決意
僕は、胸騒ぎがしていた。
「どうして、もっと早く、行かなかったんだろう・・・」
下に居た心陽に気を取られた。僕は、心陽とフラメンコのステージを見に行かず、莉子の安否を確認するべきだったのではないか?どうしてあのまま、心陽を信じて、出かけたのか?ここまで、来ていながら、最後に僕は、躊躇する。いつもだ。僕が悩んでいる間に、事は、思わぬ方向に進んでいく。いつもだ。
「迷うな」
自分に言い聞かせる。莉子と一緒にいる事に、何故、迷うのか?僕は、タクシーを呼び止めると、莉子のマンションに向かう。藤井先生に教えられたコードを叩き込み、エントランスホールを抜ける。エレベーターも待ちきれず、階段を駆け上がる。この目で、確認しろ!僕は、自分を呪った。
「あの子が、ライバルを自死に追い込んだらしいわよ」
滅多に人の事を悪く言わない藤井先生は、心陽を良く言わない。心陽は、そもそも繊細な心の持ち主なんだとは、思うが、どこか、常軌を逸した所がある。人の感情の奥底まで入っていって、ダメージを与える。他人の何気ない言葉の裏を掻く。プライドは、高く、そして病的。彼女のピアノの才能は、その病的さだ。莉子は、気付いていない。自分の側にいる人が、とんでもない毒を含んでいる事を。
「第一発見者は、心陽だったのよ」
いつか聞いた。莉子の転落した現場に最初、訪れたのは、一番の友人だったと。最初、聞いた時は、不審な感じはしなかった。だけど、過去に心陽のライバルと言われていた女性が、自死に追い込まれていたとしたら。莉子の夫、架と何かあったとしたら?莉子に好意的でないとしたら。階段を駆け上げるのが、こんなに苦痛だとは、思わなかった。莉子の部屋の前に立った時は、心臓が飛び上がるほど、苦しかった。
「莉子?開けるよ」
藤井先生から教えられたコードを入れると電子音がして、ロックが解除された。空いた扉の奥に、光の漏れている部屋が見える。
「莉子?」
僕は、慌てて、靴を脱ぎ捨てると廊下の奥へと入っていった。どこからか、音楽が流れて来ている。
「藤井先生に頼まれて来たんだけど」
僕は、言い訳しながら細く開いている扉に手を掛けた。
「何で?」
ドアの隙間から、見えたのは、不自然な倒れ方をしている莉子の姿だった。