第二十二話『最強対最弱』
「あたしと手合わせしてくれないっすか? これがあたしの最後のわがままっす」
千紗はまるでそうするのが礼儀だと言うように、惚れ惚れするような姿勢の良さで頭を下げた。
「この通り!」
「でも……千紗、ぼくは……」
どうしたら良いものかわからなかった。手合わせとは言っても、千紗は〝武神〟を発動している。つまりこの『手合わせ』で術式を使うことの意思表示だろう。ということはぼくも〈揺光〉を使わざるを得ない。そうなればお互いの命の保証はない。
「命に関わるよ」
「承知の上だよ、もちろん。聖、あたしはきっと元の世界には戻れないからさ、最後に思い出づくりと思ってあたしと戦ってよ」
彼女の目は本気だ。
どういう意図があるのかわからないけれど、ここまで本気な彼女の意志を無碍にもできない。
「本当に命の保証はないよ」
「はは、それはこっちの台詞だよ――最弱。殺す気で来ないと、死んじゃうっすよ?」
本当、どうしてこうなっちゃったんだろうな。
と。
ドサッ、と何かが落ちる音がした。全員の視線がそちらに向かう。
「あ……あの……ヒジリさまの荷物をお持ち……」
そこには体をわなわなと震わせる『彼女』が立っていた。足元にはぼくの制服と、カバンから出てきた教科書などの本が散乱している。
「プリムラ……」
ローズさんの口から声が漏れる。『彼女』は荷物など知ったことかとこちらに走ってきて、ぼくと千紗の間に割って入った。
「戦うってどういうことですか! 今まで一緒に戦って、やっと戦わなくても良くなったのに、どうしてまだ戦う必要があるんですか! それも――ヒジリさまとチサさまが!」
必死にぼくたちを止めようとする『彼女』の肩に千紗が手を置く。
「その声、〈邂逅〉を使って聖と話していた人っすね? 邪魔しないでほしいっす。これはあたしにとって必要なことなんすよ」
千紗の声は静かだが明らかな苛立ちが見えた。
「あなたにとってって、ヒジリさんはどうなんですか!」
「……千紗がそれを必要だって言うなら、ぼくはそれに応えるだけだよ」
『彼女』は力なくうなだれて、数歩後ろに下がった。
「レミアさん、そういうことなので少し時間をもらえますか?」
レミアさんはうなずいて、エヤスさんを呼んだ。
「エヤス、私たち全員を戦闘に耐えうる場所に飛ばしてください。できれば町から離れた場所へ」
「かしこまりました」
「ちょっ……レミアさん!」
「貴方たちの試合を見届けさせてもらいます。それはきっと私たちの務めです」
レミアさんの言葉に、ローズさんもエレナさんもうなずいた。『彼女』は涙を拭いて、まだ扉近くに散乱していたぼくの荷物をまとめ、両手で抱えて走って戻ってきた。
「私も行きます!」
『彼女』は言って、ぼくたちの輪の中に入ってきた。
「それではエヤス、よろしくお願いしますね」
「はい」
エヤスさんに飛ばされた場所は見覚えのない場所だった。だだっ広いそこに樹木は見当たらない。何の変哲もない平野だ。ただの平野のはずなのに、不思議と心をひきつける雰囲気がある。
「ここは私たちがゼノと戦った場所よ」
「え?」
ローズさんが目を細めて平野を見まわす。
「あの時、私とエレナ、それからアッシュと三人でゼノと戦ったの」
「とはいえ、当時の私はエレナではなく玲奈と名乗っていたし、ローズは桜だった。アッシュは〈大導師〉と言ったほうが通りがいいだろうがね」
「なっ――」
じゃあ……ここにいるふたりがかつての英雄? それにその名前、イントネーション……。
「わたしたちはこちらに召喚され、そしてこの世界にとどまった。ヒジリ……くく、聖のような人間を待つために、な。〈揺光〉は元々ローズが使っていたものだが、〈術式〉はそのために開発した」
「……お母さん」
『彼女』が不安そうな目でローズさんを見る。ローズさんは『彼女』のほうを見て、困った風に笑った。
「大丈夫よ」
微笑みかけると、『彼女』も安心したように笑った。
「そろそろ良いっすか?」
しびれを切らした千紗が、それでも少し控えめに言う。
「ああ。じゃあ行くよ、千紗」
「うん」
ぼくと千紗はできるだけ被害が出ないように、離れた場所まで移動した。それでも気になって見てみると、エレナさんが何か球のようなものを設置していた。
「あれも術式だよ。名前は覚えてないけどバリアみたいなものだから安心して戦えるね」
「一応聞いておくけど、どうしてぼくと戦うんだい?」
「聞くほどでもない、しょーもない理由だよ」
「子供のわがままみたいな?」
「言ったでしょ? あたしのわがままだって」
「それもそうだ」
「あ、戦う前に。キューブ、使う?」
「ぼくを馬鹿にしちゃいけないよ。ぼくはいつもこの状態で魔と戦ってたんだぜ?」
「あっそ。じゃあ――行くよ」
「いつでも」
〈揺光〉を鞘から抜き、両手で構える。千紗も術式〝武神〟を発動し、その左手のグローブから青い光を走らせている。
さて……どこから来るか。千紗の動きは正直なところ見切れないと思う。あの動きの速さは尋常じゃない。普通に考えて今まで戦ってきたどの魔よりも速い。そして攻撃力もゼノに迫るものがあるはずだ。ゼノの魔力吸収の能力、あれがなければ千紗だけで事足りる戦闘だったかもしれない。
千紗は〈揺光〉の存在を警戒してか、間合いを測るだけで行動に移してこない。当然不用意に〝武神〟を使うこともないはずだ。あくまでもあれは『戦闘準備』の完了を示したにすぎない。彼女の本分はむしろ――
「――消えた!」
消えたとはつまり、千紗が動いたということだ。
千紗の今までの癖――を考えてみたが、彼女はほとんどの場合で〝武神〟を放っていた。情報が足りなさすぎる。
一歩踏み込み、振り返って〈揺光〉を振り下ろす。目に見えないということは視界内にいない――そういう単純な思考の元に動いたわけだが、どうやらそれは今回に関しては正解だったらしい。
「さすがっすね」
「それほどでも」
振り下ろした〈揺光〉の刃は、千紗のグローブにつけられた青い宝石に止められていた。さすがに術式の媒介になる石は違う。簡単には壊れてくれない。
だが、良い兆候だ。
〝武神〟の媒介に〈揺光〉に触れたことで、〈揺光〉に魔力が流れ込んでいた。しかも触れただけとは思えないこの魔力量。さすがに最強は違う。ちょっと触れただけでぼくを強化してくれる。
また視界から千紗が消える。しかし相手が視界から消えるなんて、ぼくには日常茶飯事だ。それこそ〈揺光〉の力を知らなかった時から、ぼくは当たり前にそんな状況を乗り越えてきた。
ザッ――と音がした。
「そこだ!」
音がした左側に振り向き――
「唸れ! 私の左腕ぇ!」
――視界が青に染まる。
だがそれだけだ。〈揺光〉で〝武神〟の光を斬り裂いて、その魔力を吸収する。さらに感覚が冴えてくる。
「なっ――」
〝武神〟でぼくの動きを制限している間に、千紗が懐に潜り込んできていた。
「はあ!」
千紗の拳が腹にめり込む。
「――っ」
一瞬息が止まり、体が宙に浮いた。浮いているはずの体なのに、なぜかまだ痛みが続いている。新しい痛みにどんどんと上書きされ、最後に重い一撃を受けてやっと地面に落ちた。
くっそ……。本当に現実かよ、これ。ゲームか漫画の世界じゃないのか?
〈揺光〉を杖代わりにして立ち上がり、千紗の姿を探す。
「降参してもいいんすよ?」
声は後ろからだった。
「降参? あー……もうそれ飽きたんだよ。ほら、ぼくって最弱で負けることが当たり前だからさ!」
今度はぼくからしかけた。速度の違いは歴然だが、いつもいつも受け身だと戦闘がパターン化してしまう。そうなれば動きがなくなり、こう着状態となりどうしようもなくなる。常に動きがなければ好機は生まれない。
特に――ぼくのような最弱が付け込む隙は。
「おおおぉぉ!」
千紗との間合いを一気に詰める。だが千紗は動かない。
「フェイントっすよね?」
「なん……」
フェイントを交えた攻撃をしようとしていた矢先、千紗の言葉の威力は絶大だった。
「体の軸がずれてるっすよ。いつもの剣筋と違うから一発で看破できたっす」
そして千紗の姿が視界から消え、背中に一撃をもらった。走っていた勢いも相まって、派手に転んで全身を強く打ちつけた。
「はぁ……はぁ……どうして」
「問題でっす。あたしは元の世界で何部だったでしょーか」
部活?
何部だった? たしかぼくと同じ部だったっていうので驚いたような気がする。
「バスケ部、か」
「そ。よく覚えてたね」
「バスケったって限度があるよね」
「あの狭いコートの中でフェイントの応酬をして、一秒に満たない時間で連続していくつもの判断するのに?」
「……きみはバスケをなんだと思ってるんだよ」
確かにその通りではあるけれど、こんなところで引き合いに出すような話じゃない。やっていることがそもそも違い過ぎている。
「だから聖はダメなんだよ。あたしにとっては戦いもスポーツも同じなの」
そして千紗は〝武神〟から青い光を放つ。立ち上がったばかりのぼくは、すぐさま〈揺光〉で光を斬る。
そしてまた感覚がクリアになった。
さらにまた千紗が懐にいた。
「同じ手を――」
この近さでは刀身を使えない。柄の先端で千紗の頭を狙う――が、千紗はすぐに横に飛びのいて、ぼくの脇腹を殴った。倒れこそしなかったものの、よろめいて〈揺光〉を杖代わりにようやく踏みとどまった。
「フェイントってのはこうやってやるんだよ、聖」
「げほっ……あー、やってくれるね」
全身が痛む。
「まだ立つんだ」
「あいにく、この程度の劣勢は慣れっこなもので」
嘘だ。
数多いが、さすがに慣れはしない。
「じゃあ――これで終わらせてあげる!」
千紗が駆けてくる。今度は目に見えない速さじゃない。さすがの千紗も疲れが出てきた、ということだろうか。
駆けてきた千紗の足めがけ、蹴りを繰り出す。蹴りが予想外だったか、単純に反応が遅れたか、千紗の脛に足を置くようにして出したぼくの蹴りがヒットした。千紗が前のめりに倒れる。
「千紗は待ってくれたけど」
ぼくは千紗が立ちあがる前に、千紗の背中を足で踏みつけた。千紗は「ギャッ」と、女の子らしくない悲鳴を上げた。だがこの程度は千紗にとって邪魔にもならないはずだ。ぼくは続けて千紗の頭に〈揺光〉の刀身を押し当てた。もちろん剣の峰だ。
「ぐぅぅ……」
体から直接魔力を吸われ、千紗が苦悶の声を上げる。当然だ。千紗にとって魔力は生命力と同義なのだから。
「くっ……はぁ……殺す気でって、言ったじゃん!」
千紗が勢いよく体を起こし、ぼくは後ろに飛びのいた。千紗は肩で息をしながらぼくを睨む。
「もう……光ってるんだね、それ」
言われて〈揺光〉を見る。〈揺光〉が白い輝きを放っている。それほど千紗の魔力は多いのか。とことん規格外だ。
「千紗、さっきのできみの負けだと思うんだけど」
「あたしはまだ――戦える!」
千紗……きみは……。
「きみ、もしかしてぼくに殺してほしいとか、そういうわけじゃないよね?」
千紗の表情が――消えた。
「そんなわけ……ないじゃん」
「そう? じゃあなんでぼくが転んでる時に攻撃してこなかったの?」
「それは……スポーツマンシップってやつ」
「そっか。真面目だね。じゃあなんで〝武神〟を無駄打ちしたの? あんなのぼくにとって有利に働くだけじゃないか」
とはいえ、あれのせいで手痛い攻撃を受けたのも事実だが。
「そういうのは後の攻撃もちゃんとフォローできるようになってから言ってよ」
「仰る通りで」
「本当は聖の言うとおりだったんだけどね。殺されようと思ってたよ。利き手は無くなっちゃったし、元の世界には戻れないし? あーあーって」
「…………」
「でもやめた。このまま負けたら聖に馬鹿にされそうだし。こっからは全力で行かせてもらうよ」
「手加減はスポーツマンシップに反するぜ?」
千紗が動いた。
けれど視界から消えたりしない。〈揺光〉がフルチャージされているこの状態は、ぼくのスペックもそこら辺の魔には負けない。
千紗の左の拳を右腕で防ぎ、続けざまに飛んできた右の蹴りを左腕で防ぐ。体が傾いた千紗のに蹴りを入れる。腹に当たるが、さすがにそれほどの威力もなかった。だが千紗を完全に転ばせるには十分だった。転んだ千紗に追撃を仕掛けようとしたが、彼女はすぐに立ち上がり、ぼくの追撃を拒んだ。
千紗はすぐに体勢を立て直し、ぼくに向かって飛びかかってきた。それだけなら〈揺光〉を千紗に向かって突き立てれば、〝武神〟による攻撃にも対応できる。だがその千紗からリチリという音が聞こえている。
「……だめだ」
落下点はどう考えても今ぼく立っている位置だ。後ろに飛びのき、千紗の攻撃をかわす。その瞬間、岩盤が爆音とともにえぐれ、あたりに土煙が広がった。
「それが〝武神〟の力、か」
打撃のインパクトの瞬間に〝武神〟の魔力を放出する攻撃法。この攻撃をしかけてきたということは、これ以上ぼくに〝武神〟で魔力の充填をさせない気か。
そして千紗は獣の如く行動を再開する。彼女が攻撃に転じた時、そこに静止はない。
近づいてくる千紗に、千紗の間合いの外から〈揺光〉を振り下ろす。千紗はそれを余裕を持ってかわすが、そこまでは予想通りだ。刀身を反転させ、下から右上に斬りあげる。千紗の反応がわずかに遅れ、〈揺光〉の刀身が千紗の腹に傷を付けた。千紗の服に血が染みて、赤色が広がっていく。
けれどそれでも千紗は止まらない。服に広がる自分の血を見て、キッとぼくを睨みつける。そしてまた愚直にも間合いを詰めてくる。
何が彼女にここまでさせるのか、ぼくにはわからない。
「もう――終わりにしよう! 千紗!」
「聖!」
千紗の胸をめがけて右手で〈揺光〉を突き出す。千紗はそれを身をかがめてかわし、がら空きになったぼくの懐へと潜りこんできた。
「くっ」
体重はすでに前に偏っている。このまま回避行動はできない。だがその勢いを活かすことはやってできないことじゃない。突き出すために地を蹴った左足、そのひざをぼくに肉薄した千紗にめがけて飛ばす。
「え――」
千紗は辛うじて左手でひざを受け、顔面へのヒットを避けたようだが、その衝撃は殺し切れなかったらしい。数歩後ずさった。この機は逃せない。
前傾姿勢になった千紗に足払いをかける。千紗は見事に転び、無防備な状態となる。
「まだ……ってわけにもいかないみたいっすね」
「そうだね」
千紗の首元に〈揺光〉の切っ先を向ける。もうさっきのようなヘマはしない。勝負の決着はここでつける。
「どうしたんすか? あたしは戦おうと思えばまだ戦える。今にも聖に反撃しちゃうかも?」
「はは。さすが、千紗は言うことが違うね」
「だてに最強名乗ってないって」
お互いに笑う。
「じゃあ、さよならだ。千紗」
「うん」
〈揺光〉を振り上げ、千紗にその刃を突き立てた。