夢を託された者の責任
「先生は、以前から、調子は悪いと言っていたの。何かあったら、頼むって。だけど・・・まさか」
莉子は、青ざめていた。まだ、リハビリが効を示したばかりで、車椅子は手放せない。藤井先生の主治医のいる病院に、駆けつけた時も、黒壁の車から、ようやく降り立った。
「家族は、いないのよ。娘さんは、別れた旦那さんの元にいるの。確執って言うのかな。逢う事はないって、言ってた」
莉子は、車椅子になる前から、藤井先生の付き添いで、病院には、来ていた。ただ、その頃は、深刻な状態ではなく、一旦、小康状態を保っていた。
「再発だって」
僕は、告げた。先生の立っての願いで、僕が立ち会った。
「ステージⅣだって。本人が言っていた。」
僕は、隠す事なく告げた。
「いつの間に、こんなに進行していたなんて」
莉子は、咽び泣く。
「私に構っている場合じゃないのに」
「莉子・・・」
顔をくしゃくしゃにして、泣く莉子は、幼い子供のようだ。
「藤井先生は、入院しないって」
僕は、何度か、先生と主治医とも話をした。少し、点滴を打つが、すぐ、自宅に帰るそうだ。それが、先生の意向だった。
「帰るって?大丈夫なの?」
莉子は、叫ぶ。
「入院した方がいいわ。ね?そうよね」
「莉子。そうじゃないんだ」
黒壁が、宥める。
「藤井先生が、何をしたいのか、わかるかい?」
穏やかに黒壁が、話しかける。僕も、藤井先生と同じ立場なら、よくわかる。残りの時間が決められていたら、できる事。全ての時間をかけてやりたい事。
「君に全てを賭けるって」
黒壁の目は、真っ直ぐに莉子を見つめていた。
「君に一番最初、病気の事を告げた時に、もう、決めていたんだな」
莉子に自分の後継者になってもらう事。彼女が、車椅子になっても、先生は、諦めないでいた。なんとか、彼女を救い出す方法を探していた。
「そんな・・・」
莉子の両目からは、涙が止まらない。莉子にとって、藤井先生は、母親であり、姉でもあった。
「僕らも協力するよ。」
莉子と逢って、何回目だろう。この台詞。僕らは、家族のような関係になっていた。藤井先生が寂しくないように、先生の人生が充実するように、僕らは、莉子をステージに立たせる。藤井先生の夢が叶うように、後継者の座に座らせる。彼女を縛っている鎖を解き放つ。
「泣いている暇はないんだよ。莉子。藤井先生を喜ばせるのは、君自身なんだから」
僕は、莉子の車椅子を押して、先生の眠る処置室に連れて行った。
「先生・・・明日、迎えに来ますね」
莉子は、点滴を受ける藤井先生の横顔に話しかけていた。