのは事実だ。都合が良いといえば、都合が良い。
「ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げ、そのままの勢いで頭を上げる。そのアーシャの笑顔は底抜けに明るく、まぶしくさえ思えた。今まで生きてきて、まだまだ経験は浅いけれど――これほど明るい笑顔は、見たことがない。
「ほら、アーシャ――ご案内しろ。ヒジリも疲れただろう? 『これ』の話は明日しよう」
「あ、はい。あの、ここの騎士団長さんは……」
「ああ、俺だ」
宿へ向かう道中、アーシャはとても上機嫌だった。スキップをしているかのような軽い足取りに、歌を歌っているかのような弾んだ声――空に舞うような自由な身振りで、この町のことを話してくれた。
「この町はですね、その名前の通り――商業に重きを置いた町なんですよ。世界のあらゆる商品がここに届き、ここからさらに発信する――いうなれば商業、貿易の中心! この町が物流の中心なんです! なぜ? なぜなら、このリヴィルは王都をはじめとした様々な町や村と街道で結ばれているからです! 新興都市ともいち早く街道をつなぎ、物流を活発化させてきたのです!」アーシャは続ける。「だからこの町の人は、たいていお金持ちです。この町に住むほとんどの人は――何らかの貿易をしていますから。していなくても、商品を提供しています。提供する組合に入っています」
そこで、アーシャは言葉を切った。
「どうかした?」
「あ、いえ。こうやってお話していると、やっぱりうちはそれほど裕福じゃないんだなって、実感するんですよ」
「そうなの?」
「うちはその……宿屋ですからね。今みたいに魔が勢力を広げている時代だと、なかなか行商も旅人もいないんですよ」
それは確かに、そうだろう。あんな化物がいつ現れるかもわからない――そんな世界を旅しようなんて、思う人はいない。それでも行商や旅をするのは、それに――それ自体に大きな目的や必要性があるからだ。あの日、ぼくが出会った二人の男だって、そういう使命にも似た何かがあったに違いない。
「お客さんがいないと、やっぱり収入がないですからね……あ、すいません。こんな話ししちゃって」
「いや、気にしないで良いよ」
明るい話をしている最中、零れるように出てくる不満や不安は――その人の本音のようなものだ。隠していても、ひとりでに出てきてしまうものだ。
「それよりも――そんなことよりも、もし可能なら、夕食に果物を出してもらえたらうれしいんだけど」
「え? あ、はい」
この世界の果物なんて、どんなものがあるのかさっぱりわからないけれど。
「あ、そうだ。ヒジリさん――もし良かったら、明日、お兄ちゃんとお話が終わった後――一緒に買い物に行きませんか? ヒジリさんの旅支度をしちゃいましょう」
「あ、そうだね。お願いするよ。こっちの物価はまだあまりわからないんだ」
文字はエヤスさんの指導でなんとか読めるようにはなったけれど(といっても、自作の翻訳表が必要だけど。日本語に近い文法で助かった)、もしぼったくられでもしたら――そうでなくても高い店で買ったりしたら、有限の財がもったいなくて仕方ない。そう考えると、あの時の魔の死体を持ってこなかったのは悔やまれる。
アーシャの宿屋は、広場の一角にあった。とてもきれいな建物で、手入れが行き届いている。中に入っても汚れなんて目につかず、細かいところに施された飾りが宿そのものに気品を感じさせる。
「すごいね」
「そうですか?」
「うん。とてもきれいな宿だよ」
二階の最奥の部屋、日当たりがよく風通しもよい部屋だから、とアーシャが案内してくれた。アーシャは仕事があるのだろう、すぐに部屋から出て行った。
荷物を置いて、ソファに腰かけると、自分がとても疲れていることに気付いた。座ったすぐに眠気が襲ってきたし、足もなぜか座った途端に重くなった。抵抗するのも億劫になって、ぼくは襲ってくる眠気に身を委ねた。