33.光る牙。
「…っ!」
次に目覚めた時、私は誰かに横抱きされ、廊下を移動していた。
私の足元には、下着が見えないようにと配慮された、黒いコートまでかけられている。
相手のことを思い、気遣える優しい性格に、見覚えのある黒コート。さらには鼻をかすめる優しい香り。
この香りを私は知っていた。
このファビュラスな香りは、間違いなく私の推し、悠里くんのものだ。
そこまで理解するのにかかった時間は、たったの3秒だった。
「…ゆ、悠里くん、お騒がせしてごめんね。もう大丈夫だよ」
私をしっかりと抱える悠里くんに、私は目覚めて早々、申し訳なさそうにそう言う。
きっと悠里くんは急に倒れた私をとても心配し、率先して運んでくれているのだろう。
おそらく保健室に。
「遠慮しないで、柚子。ゆっくり休んでて?」
ふわりと笑う悠里くんは、何よりも眩しくて。
まるで本物の王子様のような悠里くんに、私の心臓はズキューンと撃ち抜かれてしまった。
とんでもないラブ狙撃手だ。
申し訳なさが先にきた為、最初こそ何も意識していなかったこの体勢も、冷静になった今、急に心臓がドンドコドンドコうるさくなっていく。
推しが今、私をお姫様抱っこしてくれているんだぞ?
体が密着しているんだぞ?
耐えられるわけがない!
「ゆゆゆゆゆゆ、悠里くん!あの、もう、本当に!大丈夫だから!」
だからもう降ろしていただきたい!
そう悠里くんに言おうとした。
したのだが。
「大丈夫じゃないから倒れたんでしょ?だから降ろさない」
悠里くんは少しだけ困ったように笑い、小さい子どもに言い聞かせるように優しくそう言った。
…と、とんでもない破壊力だ。
私を抱き抱える悠里くんに、そんな悠里くんの腕の中にいる私。
廊下を移動する私たちに、生徒たちの好奇の視線が注がれる。
その視線が今の状況を私にますます伝えているようで、恥ずかしさはピークに達した。
けれど、私はこのラブ狙撃手には逆らえない。
私はなすすべなく、ただただ推しの尊さ、眩しさ、メロさ、全てに耐えるしかなかった。
*****
私の予想通り、悠里くんに連れて来られたのは、保健室だった。
そして私は今、悠里くんの手によって、保健室のベッドに寝かせられていた。
…全くその必要のない健康体なのに。
「今日はもうここで休んで、落ち着いたら帰ろっか」
「…」
ベッド横にわざわざ椅子を持ってきて座る悠里くんが、まるで病人を労わるような目で、私を見る。
それを私は一瞬だけ、つい黙って受け入れてしまった。
…いや、いやいや。
違う、違う!
「…本当にここまでしてもらって、大変申し訳ないんだけど、私は至って健康でして…」
流石にこの状況はやりすぎであり、よくないと思い、私はそそくさとベッドから出ようとする。
しかし、それを悠里くんは、静かに制した。
「…柚子、文化祭準備期間に入ってからずっと働きっぱなしじゃん。休める時は休もう?ね?」
「…は、はぅ」
私を起き上がらせまいと、優しく私のお腹辺りに手を添え、こちらを伺うように見る悠里くんに、思わず声が上擦る。
意識しているのか、いないのかわからないが、ほんの少し上目遣いで、私を捉えている悠里の瞳に、心臓が壊れそうなほど高鳴った。
優しくて、かっこよくて、尊い。
私の推しは最高だ。
こんな完璧な人、世界中どこを探しても、きっといないだろう。
「荷物、持ってくるね」
悠里くんの全てにやられていると、悠里くんは優しくそう言って、保健室から出て行った。
それから数分後。
悠里くんは二つの鞄を持って現れた。
一つは私のスクールバッグ。そしてもう一つは、何故か悠里くんのリュックだ。
まるで私と一緒に帰ろうとしているように見える悠里くんに、私は首を傾げた。
「…荷物、ありがとう、悠里くん」
「いえいえ。少し休んだら帰ろう?」
「…うん。ん?」
…帰ろう?
悠里くんの言葉にますます疑問を抱く。
何故か私の荷物と共に持ってきた自分の荷物に、先ほどからの言動。
やはりどう見ても、悠里が私と一緒に帰ろうとしているようにしか見えない。
「…悠里くん、今日作業長引きそうなんだよね?まだ帰れないんだよね?」
「うん。けど、作業よりも彼女の方が大事だから…」
おそるおそる問いかけた私を心配そうに、労るように、悠里くんがまっすぐと見つめる。
本当に本当に悠里くんは優しい人だ。
私のことを気にかけて、少しでも休めるようにしてくれて。
さらには彼氏としての責任感から、こんなにもなんとも思っていない相手に優しくできるなんて。
甘い夢を見させてもらえている私は、なんて幸せ者なのだろう。
これからも悠里くんを推す者として、精一杯、彼女という名の壁の仕事をしなければ。
優しい眼差しをこちらに向けてくれている悠里くんに「ありがとう」と小さくお礼を言うと、悠里くんは優しく笑ってくれた。
ベッドに横たわったまま、改めて、ベッドの横の椅子に座る悠里くんをじっと見つめる。
先ほどまで私の足元にかけられていた黒いコートはもうどこにもなく、悠里くんは制服姿に戻っていた。
けれど、先ほどからチラチラと見える牙は健在で、今の悠里くんは、制服姿の吸血鬼だ。
制服姿の吸血鬼な推しも何と尊いことか。
逆に日常に紛れ込んだ非日常、という感じがしてとてもいい。
吸血鬼カフェって、どんなことするのかな。
すっかり夢中になって、悠里くんのことを観察し続けていると、そんな私の視線に気がついた悠里くんと目が合った。
「…な、何?」
私の不躾な視線に、悠里くんが恥ずかしそうにそう言う。
私は悠里くんの様子に慌てて、謝罪をした。
「ご、ごめん!ごめんね!嫌だったよね!?本当にごめんね…!きゅ、吸血鬼な悠里くんがあまりにもかっこよくて、つい見入ってしまって…」
最初は勢いよく、途中からその勢いをなくし、本当に申し訳なく思い、悠里くんに頭を下げる。
推しを不快にさせるなんて最低だ。
両手をギュッと握りしめ、深く深く反省していると、その声は聞こえてきた。
「…柚子、触ってもいい?」
「へ、あ、うん、どうぞ」
頬を赤くし、遠慮がちに私を見る悠里くんに、よくわからないまま私は頷く。
すると、悠里くんはするりと私の首元に手を伸ばし、シャツのボタンをいくつか外すと、首元をはだけさせた。
…な、何?
そう思ったのと、悠里くんがそこに唇を寄せたのは、ほぼ同時で。
…え?
気がつけば、悠里くんは私の首元に、優しくキスをしていた。
とんでもない甘い状況にクラクラしてしまう。
すぐそこにある推しの顔。
甘く爽やかな匂いでいっぱいになり、私の全てを支配する。
それから首元に感じる、確かな柔らかな感触。
一瞬だけ触れたそれは、すぐに私の首元から離れた。
そして鋭い何かが、また私の首元に優しく当てられた。
悠里くんの牙だ。
「…ひゃあ」
突然の感触に、思わず変な声を出してしまう。
とんでもない状況にどうすればいいのかわからず、狼狽えていると、悠里くんが私から離れた。
私から離れた悠里くんは、私と同じように耳まで真っ赤で。
「…どう?吸血鬼っぽかった?」
と、照れながらこちらを見た。
悠里くんの完璧な吸血鬼にやられてしまった私の心臓は、ドンドコドンドコと大騒ぎで、平静をどうしてもいつものように保てない。言葉が上手く出ない。
だが、悠里くんの問いに答えないわけにもいかないので、私はとにかく素晴らしすぎたことを伝えるために、激しくうんうんうんうんと何度も何度も頷いた。
それから少しして落ち着いた私は、悠里くんにおそるおそる聞いてみた。
「…さ、さっきのが吸血鬼カフェの内容なの?あんな感じで接客するの?」
「な、ち、違うよ!柚子だからしたんだよ!そんな接客ないから!」
私の質問に悠里くんは盛大に照れていたのであった。




