夫の想い
莉子の夫は、あの日とは違った表情で僕の前に立っていた。
「結局、そばにいたのは、あなただったのか」
僕は、また、殴られそうになるのかと思っていて、身構えていた。が、彼は、僕に買ってきたコーヒーを勧め、そばの椅子に座る事を勧めた。
「話をしなければいけない」
「僕も、そう思っていました」
莉子の夫、架の右手には、醜い痕が残っている。
「莉子のリハビリを今も続けている?」
「知っていたんですか?」
「もちろん。知りたくなかったけど」
彼に差し出されたコーヒーを一口飲む。考えたら、ずっと、水分を口にしていなかった事を思い出した。
「もう、莉子とは関わらないで、欲しい」
「僕も、そうしようと考えた時もありました」
「奈r・・・どうして?関わる?混乱させたくないんだ」
「あなたが、安心して任せる事ができるんなら、離れる事もできるけど、今の状態では・・・」
「任せられないか?」
架は、ため息をついた。僕は、携帯に撮っていた大量の睡眠導入剤の写真を、見せた。
「異常なほどの量です。これは、誰の?」
「これは・・・僕のです」
「あなたの?」
僕は、驚いた。莉子の転倒と睡眠導入剤は関係あると思っていたから、
「莉子に飲ませていた?」
「信じないかも知れないけど・・・」
架は、寂しそうに笑った。
「飲まないと眠れないのは、僕なんだよ」
「あなたが?」
「信じられないって、顔だな」
「えぇ・・・」
莉子を縛り付ける為に服薬させていた。そう思っていた。
「莉子を心から信じているのか?」
「え?」
意外な言葉にどう答えたら、いいのかわからなかった。
「当たり前じゃないですか?あなたは、夫として信じていなんですか?」
「信じたいよ・・・だけど」
僕に話すべきか否か、躊躇っているようだった。
「君は、リハビリで入院している時の莉子の様子に詳しいのかい?」
「えぇ・・特に、問題は聞いてません」
「そうか・・・知らないか?」
「何があるんです?」
「人格が変わってしまって・・・夜になると興奮が止まらない。眠れないんだ」
硬膜下血腫が原因で、人格が変わってしまった例は、よく聞くが、莉子には、そんな様子は、見られなかった。
「信じられません」
僕は、言った。夫の嘘でしかないと僕は、態度で示した。
「僕とリハビリ中の様子も、変わりなく、人格が変わったと思える症状はなかった」
「そう見えるかい?」
「だとしても、それならどうして、受診させなかったんですか?」
「採りきれない血腫がまだ、残っていて・・・リハビリしても難しいと思っていた」
「血腫が原因ではないですよ。動くんです」
「動く?そんなはずは」
「人格が変わるなら、れっきとした原因究明と服薬が必要なんです。何故、彼女を閉じ込める?」
「君には、到底わからないよ。僕らの気持ちは」
「僕ら?」
僕は、その言葉にカチンときた。
「あなたこそ、莉子のそばにいるべきじゃない」
架は、傷痕のある右手を、固く握りしめていた。僕ら?莉子と架は、同じだというのか?莉子の人格が変わっていた?僕は、信じられない気持ちで、手術が終わるのを待っていた。