オタクになりたかった彼女と、借りパクされた私の本
「ねーねー、ちょっといいかな?」ある日の放課後、帰宅の準備をしていると、クラスの女子が話しかけてきた。彼女はいわゆる「普通の女子」だった。性格は明るく社交的、休み時間には友人達と談笑し、昼にはお弁当を友人達一緒にたべ、放課後は友人達とカラオケに繰り出す。おしゃれにもそれなりに気を遣うが校則違反などはせず、許容される範囲内で楽しむ。成績は可もなく、不可もなく。教師に睨まれる事も無ければ、優遇されるような優等生でもない。そんな「普通の女子」だった。
一瞬たじろぎ、心の中で警戒する(何の用だ・・・?)もとよりそんな「普通の女子」が自分のような休み時間には誰とも話さず本ばかり読んでいるような、居ても居なくても誰も気づかない空気のような人間に興味を示すとは思えなかった。事実、彼女とクラスメイトになって久しいが彼女から話しかけられたのはこれが初めてだ。
「な、なに?」我ながら情けない反応だが、いかんせん突然の襲撃によりこのように反応するのが精一杯だった。自分の内心が気取られてはいないだろうか・・・細心の注意を払って取り繕おうとするが、そんな事が出来るわけもなく、自分の焦りや疑念は彼女にも伝わっていただろう。
「どうしたの?ちょっとキョドッてるけど」彼女はあたかも私たちずっと友達でしたよね?というような態度で振る舞う。そんな彼女の自然な態度がますます自分を萎縮させる事をわかっているのだろうか?
「あははー、やっぱり面白いねきみ」何が面白いのだろうか、こっちは何も面白くない。「は、はは、そうかな・・・?」と情けない返答をした私に彼女が告げた言葉は予想の範囲外だった。
「わたし、オタクになりたいんだよね〜。きみオタクでしょ?ちょっと教えて欲しいんだ、オタクってどうやったらなれるの?」彼女の無邪気な言葉に自分の心が抉られるのを感じる。そんな「オタマジャクシってどうやってカエルになるの?」みたいに聞かないでくれ。どうやったらなれる?だと?こちとらなりたくてなっているわけじゃない。いや、それでも私が「自分オタクですので!」と宣言しているならまだしも、周りが勝手に「あいつオタクだよね」とレッテルを貼っているだけじゃないか!むしろ「オタクってどうやったら辞められるの?」を教えてくれ。
喉まで出かかった声を必死で飲み込み、なんとか声を絞りだす。「い、いや、ぼくなんてまだまだ・・・」「えー、そんなことないでしょ?いっつも本読んでるし、なんか色々詳しそうだし。」「う、うーん、オタクと言ってもいろんなオタクが居ると思うけど、君は何のオタクになりたいの?」「え!?オタクにもそんな色々あるの!?」彼女は目を丸くする。
私は心の中で舌打ちを100万回ほど打つ。「ま、まあ、やっぱり自分が好きな物とか、作品とか、そういうのが無いと・・・」「ふーん、そうなんだ、うーん、特に思いつかないなぁ・・・あ、じゃあ君が今読んでるそれ、貸してよ!」私はゴクリと唾を飲む。これを「貸せ」だと・・・?私は机の中にある本にちらと視線を送る。『前世で課金しまくったゲーム世界に転生したら、なぜか女性キャラの好感度だけ引き継いでいたので王女からメイドまで全員デレデレな件』私の目に欲望と妄想をこれ以上なくストレートに表現したタイトルと、露出度の高い衣装に身を包んだアニメ調のキャラクターが描かれた表紙が目に入る。いや、ダメだ、他はともかくこれはダメだ。
「あー、これまだ読んでる途中だから・・・」「えー、そうなの?じゃあ他に何かおすすめあったら貸してよ」「うん、わかったよ、明日持ってくるから」「やった!ありがとう、約束だよ!やっぱり持つべき物はオタクの友達だね」相変わらず「前から友達でしたが何か?」というような彼女の態度に呆れながらも私はどの本なら彼女の興味を引けるかを真剣に悩んでいた。
翌日、私は一晩中悩みに悩んだ末に一冊の本を鞄に入れ登校した。『空の王国と蒼穹の乙女』過去にアニメ化された事もある人気のシリーズだ。いわゆる王道のファンタジーで、主人公だけではなくヒロインも活躍するので女性ウケも悪く無いだろう。入門編としてはこれ以上ない選択。あとは彼女にいつ渡すかだ。
もちろん、休み時間に友人と談笑している彼女に、自分から声をかけるような事が出来るわけもなくじっと機をうかがう。放課後、人もまばらになった教室で自席に座っていると彼女が話しかけてきた。「もってきてくれた?」「ああ、これ」と本を差し出す。「あー、これなんか見たことあるかも?昔テレビでやってたよね?」「そうそう、それの原作。最初はとっつきやすい奴が良いかと思って」「そうなんだ〜、ありがとね。早速家帰って読んでみるよ!」手を振りながら彼女は颯爽と教室を出て行った。私は間抜けづらで手を振り、彼女の後ろ姿を見送っていた。
その日の夜、私はいつになく期待と興奮と妄想(はいつもの事だが)に包まれていた。(もしかして、この本がきっかけで仲良くなって、その後に色々な展開があるのでは・・・?)ベッドに横になるがなかなか寝付けない。(次はどれが良いだろうか、普通に続きを読んでもらうのが良さそうだけど、あれに興味を示すならこっちも悪く無いかもな・・・そのうちアニメも見たいって言うかも・・・そしたら家で一緒に観ちゃったり・・・?)
その後、1週間が経つが彼女からは何の反応もなく、私も自ら感想を聞くような事はせず、何事もなく過ぎ去ろうとしていた。その日の放課後の教室は、いつもより少し静かだった。窓から差し込む夕陽が、机の上に長い影を落としている。私は鞄を肩にかけ、教室を出ようとしていたが、ふと足を止めた。廊下の向こう、階段の踊り場に彼女の姿があった。
彼女はいつもの友人たちに囲まれ、楽しげに笑っている。手に持ったスマホを覗き込みながら、「え、うそ、めっちゃ面白そうじゃん!」と弾んだ声が響く。昨日放送されたバラエティ番組か、誰かがシェアした動画の話だろうか。彼女の髪が夕陽に照らされて、きらきらと揺れている。
私は、教室のドアの影に半分隠れるようにして、じっとその光景を見つめた。彼女の手には、私が貸した『空の王国と蒼穹の乙女』なんてどこにもない。もう読んだのか、それともカバンの底で忘れ去られているのか。いや、きっと後者だ。あの本のことなんて、彼女の頭には一瞬も浮かんでいないんだろう。
彼女が友人たちと笑いながら階段を下りていく。背中がどんどん遠ざかる。私は、ただ黙ってその後ろ姿を見送った。手に持った鞄の重さが、いつもより少しだけ重く感じられた。私に対する態度は「あなたってこのクラスに存在しましたっけ?」と言わんばかりの、つまり「オタクになりたい」と私に伝える前の彼女の態度に完全に元に戻っていた。彼女にとっては一瞬の気の迷い。もしかしたら「オタクになりたい!」なんて言った事を後悔しているのかもしれない。私との会話は既に彼女の中で記憶から抜け落ち、同時に私が貸した本も記憶から抹消されているのだろう。
無論、私に友人に囲まれ談笑している彼女に近づき「貸した本返して欲しいんだけど」などと言える筈もない。沈黙のみが私の武器だ。
一時の気の迷いで「オタクになりたかった少女」と、生来の気質と周囲のレッテル貼りにより「オタクだった私」との邂逅が幸福な結末になる訳もなく、ただ「私の貸した本が借りパクされた」という結果を残すのみであった。
家に帰った私は本棚を見つめる。彼女に貸した1冊分のスペースがそこにあった。さて、次はどんな本でこのスペースを埋めようか。「愛」と「勇気」ではなく「想像力」と「妄想」だけが私の友達だ。物語は無数にあり、可能性も無限大だった。
普段はSFを書いていますが息抜きにちょっとした短編を書いてみました。
自分の実体験に基づき「想像力」と「妄想」を膨らませています。
みなさんの心に少しでも届けば幸いです