26 アイキャン
夢を見た。
私を助けるために、現実世界の私では制御できない精神世界に侵入した4人+1の夢――いや、これは夢というより、朔のイメージか。
その精神世界は、確かに私の精神を象ったものだと理解できるもので、それがどういうものかも感覚的に理解できる。
現実世界の私と精神世界は、お互いに影響し合っているのは見てのとおり。
そこでの出来事が私の魔法が生まれるトリガーになっているらしいけれど、基本的に私は、私の精神世界――いや、朔の認識で構築された精神世界に介入することはできない。
そこは私の精神世界ではあるのだけれど、朔の干渉――というか侵食によって創られた、朔だけが干渉できる世界なのだと思う。
これまでは精神世界の存在に懐疑的だったのだけれど、こういう発想は面白い。
とにかく、そこでのことは、朔からのイメージで事後報告的に知ることはできるのだけれど、朔は必要以上に私に影響を与えないようにと、滅多に教えてくれることはない。
そもそも、教えてもらっても意味がよく分からないことが多いので、よほど変なことをされない限りはどうでもいいかなと思う。
ひとつだけよく分かる理屈が、精神世界の私には現実世界にある柵がなかったりするので、ちょっとした切っ掛けで大暴れするそうな。
迷惑な奴だな。
そんな中を、比較的安全な表層で、更に朔が守っていたはいえ、少しでも間違うと二度と戻ってこれない可能性もあったところに、みんなは私を助けに行ったのだ。
みんな無事だったことは素直に嬉しい。
でも、次からは危ないことはしないでほしい。
私は放っておいても大丈夫なのだから。
しかし、なぜだろう。
みんなには助けてもらったはずなのに、素直に認められないようなもどかしさがある。
朔は何があったのかを教えてくれない。
何があったというのか……。
◇◇◇
ゆっくりと目を開ける。
上手く眠れた感じではなかったけれど、疲れもない。
まあ、気分的なこと以外で疲れたことはないのだけれど。
恐らく、眠る必要も特に無いのだろう。
寝るのは好きなので寝るけれど。
目を開けてみたところで、目に映る世界は柔らかい闇に閉ざされたままだった。
領域や朔に頼らなくても、ミーティアに抱え込まれているというか、押さえ込まれているのが分かる。
今回が初めてということではなく、私に触れているとよく眠れるとかで、ミーティアの他にも翼に包まれるようにアイリスが寝ているし、リリーはお腹の上に乗っているし、ソフィアも脛に齧りついている。
この状態でも安眠できる私ってすごい。
さておき、起床にはまだ早い時間だけれど、二度寝はできそうにないので、みんなを起こさないように静かに抜け出す。
せっかくなので、翼を使う練習をしてみようと思う。
好き好んで翼を付けようとする人はいないと思うけれど、付いてしまったものは仕方ない。
それに、やはり飛べるなら飛んでみたいと思うのが人情だろう。
しっかりと準備運動をして、翼の方も動かし方と可動域の確認を行う。
ちなみに、運動前の静的ストレッチはパフォーマンスを低下させるらしい。
なので、準備運動にはラジオ体操のような動的なものが良いそうだ。
ただし、ラジオ体操には翼や尻尾の運動はないので、適当にバッサバッサフリフリするしかない。
そこでふと気づく。
羽ばたいても前方に風を送っているだけで、飛ぶためには羽ばたく方向が違うような気がする。
直立した状態で羽ばたいても、バックはできるけれど浮く気配など全く無い。
どうにか下方に羽ばたこうと翼を動かそうとしてみるも、身体の構造上か柔軟性に問題がある。
上体を前傾させて水平にすればどうにか浮けそうだけれど、風圧で巻き上がったあれやこれやが顔面を直撃して、髪も激しく乱れる――というか荒ぶる。
何だこれ?
ミーティアや天使は垂直に立った状態で飛んでいたし、浮遊までしていたはずだ。
「《飛行》スキル無しじゃと、儂らのようには飛べんぞ?」
珍しく早起きしてきたミーティアが、私の疑問に答えてくれた。
そして翼や尻尾を出して、羽ばたきもせずに宙に浮いて見せた。
「羽ばたくのは加速なんかのスキルのモーションじゃから、飛ぶだけなら特に翼は必要無いんじゃよ」
そうかも、とは思っていたけれど、変わり果てた姿の中、密かに楽しみにしていた空を飛ぶことができないのはショックだった。
「お主の身体能力の高さならば、飛べるのは飛べるのじゃろうがな、物理法則や身体的な制約の中での話になるじゃろうな」
落胆の色が顔に出ていたのか、ミーティアがフォローを入れてくれる。
「残念」
「飛び方なら教えてやってもよいが、空のことは儂に任せておればよい」
昨日のあれから、ミーティアに限らずみんなが優しくなった気がする。
調子が狂う。
私の精神世界で何かあったのだろうか?
関係が悪くなったわけではないけれど、どう反応すればいいのか分からない。
それから、ミーティアにサポートされながら、おっかなびっくりの空の散歩を堪能した。
私の翼は物理的に飛ぶことを考慮されていないようで――それどころか、普通に羽ばたくことすらできない不便な生え方をしている。
前に風を送ってどうしようというのか。
とにかく、立ち姿の見栄えしか考慮されていないようで、椅子に座るだけでも地面に付いてしまう。
私の肌同様スベスベなので、汚れないのがせめてもの救いだけれど。
一応、力任せに羽ばたけば飛べないこともない。
飛ぶというより、吹き飛んでいるといった方が正確かもしれない。
滑空くらいならなんとかできそうな気はするけれど、それならウイングスーツとかでもいいような気がする。
もう少し練習は続けてみようとは思うけれど、下からパンツを見られるだけなので、人のいないところでやろう。
◇◇◇
みんなが揃ったところで、朝食を摂りながら今後の方針の再確認を行う。
といっても、特に目的が変わったわけではないので、公爵の排除が第一目標だ。
どちらかというと、問題は神とか天使の方だ。
奴らは一匹見たら三十匹どころの話ではない。
朔が言うには、万単位でいたらしい。
しかも、厄介な《神域》のおかげで、まともに戦えるのがミーティアのみなので、確実性を求めるなら逃げるしか手がない。
それに、光の柱――神の怒りによる攻撃は、私以外には防ぎきれないようだ。
どこにいてもリスクは変わらず、私の所に落ちるとも限らないのが面倒だ。
とはいえ、最も撃たれたくなかったタイミングで撃たれていないことや、グレゴリーさんの時も、ソフィアの時も、天使が介入すべきタイミングもおかしいことから、心配しすぎても仕方がないように思う。
それとは別に、アイリスたちから、私が日本へ帰還するより、妹たちをこの世界に召喚してはどうかとの提案を再度受けた。
理由を聞けば、普通の日本人だったアイリスから見ると、あのふたりの妹も普通の枠からかなりはみ出していて、あちらの世界は窮屈に見えたそうだ。
それに、レティシアは魔族だし、故郷もこちらだし、彼女が魔族であることによる問題など、何となく納得できるものも多かった。
私の方でも、ひとつ発見があった。
世界を喰ったときに分かったことだけれど、この世界から日本に行くことはできないように、世界を覆う壁――というか、逆止弁のようなものがあった。
物理的なものでも魔法的なものでもなく、概念というかルールが設定されているような感じで、何というか、よく分からない説得力のようなものがあった。
まあ、竜や魔王といった強大な存在や、対抗手段の存在も怪しいデスなどが日本に行ったりすれば大問題なので、システムを作った存在からすれば対策をするのは当然ともいえる。
今の私なら、その気になればその壁も壊せるだろう。
しかし、そうすると怒った神が何をするか分からないし、壁が無くて神が死んだ世界がどうなるのかも分からないので、それは最後の手段にとっておく。
なので、アイリスたちの提案も真剣に検討、模索しようと思う。
妹たちに怒られたら怒られたで、そのときは謝るしかない。
もちろん、それも簡単なことではないだろうし、それ以前に、しばらくはこの世界の神がどう動くかを警戒しなければならない。
というか、もっとこの世界のことを知らなくては駄目だと思う。
そのついでに、必要なら妹たちが来たときに住み易いように、この世界を綺麗にしておくのもいいかもしれない。
そのときは自称主人公のアルに表舞台に立ってもらえば、彼の主人公人生は充実するし、私も面倒に巻き込まれないで済む。
完璧な計画だ。
そうと決まれば実行するだけ。
その前に攻撃を受ければ全てが台無しになるけれど、まずはしっかり休息を取らなければいけない。
◇◇◇
――第三者視点――
「さて、この惨状をどうしようか」
薄暗い空間にポツンと浮かぶ、枠のない窓から声が発せられる。
窓には微かに人影が映っていたが、酷く不鮮明でどのような人物なのかを窺い知ることはできない。
「私があれだけ止めたのに、無視して撃ったのは貴方たちでしょう? 挙句、仕留め損ねるとか莫迦なのかしら? まあ、仕留めていたなら、私が貴方たちを殺していたところだけど、一体どう責任を取るつもり?」
同じ空間にいる、いくつかの窓に囲まれた女性が、憤慨した様子で応える。
こちらもフードを目深に被って顔を隠してはいるが、実体を持ってその空間に存在している。
「君の能力は確かだし、働きにも感謝はしている。だが、やはり君はここでは新参なのだ。無条件に信じることはできないし、あの状況では『撃つ』以外の選択肢は無かったはずだ」
「君の報告では、彼女があれほどの力を有しているとはなかったがね。いや、そもそもが人が種子を宿して平然としている点で既におかしいのだ。その辺りの説明も全く無い。これでどう信じろというのだ? まだ何かを隠しているのではないか?」
「それよりも、これからのことだろう。あの一瞬で三百万以上の天使が喰われた。行方不明を含めれば、倍近くになるだろう。その中には上位天使もかなりの数が混じっていたが、全く抵抗らしい抵抗もできずにだ」
「緊急措置として、世界を切り離すことで全滅だけは避けられた。――だが、システム自体にも無視できない被害を受けた。切り離した世界との再接続もできず、
残った天使たちに指示を出すこともできん」
「君の相棒にはそちらの対処に当たってもらう。世界の方もそうだが、切り離しの余波で亜空間に消えた天使たちも問題だ。あれらは管理を怠れば暴走する可能性があるからな」
「それよりも、彼女を止める手段が無いことが問題だ。存在を破壊する《極光》ですら喰われるなど想定外だった。だが、あれ以上出力を上げれば世界が耐えられない――いや、それに耐えられるだけの設計の防壁すら一瞬で喰われたことを考えれば、効かないと考えるべきだろうな」
「いっそ、太陽でもぶつけてみるか――いや、太陽を喰われるだけか」
先ほどまで何もなかった空間に、最初からあったものと同様の窓と人影が出現し、それらが口々に話し始める。
「下手に手出しをすれば藪蛇になる可能性が高いね。最悪、あの世界は放棄するしかない――もちろん、貴重な世界だしできれば避けたいけどね。新たな世界を創るにも時間が必要だし、創っても種子の力で世界を超えられては無意味だしね」
「そもそも、たったひとつの種子であそこまでの能力を発揮できるなど、完全に想定外だ。その秘密を知ることができれば、我々の研究も――」
「あの子が暴走したのは、天使をすぐに退かせなかったからでしょう?」
窓から好き勝手に垂れ流される言葉を、非常に迷惑そうにしていた女性が遮った。
「接触はまだ早いってあれだけ言ったのに、状況を最悪にしたのは――いえ、もう止めましょう」
女性は感情に任せて不満をぶつけていたものの、少し頭が冷えると不適切だと感じたのか、最後まで言い切ることなく溜息に替えた。
そして、その様子が窓の向こうの者たちにも落ち着きを取り戻させた。
「そうだな。我々も実動は君たちに任せるしかない身だ。君の忠告を聞かなかったことについては謝罪しよう」
「だが、種子の暴走は看過できないし、彼女の元の世界への帰還も弊害が大きすぎるので認められない。よって、君には彼女を暴走をさせないように何らかの手段を講じてほしい」
「分かりました。ただ、今すぐに接触しても逆効果でしょうし、時間と仕込みと手土産が必要になると思います」
「了解した。とはいっても、君の相棒次第のところもあるし、最悪の場合は、我々の種子のいくつかを犠牲にしてでも彼女を止めることになる。それだけは忘れないでほしい」
脅しとも取れる言葉も、女性は気にした様子もなく首を縦に振る。
「では、健闘を祈る」
その言葉を最後に窓は全て消え、女性もそれを見届けてから姿を消す。
そして、何もない空間だけが残された。
お読みいただきありがとうございます。
3章にてようやくユノがあるべき姿になりました。
ここから女性主人公としてのスタートとなりますが、変わらずお付き合いいただければ嬉しく思います。




