うちの猫、毎週水曜日だけ私になるんですけど!?
水曜日だけ、私の飼い猫が私になる
水曜日の朝、目が覚めた瞬間、私は叫んだ。
「にゃああああああっ!?」
正確には、叫んだつもりだった。
実際に出たのは、やけにかわいい猫の悲鳴だった。
視界が低い。
布団がやたら大きい。
手を見ようとしたら前足が見えた。
白と灰色の毛。
丸い肉球。
はい、今週も終わった。
私は、うちの飼い猫のハルになっていた。
「にゃっ、にゃにゃーっ!」
ベッドの上から、私の声がした。
「朝からうるさいな」
見上げると、私がいた。
正確には、私の体に入ったハルが、私の枕を勝手に半分占領したまま、眠そうにこっちを見下ろしていた。
ハルはあくびをして、自分の手を見た。
指を一本ずつ曲げる。
「やっぱり人間、指が多い」
「にゃーっ!」
毎週水曜日だけだ。
朝、寝て起きると、私とハルは入れ替わる。
木曜日の朝、寝て起きるまで戻らない。
途中では戻らない。
一日まるごと、このままだ。
最初に起きた先週は本当にひどかった。
木曜に元に戻ったあと、私はハルを抱えて言い聞かせたのだ。
「いい!? 次の水曜、もしまた入れ替わったら、変なことしないでよ!? 学校で猫みたいなことしない! 人のご飯を勝手に食べない! 高いところに登らない!」
ハルは私の膝の上で香箱を組んで、しっぽだけぱたぱたさせていた。
聞いてるのか聞いてないのか、微妙だった。
そして今、こいつは私の顔でのんびり言った。
「ごはんある?」
反省は一ミリもなさそうだった。
◇
ダイニングには焼き鮭、味噌汁、卵焼き。
平和な朝ごはんの風景である。
少なくとも、ハルが席につくまでは。
母が振り返る。
「みのり、おはよう。ハルも」
私の体のハルは、椅子に座る前に焼き鮭へ顔を寄せ、真顔ですうううっと匂いを嗅いだ。
ハルは席に着いた。
箸を持つ気配がない。
嫌な予感がした。
じりじりと、顔が皿へ近づく。
そのまま口からいく気だ。
やめろやめろやめろやめろ!!
私は床を蹴って全力疾走した。
狙うはダイニング脇の猫トイレ。
そこへ体当たり。
ざああああっ!!
猫砂が豪快に床へぶちまけられた。
「ハルー!?」
母の視線がこっちへ飛ぶ。
当然、ハルもそっちを見る。
セーフ。
私の体が焼き鮭を直食いする地獄は回避した。
私は猫砂の真ん中で立ち尽くした。
母は額に手を当てる。
「もう、朝から何やってるの……」
違うんですお母さん。
私は今、あなたの娘の社会的寿命を延ばしたんです。
しかし猫なので伝わらない。
そのあとハルは、慣れない箸で鮭をちまちまつつき、途中で卵焼きを手で取りかけて、母に叱られた。
「みのり、行儀悪い!」
「……はい」
猫なのに返事だけは素直だった。
私は思った。
今日、こいつを放置したら終わる。
だから通学バッグの口が開いた瞬間、私は自分からするっと中へ入り込んだ。
教科書の隙間に丸まりながら決意する。
監視する。
今日は一日中、絶対に監視する。
そう決意して十秒後、私は早くも後悔した。
狭い。暗い。筆箱が硬い。ファイルの角が肋骨に当たる。
でも出るわけにはいかない。
◇
登校して昇降口を抜けたところで、真琴に会った。
「おはよ、みのり」
佐伯真琴。
私の親友で、ツッコミが早くて、空気がおかしいとすぐ気づく女だ。
ハルは私の体で、少しだけ目を細めた。
「……おはよう」
その第一声は、まだ無難だった。
真琴が首をかしげる。
「なにその顔」
「顔?」
「“今わざわざ人としゃべる必要ある?”みたいな顔」
その表現、正確すぎる。
それは人間じゃなくて猫の顔だ。
ハルは返事をしなかった。
その代わり、真琴のポニーテールの先で揺れている小さなチャームを見た。
じっ。
見た。
じーーーっ。
嫌な予感がする。
次の瞬間、ハルが手を伸ばした。
ちょい。
チャームをつつく。
「え?」
真琴が止まる。
ハル、もう一回。
ちょいちょい。
「ちょっと、なに!?」
真琴が半歩下がると、そのぶんだけチャームが揺れた。
ハルの目がきらっとする。
完全におもちゃを見る猫の目だ。
そのまま両手でぱしっといきそうになった瞬間、私はバッグの中で全力で暴れた。
がさがさっ!
「うわっ」
ハルの意識がバッグへ向く。
よし。止まった。
真琴はバッグを見る。
「なに今の」
「……なんの話?」
「……」
その場は、なんとかそれで流れた。
◇
一時間目。
先生が黒板に字を書く。
教室は静か。
ここまではいい。
よくないのは、授業の途中で先生が黒板の上の赤いマグネットを動かし始めたことだった。
ころ、ころ、と赤い丸が移動する。
私はバッグの隙間から見た。
ハルの目も、それを見ていた。
わかる。
私にはわかる。
あの目は、今にも飛びかかる猫の目だ。
赤い丸が右へ。
ハルの目も右へ。
左へ。
また追う。
先生は何も知らず説明を続ける。
「だから、ここが重要で――」
そう!
今まさに、別の意味で重要な局面だった。
ハルの肩が少し下がる。
腰が浮く。
飛ぶ気だ。
私はバッグの中から全力で暴れた。
がっ、ごっ、ごそごそごそっ!
バッグが大きく揺れる。
その揺れで、机の横のフックが外れ、バッグがどさっと床へ落ちた。
「わっ」
ちょうど立ち上がりかけていたハルの足が、そのバッグに引っかかる。
べしゃっ!
見事なくらい真正面から顔面着地だった。
教室が静まり返る。
先生がチョークを止めた。
「朝倉!?」
ハルはゆっくり顔を上げた。
鼻の頭がほんのり赤い。
「……痛い」
それだけは猫じゃなくて人間みたいに言った。
先生が眉をひそめる。
「朝倉、ちょっと保健室行ってこい。鼻、打っただろ」
真琴がすぐに手を挙げた。
「先生、私が連れていきます」
「頼む」
ハルはむくりと立ち上がると、床に落ちたバッグをさっと拾い上げ、胸に抱えた。
真琴が言う。
「バッグも持ってくの?」
「これがないと安心できない」
「なにそれ」
「落ち着く」
私はバッグの中で固まった。
助かる。助かるけど。
言い方が完全に猫だ。
真琴はじっとハルの顔を見る。
「……今日のあんた、ほんとに変」
◇
保健室のベッドに寝かされたハルは、鼻の頭を冷やしながら、妙に落ち着いた顔をしていた。
真琴が腕を組んで見下ろす。
「今日のあんた、ほんとにおかしいよ」
ハルは天井を見たまま答える。
「そう?」
「そうだよ。朝から目つき変だし、私の髪飾りで遊ぶし、授業中は赤いの追いかけようとするし、こけたあともバッグ抱えて離さないし」
そこで真琴の視線が、ベッド脇のバッグに落ちた。
さっきから、もぞっと微妙に動いている。
「……カバンに何か入ってるの?」
真琴が眉をひそめる。
私は一瞬、息を止めた。
猫だけど。
でも次の瞬間、くしゃみが出そうになった。
教科書の隙間にたまった消しゴムのカスが鼻に入ったのだ。
「……くしゅん」
小さな猫のくしゃみが、バッグの中からした。
真琴が止まる。
「え?」
ゆっくりと近づき、ファスナーを開ける。
私は観念して、そっと顔を出した。
「にゃ……」
真琴が固まった。
「……ハル?」
私は「にゃあ」と鳴いた。
真琴はバッグの中の私と、ベッドの上のハルを交互に見た。
「は? え? なんで? あんた学校にハル連れてきてんの!?」
そこでハルが、あっさり言った。
「実は、みのりと入れ替わってる」
真琴は三秒止まった。
「ええっ!?」
保健室に見事な悲鳴が響いた。
ハルは私の顔のまま、淡々と続ける。
「こっちがハルで、そっちがみのり」
「いやいやいやいや、待って待って待って!」
真琴は頭を抱えたまま、理解が追いついていないようだった。
そして、少し経ってからもう一度私をじっくり見る。
「じゃあ何? その中にいるの、みのり?」
「にゃあ!」
「うわ、マジだ!?」
ハルがこくりとうなずく。
「毎週水曜だけ、こうなる」
真琴はひとしきり取り乱したあと、ベッドに腰かけて深呼吸した。
「……いや待って。じゃあ今朝の全部、猫のハルがみのりの体でやってたってこと?」
「うん」
「私の髪飾りで遊んだのも?」
「揺れてたから」
「授業中に赤いの追いかけたのも?」
「動いてたから」
「理由が全部猫!」
私は鳴いた。
「にゃーっ!」
そうだよ!
真琴は額を押さえたまま、しばらく黙った。
そしてぽつりと言う。
「信じたくないけど……なんか納得してしまった」
そのあと私を見て、私の頭をそっと撫でた。
◇
その日、残りの授業は真琴がときどき様子を見てくれた。
入れ替わりを知ったあとも、真琴は完全には信じきれていない顔だった。
でも信じるしかないくらい、ハルはずっとハルだった。
移動教室では、廊下の日なたで立ち止まって動かない。
昼休みは、私の弁当の焼き魚をまた箸を使わずに口で食べようとする。
ノートを取るより先に窓の外の鳥を目で追う。
そのたびに私はバッグの中から小さく「にゃっ!」と鳴き、真琴が小声で「朝倉、戻ってこい」と言った。
私の人生で、親友から「戻ってこい」と言われたのは初めてだった。
◇
放課後。
地獄の第二ラウンドが待っていた。
夕飯で、父と母と進路の話をする予定なのだ。
リビング。
テーブルにつく父と母。
向かいに、みのりの姿をしたハル。
私はソファの下で待機である。
「それで、みのり」
父が真面目な顔で言った。
「進路のこと、そろそろ考えないとな」
母もうなずく。
「まだ迷っててもいいけど、何がしたいかくらいは少しずつね」
私はソファの下で祈った。
頼む。
無難に。
せめて人間っぽく。
ハルは少し考えてから口を開いた。
「できれば」
その時点でもう怖い。
「日当たりのいい場所で」
終わった。
「たまに寝て、好きな時に食べて、気が向いた時だけ遊んで暮らしたいです」
沈黙。
父が瞬きをした。
母が口を開けた。
私はソファの下で頭を抱えた。前足だけど。
「……は?」
父が言う。
母が言う。
「みのり、それ本気で言ってるの?」
ハルは真顔だった。
「はい。あと、爪切りは嫌です」
「待て待て待て、何の話だ?」
父のそのセリフはもっともである。
これ以上しゃべらせたら終わる。
私はソファの下から飛び出した。
まずテーブルの脚に体をこすりつけ、次に父の足元をすり抜け、最後に母のエプロンのひもへ飛びつく。
「きゃっ、ハル!?」
母が立ち上がる。
その拍子に、テーブルの端に置いてあったボールペンがころっと床に落ちた。
からん、ころころ。
しまった、と思った瞬間、ハルの目がそっちへ向いた。
完全に向いた。
床を転がるボールペン。
それを見る猫の目をした私の顔。
地獄である。
ハルは私の体で、半分立ち上がりながらそのペンを追おうとした。
「みのり!?」
父が叫ぶ。
私はとっさに前足でボールペンをもう一回はじいた。
ころころころっ。
ペンがさらに転がる。
ハルの視線もついていく。
「何してる!?」
父が叫ぶ。
「ハルまで興奮してるし!」
母が叫ぶ。
違う!
私はいま命がけで会話を逸らしてるんです!
結局その夜の進路相談は、
「みのり、疲れてるのかもしれないわね」
「そうだな……」
で、なんとなく終了した。
◇
木曜日の朝。
目が覚めて、私は深く息を吐いた。
自分の手。
五本指。
ありがたい。
「戻った……!」
人生でここまで自分の指に感謝したことはない。
足元では、ちゃんと猫に戻ったハルが伸びをしている。
私はベッドから起き上がり、机のカレンダーを見た。
来週の水曜日に赤丸がある。
それは、先週の木曜に私が自分で書いたものだ。
『水曜 要警戒』
そしてその下に、見覚えのない予定が増えていた。
『夕方5時 動物病院 予防接種』
「……は?」
私は二度見した。
見間違いじゃない。
『夕方5時 動物病院 予防接種』
その瞬間、足元で「にゃーん」と鳴き声がした。
ハルだ。
私は固まった。
つまり来週の水曜日、
私は猫の体で学校に行ったあと、そのまま夕方に病院へ連れていかれるということだ。
「ハルゥゥゥゥッ!!」
私が叫ぶと、ハルはしっぽをぴんと立て、満足そうに目を細めた。




