嘆きの勝者
「私の全財産は、私の死を最も深く、もっとも真剣に悲しんでくれた者に譲る」
偏屈な不動産王として知られたジョン・シルバーの訃報と共に、
そんな奇妙な噂が一部の間でまことしやかに囁かれた。
公式な発表は一切ない。
あくまで出所不明の怪情報だ。
だが、数百億ドルとも言われる遺産の匂いを嗅ぎつけた
数十人の「自称・親愛なる親族」たちは、
招待状もないまま、人里離れた葬儀会場へと集まってきた。
葬儀の日、教会は異様な熱気に包まれていた。
百合の香りに、安っぽい香水と、
隠しきれない欲望の脂臭さが混じり合っている。
祭壇の前には、噂通り、
最新鋭の感情測定AI「心眼」が鎮座していた。
黒曜石のような筐体に、巨大なレンズが一つ。
その「目」は、参列者の心拍数、血流、瞳孔の開き、
そして涙の成分までをミリグラム単位で分析し、
誰が最も深い悲しみに暮れているかを冷酷にジャッジする。
中央には、立派な黒檀の棺が置かれており、
その蓋は固く閉ざされている。
「ああ、おじ様! どうして私を置いていってしまったの!」
静寂を切り裂き、最初に泣き崩れたのは、
遠縁の姪を名乗る派手な女だった。
彼女はドラマの悲劇のヒロインさながらに棺へ縋り付く。
しかし、AIのモニターが弾き出した「悲嘆スコア」は、
わずか『3%』。
代わりに、赤文字で「演技への過集中:97%」が表示された。
それを合図に、厳粛な葬儀は三流の演劇祭へと変貌した。
ある男は隠し持っていた玉ねぎの汁をハンカチに染み込ませ、
目を充血させて野獣のように咆哮した。
別の老婦人は、プロの「泣き女」を三人引き連れ、
大音量のコーラスのように泣き叫ばせた。
誰もが競うように、これみよがしな大粒の涙を流してみせた。
誰もが、ジョン・シルバーの死などどうでもよかった。
彼らが見ているのは棺の中の遺体ではなく、
その向こうにある札束の山だけだ。
やがて一通りの「劇」が終わり、顧問弁護士が壇上に立った。
「AIによる測定が完了しました。
ジョン・シルバー氏の遺産を継承する権利を得たのは……」
親族たちが一斉に身を乗り出す。
誰もが自分の「名演技」こそがアカデミー賞モノだと確信していた。
「……該当者なし。訂正、一名のみ『真正の悲嘆』を検出」
どよめきが広がる中、
弁護士は困惑したようにモニターを覗き込み、その名前を読み上げた。
「最高スコア記録者……ジョン・シルバー氏」
「はあ?」
親族たちがポカンと口を開けた瞬間、
ギィィ、と重苦しい音が響いた。
祭壇の中央。
固く閉ざされていたはずの棺の蓋が、
内側からゆっくりと押し開けられたのだ。
「ひ、ひぃぃ!」
「幽霊だ!」
パニックになる参列者たちをよそに、
棺の中から一人の老人がむくりと起き上がった。
死んだはずのジョン・シルバー本人だ。
しかし、その顔は怒りでも嘲笑でもなく、
涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡れていた。
「……あ、あんまりだ……」
シルバーは、しゃくり上げながら呟いた。
彼は死んでなどいなかった。
だが、長くもなかった。
医師から余命わずかだと宣告された彼は、
残された短い時間を、自分を本当に愛してくれる誰かと過ごしたかったのだ。
自分の死を偽装し、棺の中で息を潜め、
心から泣いてくれる「たった一人」が現れるのを待っていた。
もしそんな人がいれば、葬儀が終わった後に、
「奇跡的に息を吹き返した」ことにして、
残された時間を共に笑って過ごすつもりだった。
だが、棺の隙間から見えた現実は残酷だった。
聞いたこともない親戚たちの、
余命わずかな老人を悼む気など微塵もない、
あまりに白々しい嘘泣きと、剥き出しの強欲だけ。
「俺の人生は……なんだったんだ……。
こんな、こんな奴らに囲まれて……俺は、なんて惨めなんだ……」
その涙は、この会場の誰よりも純粋で、深く、
そして真実に満ちた「自分の死(運命)」への悲嘆だった。
AIは無慈悲に宣告する。
『測定結果確定。遺産相続人は、ジョン・シルバー氏。
彼のみが、故人の不幸を心の底から悲しんでいました』
泣きじゃくるシルバーと、あっけにとられる自称親族たち。
祭壇に飾られた遺影だけが、
皮肉なほど晴れやかな笑顔で彼らを見下ろしていた。




