第十話『商業都市リヴィル』
白銀の刃が赤く染まる。噴き出すしぶきは周囲を赤く染め、鉄の臭いをまき散らした。
「はぁ……はぁ……」
意識を失った体は力なく倒れ、ただの肉塊と化した。いかに強大な力を有していたとしても、殺せば死ぬ。
殺して死ななくても、殺し続ければ死ぬ。
魔であっても、命であるということに変わりはないのだから。
改めて魔の体を検分する。初めて見る死体だけど――初めて自分が意識的に殺した体だけど、不思議と気分が悪くはならなかった。麻痺しているのかもしれない。
それか、目を背けているか。
この魔の体は、見かけに反して柔らかい。ごつごつとした外皮も、外側は少し硬いけれど、押すと奥が柔らかいことに気付く。見かけどおりの硬さなら、もしかしたら剣は通らなかったかもしれない。いくら生物の急所である首を狙ったところで、首にも少なからずこのいかつい外皮の面影はあるのだから。
顔を改めてみてみたけれど、やはり目は見つからなかった。魔の全てが目を有していないのか、この魔の特徴なのか。考えなくてもわかる。後者だ。そうでなければ、いくら魔力の存在によって居場所が分かるからといって、ぼくを召喚するほどに苦戦しないだろう。
ぼくですら、勝てたのだから。
「さて……」
この死体はどうしようか。町に持っていけばお金になるとは言っていたけれど……。
思案の末、この死体は放置することにした。さすがにこれをバラバラに分解するのは気が引けるし、すでに切断された首を持ち歩くのも気持ちが悪い。
剣と服についた血を川で洗い流し、しばらく休憩をしてから歩みを再開した。自分の冷静さに、ある種の気持ち悪さを感じながら。
旅は少人数で行くか、大所帯で行くか、そこに人の好みはあるだろうけれど、一人で旅をしたいと思う人はどれほどいるだろうか。一人旅、と言えば聞こえはいいけれど、どうしようもなく孤独で、孤独で、孤独だ。馬やラクダのような相方もおらず(少なくとも今のぼくには)、ファンタジー作品のような妖精の相棒もいない。ヒロインは隣に立ってくれないし、信頼できる仲間もそこにはいない。
さきほどの戦闘だって、もしもぼくが傷ついていれば、傷の手当てをしてくれる人だっていない。ミスをフォローしてくれる人もいない。かばう存在がいないのは、戦いやすいのだろうけれど、一度心が折れたら、奮起させる材料もなくなる。
今までぼくが読んできた小説や漫画、アニメやゲームのキャラクターたちを思い出してみると、そこには仲間がいた。支え合い、助け合い、ときには喧嘩をする仲間がいた。どうしてぼくにはいないのだろう。どうして……ぼくは一人なのだろう。
「はあー」
街道を歩き続けても、目に映るものに変化がない。春のような陽気と変わり映えしない景色のせいで、眠気すら覚えるほどだ。
それからさらに三、四度の夜を迎え、今。視界の先に、壁が見えた。街道沿いに歩いてきて最初に見える町。
商業都市リヴィルだ。
それが見えると、体にたまっていた疲れも吹っ飛んでしまった。壁まで夢中になって走った。関所の前には、兵士が三人待機していた。
「……この国に入る目的と日数を」
目的と日数?
「えっと……」
なんと答えたものかと悩んでいると、もう一人の兵士が言った。
「目的くらい答えられるだろ? 日数は入った後からでも申請すれば延長できる」
「え? そうなんですか。えっと……ここに来たのは旅の物資の補給と、騎士団の方と会うためです。日数は……最低三日です」
「騎士団?」
最初に質問を投げかけてきた兵士が、怪訝そうにそう繰り返す。
「はい。……? 何か問題ですか?」
「失礼だが、騎士団にはどんな用で?」
「えっとですね、マール騎士団のギースさんの紹介で」
答えると、二人の兵士は驚きからだろうか、一瞬震えた。もう一人の兵士は微動だにしない。もしかしたら話を聞いてすらいないのかもしれない。
「紹介ということは、紹介状を持っているな? 見せてみろ」
「え? あ、はい」
ショルダーバッグから紹介状を取り出し、兵士に示した。二人はそれをしげしげと見つめ、納得したのだろう、ようやくぼくを町の中に入れてくれた。
「あ、しまった。名前は?」
「ヒジリです」
「……では、くれぐれも問題は起こすなよ」
最後にそう釘をさし、兵士は町の外に出た。
改めて町を見回す。王都と同じく石畳も綺麗に整備がされていて、立ち並ぶ木造の建物も統制がとれている。大きな建物が多く立ち並んでいて、王都で見かけたような露店はまだ見つけられない。もう少し奥に行けば見つかるだろうか。
「あ……まずは騎士団の建物を見つけないと」
目標を立てずに歩く。騎士団の建物を見つけることが簡単なのは、王都ですでに知っている。一際老朽化が進んでいる建物、それが騎士団の建物だ。
町はとても静かだ。ただし、忙しない。まるで日本を歩いているかのような気分になる。道を歩く人々はカバンや書類のようなものを持っていて、働いている最中であることがすぐにわかる。子供たちもあまり見ないし、談笑している雰囲気は感じられない。時折、若者風の人たちが通りを賑やかに通っていく。
「町が違えばこんなに違うのか」
町、というよりも国に近いように感じる。ぼくの世界が国によって多様性があるように、都道府県によって個性があるように、この世界の町もそうなんだ。当たり前のことだけど、当たり前のことのようでよくわかっていなかったらしい。
「それにしても……」
騎士団の建物が見つからない。しかもこの町、思ったよりも広いようだ。王都と良い勝負なのではないだろうか。まさか王都よりも広いというようなことはないだろうな、なんて勝手な感想を抱いていると、目の前に突然飛び出してきた女の子がこけた。
石畳と土の部分の段差につまづいてこけてしまったようだ。
「大丈夫?」
女の子は中学生くらいのように見える。大きな目が特徴的で、短くカットされた髪が女の子に活発そうなイメージを付加している。
「だ、大丈夫です。すいません」
服についた汚れを払いながら、女の子は言った。それからぼくの方を見ると、一瞬、目が大きく開かれた。
「どうかした?」
「あ、いえ、なんでもありません。……旅人さん、ですか?」
「そうだけど、どうしてわかったの?」
「この町で、知らない人にこういう形で声をかけることって少ないですから」
なるほど。ぼくの都会観と似たような状況にあるわけか。
「なるほどね」
なるほどね、とは言ったものの、それは良く似た状況を知っているというだけで、それ以上の何でもない。女の子にはそれが伝わったのか、よくわからなかったのか、そもそもどうでもよかったのか、それには触れなかった。
「じゃあ、あたしはこれで……」
「うん。あ、待って待って」
危ない危ない。せっかく得られそうだった情報を逃すところだった。
「な、なんですか?」
少しだけ警戒心をあらわに、女の子は振り返った。
「この町の騎士団の建物まで案内してほしいんだけど」
「え? ああ、わたしも行くところでしたから、ついてきてください」
今度はぼくが驚く番だった。
「え?」
「え? って、そんなに驚くことですか?」
「あ、いや……」
単に似つかわしくないな、と思っただけだ。もちろん口には出さない。
「ま、わたしの用事なんてどうでもいいことですよ」
女の子はそう言って歩き出した。直進して一つ角を曲がったそこに、周囲とは違う時代の建物なのじゃないかと疑いたくなるほど、ぼろぼろになった建物があった。