36 はじめの一歩
勇者たちを唆して邪神の落とし子へと向かわせると、私は妹さんと合流できて喜んでいるノエル先輩の許へと向かい、彼女たちに有志やら野次馬やらを遠ざけてもらうようお願いする。
私が退場する前に、目撃者を可能な限り少なくすることが目的である。
「えっ、でも、私が言っても、人族の人たちは聞いてくれないと思う……」
しかし、ノエル先輩が渋るように、人族至上主義の強いここで彼女たちに頼むのは、私の目的にとっては悪手なのだろう。
それでも、こういう機会に活躍して偏見とかを少しでも減らしていくのは、彼女たちにとっては大事なことではないかと思う。
差別のような問題は、他人から「駄目だよ」と禁止されてもなかなか無くならないものだし、切っ掛けがあったとしても一気に改善されることはない。
現状を変えようとする側だけでなく、変えられる側も怖いのだ。
間違いとか罪を認めないといけないからね。
なかなか勇気が必要なことだ。
オリヴィア嬢といったか、ノエル先輩を虐めていた彼女たちの変心も、彼女たちの間のみのことのようだし。
亜人を見る目は変わっても、人族至上主義社会に立ち向かえるほどではないということだろう。
あるいは、「自分は自分、他人は他人」と割り切っているのかもしれない。
間違いを認めたとしても啓蒙する義務は無いしね。
いずれにしても、特に亜人自身が諦めてしまっては何も変わらない。
オリヴィア嬢たちの例もあるし――それについては私の影響が大きいかもしれないけれど、とにかく、不変というわけではない。
少しずつでも積み重ねていくしかないのだ。
ということで、最初の一歩を自らの意思で踏み出してもらわなければどうにもならない。
これだけはノエル先輩たちの手でなすべきことである。
私は神ではないけれど、神が「そうせよ」と言ったからでは駄目なのだ。
とはいえ、彼女たちだけに背負わせるような問題でもないので、「神じゃないのに神呼ばわりされている、神器を持ってる娘がそう言っていた」くらいまでなら許容しよう。
「女神様! その役目、私たちにお任せください!」
「ノエルさん、心配なさらないで! 私たちがついていましてよ!」
「女神様、ですから、その、もう少しバストアップできればと――いえ、なんでもございません」
ノエル先輩が逡巡していると、オリヴィア嬢ほか名前を知らない人たちが下心満載でやってきた。
「女神ではないです。でも、ノエル先輩をよろしくお願いします」
「「「んほおおおおおっ!」」」
思うところはあるけれど、これ以上ここでグダグダやっている余裕は無い。
主にスティーヴキングさんが食われてしまう的な意味で。
この際、使えるものは何でも使おう――というか、これも当事者の意思で始めること。
欲望駄々洩れ――あるいは現世利益目当てだとしても、その意思に嘘は無さそうなのでギリギリセーフ。
彼女たちの後押しがあればノエル先輩もやる気になるかもしれない。
ということで、三人まとめて豊胸マッサージをしておく。
ただ、痩せる方はともかく、増やす方は個人差が大きい。
事実として、真由とかフレイヤさんにはあまり効果が無かった。
恐らくだけれど、世界的に許されることとそうでないことがある――むしろ、現状の彼女たちが世界に愛されていることが理由だろう。
それを無理に変えてしまうと、最悪の場合は世界を敵に回すことになるのかもしれない。
ねじ伏せることも不可能ではないけれど、そこまでするようなことではないと思う。
なので、そんなに期待はしないでほしい。
「ノエル先輩も揉んでおきます?」
「い、いや、いい……。っていうか、ユノちゃんって本当に女神様? あ、“ちゃん”付けで呼ぶのって失礼だった!?」
「そういえば、聖樹教の女神様もユノ様ってお名前で、豊穣の――でも、これだと豊胸? あっ、それはそれとして、アタシはしてほしいですんほおおおおおっ!」
「女神じゃないです。でも、上手くいくように祈っておきますので、お願いしますね」
おねだりしてきたノエル先輩の妹さんを揉みしだいてから、そう一方的に告げてその場を離れる。
というか、人前でこんなに胸を揉みしだく神なんているわけないでしょう――いや、フレイヤさんがいるか。
すっかり居ついてしまったけれど、彼女といいトシヤといい、湯の川には厄介な人が集まる何かがあるのだろうか?
さておき、前線では、スティーヴキングさんが身体を張って――というか、手足を犠牲にして邪神の落とし子を引っ張っている。
……邪神の落とし子には大した知性は無いみたいだし、その辺りに転がっている邪教徒を囮にするとかでもよかったと思うのだけれど、彼の知性も良い勝負なのか?
すごく良い笑顔だし、状況が分かっていないのかもしれない。
そんなスティーヴキングさんの手足を、勇者が《次元斬》とやらで斬り落として邪神の落とし子から解放する。
スティーヴキングさんの屈強な肉体に傷を付ける――というか、邪神の落とし子を切り離すにはそれくらいの威力でないと無理なのかもしれないけれど、こちらもとても良い笑顔で時折誤爆するも「あはは」と笑って済ませる狂気がすごい。
そして、スティーヴキングさんの失われた手足を聖女が生やして、再び餌として送り出す。
もちろん、こちらも超良い笑顔。
何がそんなに嬉しいのやら。
彼らはそんな狂気のループで邪神の落とし子を集めている。
あまりにショッキングな光景に当事者以外のみんなドン引き。
というか、笑顔が素敵な分だけ狂気感が増している。
本来なら、もっと悲壮感とか絶望感が満ちている状況だと思うのだけれど。
何とかした方がいいかな――とは思うものの、今の段階で私がやることって無いんだよね。
とりあえず、応援でもしておくか?
「みんな頑張れー」
「「「はいっ!」」」
笑顔が更に良くなって、狂気感も更に増してしまった。
対応を間違ったかもしれない。
しかし、改めて客観視してみると、ものすごくヤバい笑顔の狂人たちが力を合わせて悪趣味極まりないオブジェを制作している様子は、邪教徒の儀式より邪教味があるのではないだろうか。
そして、私はそんな所へ飛び込まなくてはいけないのか?
私の作戦に落ち度はなかったと思うのだけれど、何かが激しく間違っているような……?
他責思考は好きではないのだけれど、勇者たちの人格に問題があったのか――いや、そうだとしても私の人選だよなあ……。
ほかに選択肢が無かったというのも言い訳にならない。
とにかく、だ。
進捗状況は大詰め。
残り2体となった邪神の落とし子を合体させれば作戦の第一段階――彼らの出番は終了である。
「よし! スティーヴキング、もう少し――これで最後だ! 今だ、退け!」
いっぱい合体した邪神の落とし子は、触手の数が増えていたり、撚り合わさって太く長くなっていたりで、勇者たちの能力をもってしても簡単には接近できない。
というか、運搬方法が「スティーヴキングさんが引っ張る」ことから、「ある程度引っ張ってから切り離し、後は聖女が押し込む」ことに変化したのも、その間合いに入ると危険だと判断したからだろう。
「女神様! ご照覧いただけましたか! 貴女の使徒、スティーヴキングはやり遂げましたぞ!」
いや、口上はいいから離脱してよ。
「女神様、ご照覧ください! この渾身の一撃で、邪神の落とし子を完成させてみせましょう!」
聖女も張り合わなくていいよ。
というか、その口上、何かおかしくない?
邪教徒より邪教徒っぽいよ。
「女神様――いや、姫! これが終わったら、ふたりでゆっくりじっくりこれからのふたりの運命について語りましょうね!」
「「「勇者様!?」」」
「女神様、あたしはそっちがいいです!」
勇者は最後までナンパか。
一貫しているのは清々しいようにも思えるけれど、私には心当たりが一切ないのにその設定を使い続けているのは困惑しかない。
ここまでくると何らかの病気か?
それと、女好きもいいけれど、衆人環視の下で従者さんたちも困らせているのは後々マイナスになると思うよ?
まあ、いい。
いちいち応えていては終わらないので、邪神の落とし子がひとつになったことを確認してから突入開始する。
◇◇◇
合体が完了した邪神の落とし子の触手の数は百近い。
……いや、いいすぎか?
その半分――よりちょっと多い?
触手も内臓がいっぱい内蔵されているので、じっくり観察できないんだよね。
そもそも、数は増えても手が変化した物以外は上手く動かせないのか、ある程度接近するまでは脅威にならない。
なので、ハンデを付ける意味が無い現状では、詳細に観察する必要も無い。
というか、脅威度で判断するなら、邪神の落とし子自体が全く脅威ではない。
地面に映る影や空気の流れなどで把握できる分だけでも充分制圧できる。
間合いに入った途端に、三十本近い触手が私を捕まえようと迫ってくる。
しかし、まず速度が遅い。
単体では点とか線の攻撃にすぎず、本数の多さで面になっている所もあるけれど、きちんと考えて――先の先まで読んで丁寧に動かさないと宝の持ち腐れである。
間合い操作的な観点でいえば、尻尾型魔道具を使った真由とレティシアの方が数段上だ。
といっても、決定力不足になりそうなので撤退した方がいい相手だけれど。
勝っても得るものがなさそうだし。
むしろ、洗濯物が増えそう――いや、内臓が付いたのは廃棄するしかないかな。
やっぱり損しかない。
さておき、間合い操作と領域操作に自信のある私としては、身体能力はそれなりに抑えつつアクロバティックな動きを取り入れても、この程度の攻撃なら凌ぎつつ接近することは容易いこと。
何なら、触手の数が十倍になっても平気だ。
というか、邪神の落とし子の認識能力では現状の数を扱いきれないようなので、本数を減らした方が総合力は高くなると思う。
第二段階――足の触手? 触足? 触手になった足でいいか――の間合いに入っても、それらは積極的に動かない。
ここからが本番だと思っていたのに拍子抜けである。
むしろ、ジャンプできるくらいに駆使してくれれば潜り込んで射線を取れたのだけれど、大樹が大地に根を張るようにどっしりと構えられていては潜り込めない。
水平に近い角度で撃つと周辺被害が大きくなりすぎるだろうし、地面に向けて撃つのも何が出てくるのか分からない――いや、極光とか古竜のブレスのように、地形を変えるような威力だとまずいか。
やはり、どうにかして浮かせるしかない。
とはいえ、さきのように掴んで投げるわけにもいかないし……。
重量的には問題無いけれど、触れたくないし。
邪神の落とし子に手を触れずに浮かせる方法か。
さすがにもう勇者たちに頼れる状況ではないし――朔がいれば良いアイデアを出してくれたのだろうか。
あるいは最近流行りのAIに訊けば答えてくれるのだろうか――と思って携帯電話を取り出してみたけれど、私には使い方が分からない。
音声で認識してくれることを期待して「重量物を触れずに持ち上げる方法」と訊いてみたけれど、反応が無い。
……ここにAIは無いのか?




