目眩
僕は、藤井先生に言われるまま、莉子の入院する病院に駆けつけていた。リハビリで入院していた時とは、異なり、莉子の部屋は、ナースステーションの隣の個室になっていた。面会時間は、聞いていたので、差し入れの簡単な飲み物だけ持参した。ドアを開けると、そこは、シンとした静寂だけが広がっていた。事前に、莉子の夫の承諾は得ていた。携帯だったが、
「逢ってみれば、わかる」
と笑っていた。勝ち誇ったような笑いだった。
「まだ、あなたが、家族だから、断っておくだけ」
僕は、告げた。莉子が誰を向いているのあ?さえわかればいい。莉子が、元の生活に戻る自信を取り戻せたなら、僕は、潔く去ろう。あのフラメンコのリズムにのって、彼女がバイれとして、復活する姿を遠くから見れればいい。彼女が、元の生活に戻れる事。リハビリ師として、今までと変わらない生活。健康で退屈すぎる人生を与える事ができれば、それでいい。僕が、居た証が残ればいい。多くは、望まない。その人は、静寂に包まれ、ベッド上に居た。ベッド脇には、見慣れた車椅子が、止められていた。
「莉子?」
手元のアルバムを見ていたらしく、俯いていた彼女が、顔を上げた。
「来てくれたのね?」
いつもとは、違う声の高さで、莉子は、僕を見て微笑んだ。
「ずっと、待っていたの。もう、忘れてしまったんじゃないか?って」
いつもの印象とは、違う。違和感があった。
「声を聞けないと、寂しくて」
莉子は、僕に飛びつく勢いだ。
「大変な手術だったけど、もういいの?」
莉子は、何が起きたのか、あの日の事を覚えているのか、僕は、確認した。
「えぇ・・・階段から、落ちてしまって、怪我をしたのね。迷惑をかけてしまったわ。架・・・」
「え?」
僕は、軽い目眩を起こしそうになった。
「手術は、うまく言ったって、先生が言っていたわ。早く、家に帰りたいわ。そうしたら、また、いつものように、2人で過ごせるわね」
首に絡みつこうとする莉子を僕は、引き剥がした。
「僕の名前がわかるの?」
「えぇ・・・架よ。私の夫」
莉子の眩しい瞳が、そこにあった。
「やり直したいと思っていた。ずっと、ずっと・・・」
「莉子・・・」
これだったんだ。架の勝ち誇った様な声の正体は。
「だから・・・言っただろう」
架は落ち着いていた。甘苦しくなった僕は、莉子の部屋から、飛び出した。すぐ、電話すると、コールする間もなく、架が出た。
「良かったな。あいつに、愛おしそうな眼差しを向けられただろう?」
「それは、あなたの代わりだからと言いたいのか?」
「そうだな・・・いっそ、僕の代わりとして、結婚生活を続けてみるか?」
「ばかにするな」
差し入れの飲み物を置き忘れたと思い、戻ると、藤井先生が立っていた。
「どうして?」
僕は、思わず聞いてしまった。
「何があったのかは、わからない。かなり、ショックな事があったみたいよ。あなたの事を夫と思い、夫の架の顔は、忘れてしまったみたいなの」
「だとしても・・・」
これ以上、残酷な事があるか?僕を夫の架と思うなんて・・・。
「新・・どうするの?」
藤井先生は、僕の事を見つめるのだった。