53.クリスマスの予定。
「あ、先輩」
私に声をかけられて、千晴が嬉しそうに振り向く。
そんな千晴の首元には、黒みがかった赤のマフラーが適当に巻かれており、その下にはネクタイがなかった。
…またか。
今日も堂々と校則違反をしている千晴の姿に呆れながらも、どすどすと音を立てて近づき、私はギロリと千晴を睨みつける。
だが、本人はへらりと笑うだけで特に気にしている様子はなかった。
慣れたものなのだろう。
「ネ・ク・タ・イは?」
鬼の形相で強くそう言うと、千晴は視線を適当に彷徨わせた。
「んー。邪魔だったから外した」
「はぁ?今どこにあるの、それ」
「えー。どこだっけ」
「どこだっけ、じゃない!思い出す!」
適当な受け答えを続ける千晴を、私は変わらず睨み続けて、責め立てる。
すると、千晴は少し面倒くさそうに、鞄を探り、ネクタイを引っ張り出してきた。
そのネクタイを「かしなさい!」と、強引に奪い、千晴からマフラーを外す。
それからネクタイを無理やり付けて、千晴の胸に先ほど外したマフラーを押し付けた。
「ネクタイくらいしなさい」
「じゃあ、先輩が毎日俺にネクタイつけて」
「…ほぼ毎日つけてるじゃん。それどころか会うたびにつけてるし」
「うん、そうだね」
呆れたように千晴を見る私に、千晴がどこか嬉しそうに瞳を細める。
本当に手のかかる後輩だ。
呆れて大きなため息を吐いていると、そんな私に何故か千晴は甘えるような視線を向けてきた。
私より全然大きいが、その姿はまるで子犬のようだ。
だが、千晴がこんな瞳で私を見る時は、決まって私を困らせた。
そう私は痛いほど知っていた。
「…何」
千晴の次の言葉を警戒しながらも、そう問いかける。
そんな私に千晴は甘い瞳のまま、ねだるように首を傾げた。
「先輩がマフラー巻いて?」
「はぁ?」
予想通りの主張に眉間にシワが寄る。
やはり、千晴は私を困らせることを言ってきたのだ。
「自分でマフラーくらい巻けるでしょ?」
「でもマフラー外したの先輩じゃん」
「あれは、アンタがネクタイをつけていなかったからで…」
「外した人が責任持ってつけてよ」
何だ、その謎理論。
そう言ってやりたいが、無表情に当然だと言いたげに言葉を紡ぎ続ける千晴に、呆れて何も言えなくなってしまう。
私は何を言っても無駄だといつものように悟ってしまった。
「はいはい。わかりましたよ。全く」
本日何度目かわからない盛大なため息を吐いて、千晴からマフラーを奪うと、雑にぐるぐると巻きつける。
それなのに千晴は何故か嬉しそうで、私は首を傾げた。
何がそんなに嬉しいんだか。
その時、ふと、いつの間にか私の隣にいた悠里くんの姿が目に入った。
どこか面白くなさそうに、こちらを見る悠里くんには、
いつもの爽やかで柔らかい雰囲気がない。
悠里くんも千晴の行動を問題視しているようだ。
「それじゃあ、私たちはこれで。明日こそ、ちゃんとした服装で来なさいよ?」
ポン、と千晴の肩を軽く叩き、悠里くんと再び歩き出す。
…だが、千晴は何故か悠里くんのいない私の左隣に並び、一緒に歩き始めた。
3人で歩くと、どうしても以前、勉強会後に体験した、気まずすぎる時間を思い出してしまう。
悠里くんと千晴は相性が最悪なのだ。
「ねぇねぇ先輩」
「…何?」
これから始まるであろう気まずすぎる時間に、気を引き締めていると、千晴が早速楽しげに話しかけてきた。
「文化祭で最優秀賞になったらお願いなんでも聞いてくれるって言ってたじゃん?あれでお願いしたいことがあるんだけど」
「あー。あったね、そんなこと」
千晴の話に、私はそうだった、と頷く。
文化祭開始前に、確かに私は千晴と約束した。
最優秀賞になったら、何でもお願いを聞く、と。
そういえばせっかく最優秀賞になったのに、まだ私は千晴からのお願いを聞いていなかった。
一体何を願うのか、と千晴からの次の言葉を待っていると、千晴は徐に口を開いた。
「12月24、25に住み込みで俺の家のメイドさんになってよ」
「はい?」
まさかのお願いに目を丸くする。
住み込みでメイドになれって、バイトをして欲しいってことか?
世間的にはクリスマスだし、私にお願いするくらい深刻な人手不足なのか?
「わかった。24、25ね」
よくわからないが、それが千晴からのお願いならと私は快く頷いた。
「え」
しかし、私の右隣にいた悠里くんは、それに驚いたように声をあげた。
そんな悠里くんとは違い、千晴はとても嬉しそうだ。
「本当に行くの?クリスマスだよ?」
納得いかない様子で悠里くんが私を見る。
一体何故そんな表情を浮かべているのか、よくわからなかったが、私は平然と続けた。
「うん。別にその日予定ないし。そういう約束だったから…」
「いや、そこは俺と…」
悠里くんはそこまで口にして、急に、ハッとした表情になる。それからしばし固まってしまった。
本当にどうしたのだろうか?
「…」
黙ったまま悠里くんをじっと見て、様子を伺う。
固まってしまった悠里くんは、数秒後には、大きく瞬きをし、何か考えるように視線を伏せた。
悠里くんからの次の言葉を待っていると、悠里くんはやっと言いづらそうに口を開いた。
「…柚子がバイトに行くことについては反対しないよ。けど…」
そこまで言って、悠里くんは、一旦言葉を止める。
「その日に住み込みで華守くんのところに行くのは反対」
そして、真剣な瞳で真っ直ぐと私を見据えた。
反対?どうして?
別にただバイトに行くだけなのに?
悠里くんの主張の理由が全くわからず、首を捻り、うんうんと考える。
何か言わなければ、と思っていると、私より先に言葉を発したのは千晴だった。
「反対って言われてもねぇ。うちも困って先輩を頼ってるんだけど。その日はパーティーがあって、普通に人手不足だから」
「…それ、柚子である意味ある?」
「あるけど?」
バチバチと青白い炎が、千晴と悠里くんの間で激しく燃えている幻覚が見える。
千晴は笑顔で、悠里くんは真顔で、お互いに鋭い視線を向けている。
相性はあまりよくないとは思っていたが、ここまでだったとは。
「えっと、2人とも、あの、まずは睨み合うのをやめてもらって…」
どうにか2人の仲裁に入ろうと、おずおずと2人を見る。しかし、そんな私を無視して、千晴は続けた。
「別によくない?やましい事なんてないし。先輩も予定ないって言ってるし。彼氏なのに余裕ないんだね?」
煽るようにそう言って笑う千晴に、頭が痛くなる。
私の推しに舐めた態度を取るとはいい度胸だ。
一発、頭を殴ってやろうかと、沸々と湧く怒りを感じていると、それよりも早く、千晴は悠里くんの腕を引いて、耳元へ自身の唇を寄せた。
「そんなに心狭いと、鬱陶しがられるんじゃない?理解のある彼氏くんじゃないと」
私の目の前で、距離を縮めた2人に、いよいよ心配がピークに達する。今にも手が出てしまいそうな2人だ。
そんな私の心配などよそに、千晴が何か悠里くんに囁いたようだが、その声は私には届かなかった。
「え、えー!何あれー!」
「だ、誰か!誰かあれ、撮って!」
「待って待って!無理無理!新しい扉開いちゃう!」
2人の距離の近さに、周りの女子生徒たちが黄色い声をあげている。
険悪な2人の至近距離のどこが一体いいのか。
私には一触即発にしか見えない。
「…柚子、わがまま言った、ごめん。バイト行っておいで」
「う、うん」
突然、意見が変わり、どこか寂しげに笑った悠里くんに私はよくわからないが、とりあえず頷いた。
暗い瞳の悠里くんと、満足げな千晴。
2人の小さな変化に私は気づかなかった。




