このまま、終わらない。
僕は、黙って携帯の向こうの声に聞き入っていた。リハビリ室にいた僕は、外線で、呼び出され、すぐ、携帯に出る様にとの伝言があったのだ。相手は、僕の一番、離したくない奴だった。何かを言おうと口を開こうかとしたものなら、その倍が帰ってくるから。
「すぐ、帰ってきなさい」
いつも、威圧的で、命令口調だ。
「恥ずかしい」
あなた達にとって、僕は、恥ずかしい存在らしい。僕は、思わずため息をついた。恥ずかしい存在なら、そばに置くなよ。だけど、父親同様、母親も、帰ってこいという。僕が、危険な行為をしたと言い張る。
「警察に任せておけばいいのに。あなたが、危険を犯してどうするの?」
父親の後ろで、母親がヒステリックに叫ぶのが聞こえてきた。思い通りにならなければ、感情的に僕を威圧する人達。都会に戻り、大人しく系列の病院で、働けという。
「だけど、僕は、帰らない」
「一体、どんなに親を心配せせたかと!あの時だって!」
「それは、申し訳ないと思っている」
僕は、以前、遭難した事がある。大学受験を控えた晩秋の頃、滑落し、一晩、怪我のせいで、動けなかった。捜索願いが出され、発見された時、僕は、膝下を骨折し、歩けなくなっていた。だから、莉子の歩けない気持ちがわかる。順調にいくはずだった大学受験も失敗した。だけど、僕は、失敗して良かったと思っている。リハビリ師と出会い、僕のやるべき道を見つけたから。ただ、遭難した事で、親には、大きな借りが出来てしまった。
「もう少しで、いいから、まだ、見ている患者がいる。せめて、その患者がよくなるまで、居させてほしい」
僕は、懇願した。医者なら、途中で、無責任に放り出さすことの罪悪感を理解してほしい。
「お前は、そう言って・・・また」
「僕の考えが正しければ、歩けるはずなんだ。見届けたいんだ」
「それなら・・」
父親の言葉に、僕は、躊躇した。
「どうせ、結婚するんだから、七海と一緒に生活しろ」
「七海は、こんな田舎で生活できないよ」
「時々、こちらに帰ってくればいい。結婚してもいいんだぞ」
僕は、唸った。
「七海は、妹みたいな存在なんだ。それは・・・」
「じゃ・・・帰ってくるんだな」
携帯電話は、そこで、切れてしまった。かけ直そうと思ったが、いつまでも、仕事に戻らない訳にもいかず、僕は、トボトボとリハビリ室に戻っていった。
「よ!英雄!」
テンション高めに、黒壁が話しかけてきた。あれから、いろんな事があって、今日のリハビリは、中止になっていた。黒壁は、リハビリ室で、明日の準備をしながら、勤務後の看護師達を相手に、武勇談を披露している最中だった。
「よせよ・・・大舞台は、二人の看護師に決まっているだろう」
「やっぱ、あの大熊と小鼠は、何かが、違うと思っていたんだよ。俺は」
「はぁ・・・」
僕は、ため息をついて、昇降台に腰掛けた。
「何だよ!元気ないな?」
頭を抱える僕に、黒壁は、背中を叩いて、喝を入れた。
「そんな、落ち込むなよ。縁がなかったって、諦めろよ。また、どこかで、和えるよ!」
「逢えるって?誰に?」
黒壁が、僕の耳元で、囁く。
「莉子ちゃんに・・・」
「え?怪我でもした?」
「じゃなくて・・」
勤務後の看護師と
黒壁が、目を合わせる。
「旦那さんが、来ていたわよ。連れて帰るって。転院は、すぐは、無理だから、準備出来次第、ここから、移るみたいよ」
看護師は、院長室を指差す。
「今まで、逢いに来なかったんだけど、流石に、心配になったみたいね」
事件を聞いて、すぐ、高速を飛ばしてきたそうだ。莉子の夫は、事の次第を院長から聞き取り、今後の不安もあり、自分の側に置きたいと言っているそうだ。
「結局、俺らとは、違う世界の女性だったんだなー」
「あれ?黒壁君、落とすんじゃなかったんだ」
「いやー。高嶺すぎて、俺、滑落」
「冗談言うなよ」
「わり!お前、受験前に滑落してたんだよな。ごめんごめん悪気はないんだ」
僕は、莉子の病室に急いで、向かうが、そこに莉子の姿はなかった。