表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
推しに告白(嘘)されまして。  作者: 朝比奈未涼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

93/108

93.知らなかった感情。




side柚子




びしょ濡れのまま、なりふり構わず玄関からお風呂場へと向かう。

私が通ったあとがどんなに濡れても、私は気にならなかった。

いや、今の私には気になるほどの余裕がなかった。


洗面所に着き、乱暴に体操服を脱いでいく。

それからそれらを洗濯機に入れると、私は浴室へと駆け込んだ。


雨で冷たくなった体に、ザァーっと温かいシャワーが当たる。

少しずつ戻ってきた体温と共に、真っ白だった思考も徐々に色を取り戻していった。


…私、ここまでどうやって帰ってきたっけ。


取り戻した思考で私はそんなことを思った。


おそらく電車で普通に帰ってきたことはわかる。

だが、千晴に路地裏へと連れられてからの記憶が曖昧なのだ。


好きだと言われて、キスされた。

しかし、そこから先の記憶がもうない。

ただただ無心でここまで帰ってきた。




「…はぁ」




やっと私から吐かれた息に、呼吸の仕方を思い出す。

ここまで私は自然な息の仕方も忘れていた。


ふわふわの金髪から雨が滴り落ちて、私の顔に当たる。

綺麗な千晴の瞳には、怒りや悲しみ、恋焦がれるようなものがあり、複雑でぐちゃぐちゃだった。

おかしそうに笑い、けれど、切実そうに私を射抜いた千晴の眼差しが忘れられない。


あの瞬間、私は初めて千晴の想いの本質を知ってしまった。

千晴は私にちゃんと恋をしていたのだ。

そしてそれに気づいたと同時に、私はわかってしまった。


千晴への胸の高鳴り、謎の動悸、全てが病気ではなく、恋だったのだということを。


千晴に好きだと言われて、一瞬、嬉しさで心臓が跳ねた。

キスをされて、愛おしくて愛おしくて、苦しくなった。


私は恋を知っているつもりだった。

相手を想うだけで幸せで、相手の存在が自分の世界を照らしてくれる。

そこにいてくれるだけでよかった。

悠里くんへの感情こそがまさにそれだった。


だが、この光溢れる優しい感情は、恋ではなかったのだ。


愛おしくて、苦しくて、胸が張り裂けそう。

けれども、愛さずにはいられない。


これがきっと、恋…いや、愛だ。


私は千晴を愛していたらしい。

そして悠里くんを愛していなかった。

愛でも、恋でもない。憧れという感情を私は悠里くんに向けていた。


その事実に気づいた時、私の胸にズキッと鈍い痛みが走った。


出し続けていたシャワーを止め、視線を伏せる。

私から滴る雫は先ほどとは違い、温かい。


私、最低だ。


愛と憧れの違いもわからず、悠里くんに恋しているのだとずっと勘違いしていた。

まっすぐと私に好きだと言ってくれた悠里くんに、私は酷いことをしていた。


脳裏に悠里くんの柔らかな笑顔が浮かぶ。

いつも優しくて、誠実で、時に甘くて、かっこいい。

そんな彼が確かに好きだった。好きだったはずなのに。


私の想いは悠里くんと同じではなかった。

ずっと、ずっと、私は悠里くんを裏切ってきたのだ。




「…」




罪悪感で押し潰されそうになりながらも、視線をゆっくりと上げる。

鏡に映った私の瞳には、先ほどのような混乱はなく、強い意志が宿っていた。


もうこれ以上、悠里くんを裏切るようなことはしてはいけない。

誠実な悠里くんに、私も誠実でなければならない。


ーーー別れを、告げよう。


私の足元に滴り落ちる雫が、ぽた、ぽた、と静かに音を立てる。

この場に広がる静けさに包まれながら、私はひとり、別れを告げる決意をしたのだった。



 

*****




「…」




一睡もできなかった。

鳴り止まないスマホのアラームを耳に、私は布団の中でただただ天井を見ていた。


とても最悪の目覚めだ。


もう起きねばならないので、仕方なくゆっくりと体を起こす。

それから慣れた手つきで、布団を畳み、私は重たい足取りで部屋を出た。


昨日、あんなことがあった後でも、私は寝る前まで、悠里くんと連絡用アプリでいつも通りにメッセージのやり取りをしていた。

体操服のお礼を言って、そこから他愛のない話をして。

何時間も続いたラリーの中で、悠里くんに私の本当の気持ちを言う機会なんていくらでもあった。


しかし、それを送ろうとするたびに、脳裏に悠里くんの笑顔が現れ、呪いでもかかったかのように指が動かなくなった。

言わなければならない、と確かに決意したはずなのに。


ーーー直接言った方が誠実なのでは。


固まった指に、私はそんな言い訳を重ねた。


けれど、メッセージでも言えない私が果たして直接悠里くんに本当の気持ちを言えるのだろうか。

どうしたらいいのかわからず、ただただ悶々としているうちに、悠里くんから『おやすみ』とメッセージがきた。


結局、私は悠里くんに何も言えずに、夜を超えたのだ。


悠里くんとのやり取りを終え、スマホを置いても、布団の中で寝ようと、まぶたを閉じても、〝言えなかった〟という思いが胸を塞いで、眠気なんて一度も来なかった。




「…はぁ」




小さく息を吐いて、洗面所へと入る。

チラリと鏡に映った私の顔にはうっすらと隈があり、朝だというのにひどく疲れた顔をしていた。


…今日こそ、直接会って言う。


洗面台の前で、私はもう一度、静かに決意を固めた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ