もう一度、歩き出すために。
夫の元に戻った莉子は、文字通りの駕籠の中の鳥であった。リハビリは、一日でも、休むと元に戻らなくなる。痛みに耐えながら、拘縮した筋肉を動かしていく。莉子の場合、硬膜化血腫が、原因で、下半身麻痺であった。手術は、良好で、リハビリを続ければ、立ち上がる程度までは、回復するだろうとの初見だったが、思うように、リハビリの成果が出なかった。血腫は、取り除けた筈である。心理的な事が、原因なのか、足先に反応はなかった。だから、莉子の両親も、腕がいいと聞けば、どこの病院にも、リハビリの為に、入院させていた。夫の架も、関心がない事もあって、入院してのリハビリに反対はしなかった。だが、今回、架は、何があった訳ではないが、新と莉子に疑いをかけ、自宅へと、連れ帰ったのだ。家事の何もかも、架が、行い、生活している莉子は、外部との接触もなく、人形と変わりなかった。
「気分転換に行くわよ」
連れ出してくれたのは、フラメンコの師匠、藤井だった。厳しさの中に、優しさとユーモアのある女性だった。
「何人か、スタッフも連れていくわ。実は、打ち合わせしたい事もあってね。連れ出しに行くから、待ってて!」
シングルマザーでもあって、心強い。藤井は、大きなSUVを運転し、莉子の前に現れた。
「なんて、酷い顔をしてるの?」
「酷い顔?」
「何が、あなたをそうさせたの?踊れない事なの?それとも?」
藤井は、どんな時でも、綺麗である様に団員達に伝えてある車椅子であっても、それは、変わらないと言うのが、彼女の持論だ。
「みんな、驚くわよ。莉子。」
藤井は、莉子の髪を手で、束ねると、
「ちょっと、失礼」
莉子のメイク道具で、顔を仕上にかかった。
「何があったの。リハビリをやめて、戻ってくるなんて」
「置いておけないって」
「いい先生に逢えたって、言ってなかった?」
新が担当になった事を、メールで藤井に伝えていた。もしかしたら、踊れる様になるかもしれないと。
「その先生と何かあった?」
莉子の目と藤井の目があった。
「やっぱり、そうなのね」
「いや・・・そうでなくて」
最後に、口紅を塗って、仕上げる。
「このままで、いいの?」
「何がですか?」
「私が、言う事ではないの。莉子が気づきなさい」
車の中で、待っていたスタッフが、莉子の体を抱え、車に座らせる。
「筋肉が、細くなて。少しでも、運動しないとダメよ」
莉子は、うなづきながら、車内での、他愛もない話を聞いていた。みんな、変わらなかった。次のステージをどうするのか、新しいギタリストが、ゲイだったとか、日常とは、かけ離れた話を交わしていた。
「莉子。踊るのよ。必ず、あなたの足を引っ張るのは、捨てちゃいなさい。私みたいにね」
藤井は、男っぷりも良く、運転し、他のスタッフの待つ、カフェに到着した。
「筋肉をつけろといいながら、言うのもなんだけど。ここのパンケーキ。美味しいのよ」
莉子を軽々と、車から降ろし、スタッフ達は、予約してきたテーブルへと案内していく。
「さて、今回は、こんなことになってしまったけど、莉子にも、出てもらおうと思ってね」
藤井は、突然、皆の前で、口を開いた。