51.溺れる甘さで。
「…どうしたの?」
あまり見ない悠里くんの表情に心配になり、悠里くんの瞳を覗く。
すると、悠里くんは暗い表情のまま、力なく笑った。
「…自信がないんだ。俺が柚子の彼氏なのに、周りにはそう思われていなかったりするし、華守との方が仲良く見えるし…」
伏せられた瞳は不安と寂しさで揺れている。
そんなふうに思わなくてもいい、と今すぐ推しを安心させてあげたい。
「私の彼氏は悠里くんだよ。確かに千晴と仲はいいけど、悠里くんのとは違うでしょ?千晴はただの後輩だから」
そう言って、真剣に悠里くんを見つめる。
だが、悠里くんの表情は未だに暗かった。
推しが私のせいで悲しんでいることが辛い。
「…違う、か。本当にそうかな。キスした仲なのに」
「…っ」
暗い声音が静かに訴えた内容に、肩を震わせる。
あの時、触れた千晴の柔らかい唇を思い出してしまい、私の頬は熱を持った。
千晴はただの後輩だ、と言ったそばから、こんなふうになるのは違う、と何とか千晴を自分の意識から追い出したいのだが、上手くいかない。
あの焦がれるような甘い瞳を忘れられない。
千晴のことを考え始め、おろおろし出した私を、悠里くんは苦しそうに見つめた。
「…わかってる。あれは演技だって。嫉妬するものじゃないって。わかってるけど…」
眉にシワを寄せ、悠里くんが辛そうに思いを吐く。
それから一旦言葉を止め、ゆっくりと続けた。
「俺ともまだなのに…」
推しが辛そうに私を見ている。
綺麗な瞳はどこか仄暗く、とてもじゃないが、大丈夫そうには見えない。
その葛藤に私の胸はぎゅーんと締め付けられた。
推しが苦しんでいる。
それなのにキュンキュンしてしまう自分が、どれほど不謹慎であるかは、十分わかっている。
けれど、あの悠里くんが、こんなにも甘く嫉妬してくれているのだ。
例え演技だとしても、彼氏として真面目に私と向き合ってくれた結果だとしても、嬉しくて嬉しくて仕方ない。
偽りの嫉妬でも私はいい。
その嫉妬でぜひ、私を縛って欲しい。
「…俺も柚子とキスしたい。ダメ?」
上目遣いで、おそるおそるこちらを伺う悠里くんに、ついに私はやられてしまった。
罪深すぎるその表情に、ゴクッと喉が鳴る。
か、かっこよくて、かわいいなんて、反則だ。
私の推し、悠里くんは、世界を救うのではなく、世界を破滅させるのかもしれない。
「…うん」
バクバクとうるさい心臓を抑えて、ゆっくりと、だが、確かに頷く。
私の答えに、悠里くんは頬を赤らめたまま、瞳を伏せた。
「じゃあ…」
それだけ静かに言って、悠里くんがカーテンを閉める。
カーテンを閉めたことによって、この空間は私たちだけのものになった。
バンドの歌声に、生徒たちの楽しそうな声。
外は確かに賑やかなはずなのに、ここには何も聞こえない。
2人だけの世界で、私はゆっくりと瞳を閉じた。
「…」
キ、キスってどこにするのかな。
話の流れ的に、く、唇だよね?
恥ずかしさと嬉しさといろいろな感情がぐちゃぐちゃに混ざって、もう何が何だかわからない。
ドキドキと胸を高鳴らせながらも、ただただ悠里くんからのキスを待ち続けていると、おでこにそっと何かが触れた。
柔らかくて、熱い。
ーーーー唇だ。
「…っ」
お、おでこかぁ。
予想外の場所へのキスに、頬を赤くしたまま、瞳を開ける。
唇ではなかったが、それでも推しからのキスに、嬉しくて嬉しくて、私は表情を緩ませた。
きっとこれが最初で最後、貴重な一瞬だった。
嬉しさでいっぱいになりながら視線を前へと向ける。
すると、至近距離で悠里くんと目が合った。
綺麗な瞳がまだ熱を持ったまま、私を捉えている。
「…あれ、ファーストキスだった?」
色っぽく、けれど、寂しそうな悠里くんの声音。
悠里くんの言っている、〝あれ〟とはおそらく、舞台上での千晴とのキスなのだろう。
ーーーあれは確かに私のファーストキスだった。
おずおずと悠里くんに頷く。
それを見て、悠里くんは一瞬だけ、辛そうな表情を浮かべた。
そして、そのまま私の唇へと自身の唇を寄せた。
「…っ!」
突然の唇へのキスに大きく目を見開く。
まさか今、唇を重ねるとは。
恥ずかしさで、ギュッと目を閉じると、唇を悠里くんに遠慮がちに舐められた。
「な、ゆ、ふんんっ」
驚きのあまり、反射的に悠里くんの名前を呼ぼうとした。
しかし、それは悠里くんによって遮られた。
私の口元が緩んだほんの一瞬の隙をついて、悠里くんは私の中へと舌を這わせたのだ。
「んん、ん」
甘い声がこの場に静かに響く。
その中には、小さな悠里くんの息遣いもあり、この空間をより一層甘くさせた。
クラクラして、倒れそう。
もう耐えられない、と思ったところで、やっと悠里くんは私を解放した。
「…これは?初めて?」
焦がれるように私を見る悠里くんに、私はこくこくと必死に頷く。
そんな私に、悠里くんは「もう一回だけいい?」と、どこか苦しそうに言った。
「…うん」
目に涙を溜め、もう一度頷く。
すると、悠里くんはまた私の唇を優しく優しく塞いだ。
甘くて甘くて苦しい空間。
カーテンの向こう側の喧騒がまるで嘘かのよう。
甘い吐息はどちらのものなのかわからず、私はただただその甘さに溺れた。




