最終話『そして勇者は日常へ』
「ぐっ――聖……どうして……」
ぼくが突き立てた〈揺光〉は、千紗の首ではなく右肩を貫いた。
「どうしてって、ぼくが千紗を殺せるわけないじゃないか。ぼくがさっきまで全力で〈揺光〉を使った攻撃ができたのは、千紗が絶対に避けてくれるっていう確信があったからだよ」
こうして話している間にも、〈揺光〉が千紗の魔力を吸い上げていく。千紗から力が抜けていくのが見ているだけでもわかった。
「よく言うよ。はは……ねえ、聖。聖はどこに住んでるんすか?」
「ん? きみ、今聞いてもちゃんと覚えてられないだろ? エヤスさんに伝えておくから目が覚めたら聞いたらいいよ」
そう言うと、千紗は弱々しく笑った。
「そうっすね……」
そして千紗は意識を失った。
「ふぅ……」
ぼくはすぐに〈揺光〉を引き抜き、服を脱いで千紗の肩と腹の傷口に押し当てた。
「終わりました! すぐに来てください!」
できる限りの声を張り上げ、離れたところから戦いを見ていたみんなを呼ぶ。
「死ぬなよ、千紗」
多少の傷では死なないとは言っていたけれど、失血で死ぬ可能性だってある。それに頼みの綱の魔力だって、〈揺光〉に抜かれてほとんど枯渇している。
真っ先に駆けつけてくれたのはローズさんだった。ローズさんはすでに包帯を持っていて、まず肩に包帯をきつく巻き付けた。さらにポケットから太めの棒を取り出すと、それを使ってさらにきつく縛った。
腹の傷は傷口を押さえての止血を行う。ぼくが押さえていたのだが、ローズさんと交代をして、ぼくはローズさんに渡された包帯で自分の傷を覆った。
ローズさんの処置は非常に手際が良かった。遅れて駆けつけたエヤスさんに千紗を城に運んでもらうように頼むと、エヤスさんはすぐに転移魔法で千紗を運んでくれた。
「お前は相変わらず持ち歩いてるんだな」
エレナさんが汗を拭うローズさんに笑いかける。
「もちろん。いつ何があるかわからないもの」
「助かりました」
「いいのいいの。それにしてもあの状況でよく彼女を死なせずに終わらせられたわね。誇ってもいいと思うわ」
ローズさんはそう言ってくれるが、ぼくにとってはこんなもの誇るようなことじゃない。相棒として戦い続けてきた千紗をあんなに傷つけて、その戦果を誇るようなことはできない。
「ヒジリさん!」
『彼女』が駆けよってきて、ぼくに飛びついてきた。突然だったけれど〈揺光〉による身体能力向上の恩恵を受けているぼくは、ひとまず転ぶこともなく『彼女』を受け止めた。ただこんな風に抱きつかれると『彼女』の服に血がつかないかが心配だ。あと地味に傷に障って痛い。
「心配したんですから! こんなに傷だらけになって!」
「全くだ。千紗にボコボコにされている時はどうなるものかと」
「どっちの味方をしてたってわけじゃなかったけど、さすがにあれを見たら応援したくなりました」
「うわぁあん」
その光景を思い出したのか、『彼女』が声をあげて泣き出してしまった。血とか土で汚れているのは元々だけど、『彼女』の涙やらよだれやら鼻水で、ぼくの体はもはやドロドロというかデロデロというかそういう非常に形容し難い様相を呈していた。
どうしたら良いか全くわからなかったけれど、とりあえず左手で『彼女』の背を抱いて、右手で頭を撫でた。
「おやおや聖、よくも母親の前でそんなことが――」
茶々を入れるエレナさんの頭をローズさんが軽く小突き、「うちの子がごめんなさいね」と苦笑した。
「あ、そうだ。まだ名前聞いてなかったよね?」
泣きじゃくる『彼女』に声をかける。旅から帰ってきたら名前を教えてもらう――そんな約束をしていた。実際その名前自体は諸事情から途中で知ってしまうというハプニングが起きたけれど、約束は約束だ。やっぱり本人の口から聞きたい。
『彼女』は涙とかよだれとか鼻水とかでぐじゃぐじゃになった顔を勢いよくあげて、
「プリムラです! 馬鹿!」
と、またぼくの体に顔を沈めた。
はは。ムードもへったくれもないな。
「そういえばプリムラ、ぼくの荷物は?」
『彼女』……プリムラは顔を上げずに右手で後ろを指差した。指差したほうを見てみると、地面に散乱したぼくの本と服があった。ぼくの荷物はプリムラの手にかかれば散乱する運命にあるみたいだけれど、まあそんな運命の荷物もあっていいだろう。
「もう……この子は」
ローズさんはため息をついて、散乱した荷物を持ってきてくれた。
「ほらプリムラ、そろそろ離れなさい」
ローズさんはプリムラの脇の下を持ち、小さな子を持ちあげるようにプリムラをぼくから引き離した。その時にプリムラは抵抗し、擬音でいえば「べりべり」といった風だった。
改めて体を見てみると、本当に酷い有様になっていた。こういう状況じゃなかったら怒っているレベル。こういう状況だから怒るよりも申し訳なさが出てくる。
「ほら、体をふきたまえよ」
エレナさんがタオルを投げてくれた。ローズさんもそうだが、どうにも準備が良い。もしかしたらあらかじめ千紗から話を聞いていたのかもしれない。
エレナさんが貸してくれたタオルで体を拭いて、ローズさんが渡してくれた服を着る。久しぶりに来た学校の制服は少しきつかった。身長も少し伸びているようだし、なによりも筋肉量が増えていた。肩のあたりが少し窮屈だ。ついでとばかりにズボンもはき変えたが、こちらはかなりきつかった。太ももの筋肉ががっちりとついていて、元の世界に帰ったら買い替えなければならなさそうだった。
「とはいえ……まだ通えるなら、だけど」
「ヒジリさん?」
泣きやんで涙を拭いたプリムラが不思議そうにぼくの顔をのぞき込む。
「なんでもないよ」
「あ、そうだ聖、ちょっとそこに座ってくれる?」
思い出したようにローズさんが手を叩いて言った。
「構いませんけど?」
言われたとおりに地面の上に座り込む。ローズさんを見上げると、ローズさんは懐かしいものを見るように目を細めた。
なんだなんだとみんなが見守る中、ローズさんはぼくの後ろに回り込んだ。みんなの表情を見ると、「あー」と納得するようなものに変わった。
何が起きるのかと待っていると、頭もとでシャキンという音がして、頭が少しだけ軽くなった。
「前にも切ってあげたのだったわよね」
「ええ……」
あの時のことを思い出すと、ローズさんに何も言えなくなってしまった。ただ黙ってローズさんが髪を切るシャキンという音を聞いている。
「聖が気に病むことはないのよ? 聖がいたから村が守られたんだから。あの人もきっとそう言うわ」
それは奇しくも、昨日プリムラから言われたことと同じことだった。返事もできず、ぼくはただ泣いた。ローズさんはそれからは何も言わず、淡々とけれど優しい手つきでぼくの髪を切った。
「はい、お待ちどうさま」
服に落ちた髪をサッサッと払い、ぼくの肩をトンと叩く。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
「あのローズさん、〈揺光〉をお返しします」
長い間助けられた愛刀をローズさんに返す。ローズさんはそれを大事そうに受け取って、「役に立って良かったわね」と〈揺光〉の鞘を撫でた。
そろそろ頃合いかと思って彼女を探してみたが、彼女の姿が見当たらない。
「どうかしましたか?」
「いや、レミアさんの姿が見えないなと」
「あら……そういえば」
「あーっと、あそこにいるな。ったく、ちょっと呼んでくる」
エレナさんが走っていき、遠くからこちらを見ていたレミアさんを引っ張ってきた。
「レミアさん」連れてこられたレミアさんの前に立つ。「今度こそ帰ろうと思います」
レミアさんは「そうですか」とうなずいて、地面に両手をついた。するとそこに不気味な紋様が浮かび上がり、白い光を発し始めた。
「それは……」
この門はあの森にあった石のステージに書かれていた紋様と同じだ。ということは……。
「ぼくを召喚した時に犠牲が出たとか言ってたのも嘘ですか」
犠牲がどうこう以前にひとりで魔法を使っちゃってるよ、この人。隠す気が全くない。
「はい。ああ言ったほうが引き受けてくれると思いましたので」
そして人懐っこい笑みを浮かべる。
「お前、悪女だな」
エレナさんは小声で言ったけれど、レミアさんは聞き咎めたようでキッとエレナさんのほうを見た。
「エレナは放っておいて、ではヒジリ。この紋の上に立ってください」
促されて紋の上に立つ。
聞きたいことはまだまだいっぱいあるし、話したいこともいっぱいある。けれどこれ以上ここにとどまれば、元の世界に戻るという目的さえもあやふやなものになってしまうような気がした。
プリムラがこちらに歩いてきた。
「あの……千紗に伝えてほしいことがあります」
ぼくはプリムラにぼくが住んでいる場所を伝えた。プリムラは難しそうな顔をして必死に聞いていた。聞き慣れない単語に混乱しているらしい。
「覚えました!」
「ありがとう。よろしくね」
はい、と返事をすると、
「ヒジリさん。また会えますか?」
紋の縁ぎりぎりに立って、今にも泣きそうな顔でぼくを見つめる。
「……」
どうだろうか。会えないと思う反面、いつか会えるかもしれないという思いもある。現実的に考えれば会えないのだろう。そもそも住んでいる世界が違うのだ。だけれど今こうして会っている。
じっと、プリムラはぼくの言葉を待っている。
「縁があれば、また会いましょう」
旅立つ前に言った言葉。
そして縁あって、再会を果たした。
「縁がなくても、です」
プリムラが儚げに笑い、ぼくの視界は黒く染まった。
転移が始まった――そう気づいた時には、すでに体の落下が始まっていた。上も下も右も左もわからないような速度で体が落ちていく。
そうして落下しているという感覚さえ麻痺し始めた頃、ようやく落下が止まった。しかも落下していなかったのではないかと思わせるほど自然に、静かにその落下は終わったのだった。
今立っている場所は、今では懐かしく思える自宅の玄関の前。雨が降っていて、そういえばあっちに行く前も雨が降っていたなと思い出す。
家族はどんな反応を示すだろう。
一発や二発殴られることは覚悟しておかないといけないだろうな。
自分の家に入るのに緊張するという何とも言えない状況に立ち、それでもなんとかドアに手をかける。
「ただいま!」
「おかえり!」
奥から聞こえたのはそんな、記憶にあるとおりの母さんの声だった。パタパタとスリッパをはいた時特有の足音を鳴らしながら、こちらに小走りで駆けてくる。
「雨降ってたの大丈夫だった?」
ああ――と、ぼくは気づいた。
「あら聖……あんたって、そんなにワイルドだったっけ?」
うちの母さんはどこか抜けている。
〈団結するココ〉――軍団突破
〈鏖殺するバハウ〉――共助関係
〈氷結するフェリル〉――共助関係
〈■■■■■■■■〉――討伐完了
〈俯瞰するゼノ〉――討伐完了
〈世界最強の勇者千紗〉――辛勝
【終章 本当に勇者なら】了
科学と魔法は何が違うって、魔法はなんでもありだということだ。魔法を科学みたいに理論やら論理やらに基づいて説明する必要はないし、きっと説明することもできないだろう。説明できないからこその魔法なのだと思う。
そんな魔法のおかげで、ぼくは元の世界に元の時系列で戻ってくることができた。その弊害として外見の変貌が挙げられるけれど、他人というものは案外自分のことを見ていないようで、髪型の変化くらいしか気に留められなかった。肌も黒くなったし筋肉量も増えたのだから、もう少し気づく人がいてもような気もするが、もしかしたら現実というものはこんなものなのかもしれない。
そんなちょっと現実を知った気になっているある日の休日、プリムラに返し忘れた〈邂逅〉に「行ってきます」と声をかけて町に繰り出した。町に何か用事があるわけでもないけれど、なんとなく外に出たくなったのだ。もちろん異なる世界にいる今、彼女からのメッセージが届くことはない。それは少し寂しいけれど、この世界に帰ってくるということはそういうことだ。
部活帰りらしい女の子が、ぼくの隣を自転車に乗って走り抜けていく。こういう子らを見るたびに千紗のことを思い出すのだけれど、彼女はいつの時間からあの世界に呼ばれたのだろうか。ぼくの住んでいる場所は教えたものの、同じ時代に生きていないと会えないではないか。
もっとも、会えると期待しているわけじゃないけれど。会えるかもしれないな、と考えることはあるけれど、こうして町を歩いていてたまたま出会うくらいしか会う手段がないのだから、それがどれだけ低い確率なのかを考えると気が遠くなる。
ああ――と思い至る。もしかしたら千紗と会いたくて、ぼくはこうして町を歩いているのかもしれない。もしくは縁を信じて歩いているのかもしれない。
などとそんなことを考えながら歩いていると、人ごみの中にどこかで見たことがあるような人影を見た。その人影はぼくと同じくらいの年齢に見える女の子で、何かを探すようにきょろきょろと首を振っている。誰か人を待っているのだろうとその人から目をそらしかけた時、その子と目があった。
「あ」
「あ」
お互いにお互いが誰だかわかり、指を指し合った。
「久しぶりだね」
そうぼくが笑いかけると、彼女はその目に涙を湛えて走りだした。ぼくは走る代わりに両手を広げて彼女を待った。
彼女がぼくに飛び込んでくると、心地よい彼女のぬくもりと淡い花の香りがふわりと舞った。
〈世界最弱の勇者〉――帰還
【世界最弱の希望】完
長い間ご愛読ありがとうございました。
最後までお付き合いくださりありがとうございます。
下記URLにて本作のあとがきを簡単なものですが掲載しています。もしよろしければのぞいてやってください。ふたつのあとがきの内容は異なります。
活報あとがき
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ブログあとがき
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