42.お礼に。
「お姉さん、お待たせ」
いつものように飄々とした態度で再び現れた千晴の手には、何故かクラスメイトの男子生徒がいた。
千晴に学ランの首根っこを掴まれている男子生徒は、顔面蒼白でガタガタと体を震わせていた。
…一体なんだ、あれは。
思わぬ、千晴の再登場に目を細め、眉間にシワを寄せる。
颯爽と現れた長身の金髪美人の手に、首根っこを掴まれ、怯えた男子生徒。
改めて思う。
…なんだ、あれは。
何を言えばいいのか、何からツッコミを入れればいいのか、悩んでいると、千晴は嬉しそうに口を開いた。
「この人がお姉さんと代わってくれるって」
「…へ?ふぇえ?」
千晴の言葉に男子生徒が、今聞きました、といった様子で目を見開く。
「お、俺、そ、そんなつもりは…」
「何?でもアンタ言ったじゃん。助けてくれるって。だから助けてよ」
「い、言いましたけれど…」
「俺、このままじゃ脱出できないし」
「え、ええ。だから俺が…」
千晴は淡々と言っている。脅しているような素振りもない。
だが、そのセリフ一つ一つが怖いのか、男子生徒の言葉はどんどん弱々しいものへとなっていった。
さすがにもう見ていられない。
「千晴!やめなさい!今すぐ、中本くんを元の場所に…」
椅子から立ち上がり、千晴の元へとずんずんと向かう。
そんな私を見て、千晴は表情を変えた。
「ねぇ?いいよね?」
「は、はいぃ!もちろんでございますぅ!」
千晴に笑顔で凄まれて、男子生徒が泡吹いて倒れそうな勢いで返事をする。
半泣きになっている彼に、私はかなり同情した。
理不尽すぎる。
「…だって。だから一緒に行こ、お姉さん?」
男子生徒の答えに満足げに瞳を細め、その手からやっと千晴は男子生徒を解放する。
「だ、大丈夫?中本くん?」
「…だ、大丈夫。ここは俺に任せて。華守くんをどうかお願い…」
解放された男子生徒の元へ行き、尋ねると、男子生徒は一粒の涙を流し、笑顔でそう言った。
まるで事切れる前のように。
男子生徒から千晴の方へと視線を戻す。
すると、私と目の合った千晴はその瞳をキラキラと輝かせた。
「一緒に行こう」とその瞳が言っている。
…おそらく、ああなっている千晴に「1人で行け」と説得するのは不可能だろう。
そんなことをすれば、周りを巻き込んで、あの手この手で私をここから動かそうとするはずだ。
ここまでされてはもう私の答えは一つだった。
「…わかったよ、行くよ」
「やったぁ」
私の答えに千晴は本当に嬉しそうに笑った。
…全く、困った後輩だ。
けれど、不思議とそれを心底迷惑だと思い、千晴のことが嫌になることはなかった。
愛犬に困らされながらも、振り回させる飼い主は、こんな感覚なのかもしれない。
*****
クラスメイトの中本くんに軽く引き継ぎをした後、急遽、私は千晴の望み通り、千晴と共に脱出ゲームに参加することになった。
私がいた教室を出た後も、もちろん様々な謎が参加者に立ちはだかる。
どこに謎があるのか、その謎を解く鍵は何なのか、最終的にどうなれば脱出できるのか。
一応、主催側なので、脱出ゲームの内容を私は全て知っていた。
だからといって、私が進んで謎を解こうとは思わない。
それではつまらないからだ。
せっかく脱出ゲームに来てくれたのだから、どうせなら千晴に脱出ゲームを楽しんで欲しい。
そう思いながら千晴とどんどんいろいろな教室へと入っていったが、千晴は私の助けなどなくとも、さくさく1人で謎を解いていった。
その姿を見て、私はすぐに「わからない」と言っていたあの千晴は嘘だったのだと察した。
「…私、いらなくない?」
ついにそう千晴に投げかけた私を、千晴が無表情に見つめる。
それから適当に先ほどもらった紙に書かれた文章を指差した。
「ここ、わかんない」
無表情なのに、どこか放っておけないオーラを放ちながら、私を上目遣いで見つめる千晴。
「わからない」と、指差した謎は、明らかに先ほどから千晴が1人で解いている謎よりも簡単なもので。
私は呆れて思わず息を吐いた。
わかりやすい嘘だ。
けれど、何故か邪険にはできない。
「…ここはあれだよ。さっき、机の上にメッセージがあったでしょ?そのメッセージがヒントになってて…」
「あー。わかったかも」
千晴にヒントを与えると、千晴はさらさらっと謎を解いて、その謎が示す、次の場所へと移動し始めた。
この脱出ゲームは、とある病気で死んでしまった女子生徒の心残りが原因で始まる。
つまりここからの脱出条件はその心残りを解消することなのだ。
その心残りとは、好きな人へ書いたラブレターを本人に渡せなかった、というもの。
そのラブレターを見つけ、その女子生徒の好きな人へと渡せれば、晴れてプレーヤーたちは脱出成功となる。
さくさくと謎を解き続けた千晴は、ついにそのラブレターを女子生徒の好きな人へと渡すことに成功した。
「おめでとうございます!…って、て、鉄崎さん!?」
見事脱出に成功した私たちをクラスメイトの女子生徒が笑顔で迎え…それから驚き表情を浮かべる。
この表情を見るのももう通算、10回以上だ。
私が各教室に現れるたびにクラスメイトたちは同じような表情で驚いていた。
まあ、仕事中の人が突然、参加者として現れたら、どうしたんだ、ともなるだろう。
私の担当場所は私1人だけだったし。
驚きを隠せないクラスメイトに見送られながら、私たちはついに教室から出た。
「…どうだった?」
「楽しかった。先輩も一緒だったし」
無事に脱出に成功した千晴に、まずは感想を聞いてみる。
すると千晴は淡々とそう答えた。
無表情だが、その瞳は輝いており、よく見れば楽しかったのだと伝わる表情だ。
「ならよかった。もう1人で入って来ないでよ?私に会いたいなら脱出ゲーム以外で会いに来て。わかった?」
「はぁい」
言い聞かせるように千晴をまっすぐ見ると、千晴は何故か嬉しそうに笑った。
何が嬉しいのか全くわからない。
どちらかと言えば、注意されているのに、本当に変なやつだ。
「お姉さん、ありがとう」
じっと千晴をおかしなものでも見る目ような目で見ていると、千晴はゆっくりと私に迫ってきた。
そしてその美しい顔を私に近づけ、私の顔に影を落とした。
…どうしたのだろうか。
さすがにこの距離まで詰められると、心臓がバクバクと暴れ出す。
いくら千晴が相手とはいえ、恥ずかしく、耐え難い。
頬に熱が帯び始め、いよいよ限界を迎えた、その時。
千晴は私のおでこにそっと唇を寄せた。
「…っ」
柔らかく熱い感触に思わず、息が止まる。
呼吸の仕方がわからない。
「じゃあね。また会いに行くから。今度は脱出ゲーム以外で」
そう言って甘く微笑み去っていく千晴の背中を、私は呆然と見つめた。
わ、私、おでこにキスされた?
「ねぇねぇねぇねぇ!今の見た!?」
「キ、キスされてたよね!?」
「きゃあ!やっぱりされてたよね!?」
「やばい!心臓止まる!破壊力!」
私たちの姿を見て、徐々にその場にいた生徒たちが黄色い声をあげ始める。
私はそんな可愛らしい悲鳴を聞きながら、ずっとバクバクと心臓を忙しなく鳴らし続けた。
え、キ、キスされたよね?
え?




