33 ディスコミュニケーション
最大の懸念である、「私に攻撃を仕掛けてきた人」の姿は見当たらない。
領域こそ展開していないものの、全身を目や耳にしての捜索にもかかわらずである。
ということは、物理的な手段では認識できない場所に隠れているのだろう。
結界とか神界のような亜空間とか、あるいはそれ以外か。
そこにいながら、私の気が逸れる一瞬を正確に狙ってくるとは、やはりなかなかの実力者である。
まあ、何度も同じ手に掛かる私ではないので、次こそは見つけてみせるけれどね!
しかし、領域を展開できない状態とはいえ、人間を甘く見すぎていたかもしれない。
それよりも、邪教徒が変態したものの方がまずい感じなので、襲撃者のことは一旦置いておくしかないか。
絶賛変態中の邪教徒は人間の輪郭を失いつつあり、形容し難い形状になっている。
というか、中身もドロドロのグチャグチャに溶けているのが透けて見えて、獲物を消化中のスライムのようでかなり気持ち悪い。
……もしかして、あれは繭か蛹のような状態だろうか?
このまま放置していれば羽化したりするのか?
でも、自分の殻を破るってそういうことじゃないと思うの。
人間が行きつく可能性としては下の下――というか、評価したくないレベル。
というか、人間として評価してはいけないものだ。
正直なところ、見るに堪えない。
うん、これは汚いスライムとして処理してしまおう。
さて、邪教徒スライムは更に周囲の生物を取り込もうと、腕――というか触手を伸ばしている。
ただ、スライムになりきれていないのか、若しくは人間だった頃の認識が残っているのか、足を形成して歩こうとしているけれど、骨も筋肉も無いようなスライムボディではそれも叶わず、普通のスライム以上に動きが遅い。
なので、よほどの鈍間でなければ捕まらない――のだけれど、足止めできるかは別の問題らしい。
勇者の飛ばせる斬撃は、邪教徒スライムの表面を削るか内部で失速して消えてしまうだけ。
ちょっと強い方の斬撃――私の知っているものとは違う《次元斬》も、汚い汁を広範囲にぶちまけるだけですぐに元に戻ってしまう。
聖女のゴリラパンチは僅かに後退させるだけで、やはりダメージを与えている感じはない。
というか、随分とインファイトが板についているけれど、どこかで練習していたのだろうか?
スティーヴキングさんは、がっぷりよっつに組もうとして吞み込まれかけている。
同じく素手で触れているのに呑まれていない聖女には、本当に神の加護でも「うおおー! 我が女神様、今、貴女の御許へ参ります!」――いや、そんなことを考えている状況じゃないっぽい。
もう何が何だか分からないけれど、スティーヴキングさんが邪教徒に吸収されるのはまずい。
「ガーンディーヴァ」
「Yes, your majesty」
うわ、びっくりした。
喋るのかよ。
意思があるそうなので、「今から使うよ」って宣言のつもりだったのに――というか、マジェ……マジ? この返答の意図するところは肯定か否定のどっち?
まあ、いい。
想いが通じていることを信じて撃ってみよう。
「スティーヴキングさんにとりついている汚いスライムを剥がすよ」
「Yes, your majestyyyyy!」
ガーンディーヴァが吠えた。
「あっ、ヤバ……」
そして、私が弓を引くのに合わせて発生した極太の魔力の矢が、まだ撃っていないのにスライム目がけて超高速で飛んでいく。
確かに、空撃ちは弓を傷めると聞いたことがあるけれど、勝手に飛んでいく矢というのは聞いたことがないよ。
そして、粉々になって弾け飛ぶスライムと周辺一帯。
地面に空いた大穴。
余波というには激しい爆風に耐える勇者と聖女。
間近にいたのでなす術なく吹き飛んでいくスティーヴキングさん――笑顔を崩さないくらいの余裕があるなら、少なくとも命に別状はないか。
……いや、あれに耐えるの?
マジか。
間近だけに!
この結果から推測するに、どうやらガーンディーヴァは意思はあっても疎通はできない系の神器らしい。
少なくとも、気は利かない。
「見ろ、腐竜殺しが邪教徒スライムをやっつけて空飛んでるぞ!」
「まさか!? 勇者様や聖女様だって梃子摺ってんだぜ!? 一般人枠のあいつじゃ無理だろ!?」
「よく見ろ! あんなオーガみたいな一般人はいねえ! っていうか、人間かも怪しいぜ!」
「奴が温泉で空を飛んだとか、あれは都市伝説じゃなかったのか!?」
「何言ってんだ、高位聖職者も無しにドラゴンゾンビを討伐って、常識的にあり得ねーだろ!」
「だから、常識で考えたらあんな人間はいないんだよ! 気づけよ! とにかく、ありがとう、スティーヴキング!」
にこやかな笑顔で飛んでいくスティーヴキングさんに、みんなが戸惑いの声とか拍手喝采を送っている。
……なぜか雰囲気が緩んでしまっているけれど、まだ終わったわけじゃないよ?
勇者と聖女が相手をしているのはまだ健在だし、ほかのは共食い――いや、合体しようとしているのか?
どういう可能性を求めてそんなことになっているの?
「ふっ、俺じゃなきゃ見逃しちゃうのも無理はないが、スティーヴキング――いや、スティーヴの腐竜殺しの絡繰り、見破ったぜ! なあ、女神様よ!」
「なるほど! 確かに女神様のご加護があれば聖属性無しでドラゴンゾンビも斃せるか。そういや、あいつの信仰心ヤバいことになってるって噂もあったしな。祈りに応えたのかもしれん」
「やっぱ、女神様ってマッチョ好きなんかな? 使徒になればマッチョになるのか、マッチョになったら使徒になれるのか――使徒に嫉妬!」
「聖女様も腕だけゴリ――マッチョだしな。つまり、これからはゴリラの時代ってことか。女神様! 俺もマッチョになりたいです!」
「ゴリラの神様、私にも加護をください! 戦闘系最強の加護で、騎士団のイケメンたちに愛されたいです!」
おっと、私の干渉に気づかれた。
もっとも、特にコソコソしていたつもりはない――というか、誤魔化しようがない大穴が開いているので、それ自体はどうでもいい。
それより、今の私は女神ではないので、言い掛かりは止してもらいたいところである。
ただ、無視するわけにもいかないのが面倒なところ。
現代日本でも、他人から無責任に「王子」とか「姫」などと呼ばれて――それ自体は応援だったりして仕方ないところもあるけれど、否定する機会を逸すると、一生背負っていくことになる可能性もあるのだ。
あるいは親戚や幼い頃からの知り合いに、いつまでも「ちゃん」付けで呼ばれるようなものも同じかもしれない?
とにかく、それに相応しいイメージを保ち続けられるならいいのだけれど、どれだけ努力しても少しでも失敗や間違いがあると手の平を返される。
しかも、失敗や間違いが無くても旬が短くてすぐに忘れられるのに、悪評はいつまで経っても覚え続けられる。
親戚に幼い頃の失敗談をいつまでもネタにされているようなものか。
私は排泄の経験がないので共感できないけれど、妹たちは「いつまでおねしょをしていた」的な話題を極度に嫌う。
程度の差はあれ、私以外はみんなそうなのだから、気にすることはないと思うのだけれど。
……ちょっと違うかもしれない?
とにかく、その時の一面のみで人格を判断するのは早計である。
一時的にチヤホヤされるのと引換えに首輪を付けられる方は堪ったものではない。
せめて、成長や努力をしたなら――いや、しようとしているなら、過去はどうあれ現在の姿を見てほしいものだ。
もちろん、過去のやらかしの程度にもよるし、許されないこともあるのかもしれないけれど、少なくとも私がここで「女神」とまで言われることはしていない。
つまり、「人間であろう」と努力している私を神扱いするのはある種のハラスメントだと思うのだけれど――いや、この理屈だと「多様性」という建前で我が儘を通そうとしている過激な人たちと同じになってしまうのか?
普通に考えれば、「努力しているから認めろ」というのも暴論で、私の場合はそもそも人間には分かりづらい努力である。
それなら、「他人がどう思おうと、私は私」という姿勢に回帰するのが正解か?
でも、「神」は実害があるからなあ……。
信仰はちょっと過激な信頼だとして百歩譲るとしても、依存するとか苦しくなるたびに頼むのは良くないと思うの。
……というか、何の話だったか。
よく分からなくなったけれど、この状況にはどこから対処したものか。
とりあえず、ノエル先輩の妹さんを抱えて時計塔から飛び降りる。
上からだと戦況の確認がしやすく射線も取りやすいけれど、ガーンディーヴァを使うと大地が穴だらけになってしまう。
その穴の開いた先が禁忌の研究施設だったりすると、非常にまずい。
なので、大地に穴を開けるのは当然として、地上部の施設を破壊するのも控えるべきだろう。
着地と同時にネコ耳と尻尾を出して、「女神ではない」アピールをする。
人族至上主義の強いここでは反発されるかもしれないけれど、この流れを断ち切るには仕方がない。
「姫のネコ耳! ネコちゃ、ネコちゃんんんっ! かっかわあうう、ぐうおおおお!」
「「「勇者様!?」」」
なぜか勇者が攻撃を受けたわけでもないのにダメージを受けたようで、胸を押さえて蹲ってしまった。
何があった?
というか、すぐそこに邪教徒スライムが来ているよ?
早く立って?
「なるほど、可愛いは正義。アニマルは可愛い。つまり、アニマルこそパワー。このゴリラアームはそういうことでしたか」
えっ、違うけれど?
どういうこと?
この聖女、どうなっているの?
腕だけではなく、頭までおかしくなった?
最初に感じていた気持ちの悪さは薄れてきたけれど、違う種類の気持ち悪さが出てきているよ?
「聖女様も認めておられるということは、やはり亜人は悪ではなかったのね! というか、天使様には翼があるものですし、女神様にもネコのようなお耳がありますし、人の形に差があるのはよく考えれば当然なのですわ!」
「あの日会ったお方は、やはり女神様でしたのね! ええ、もちろん疑ってはおりませんでしたが! 何しろ、私たちはその奇跡をこの身で体験しているのですから!」
「ええ、最初から私は助けに来てくれると信じていましたわ! 私たちは貴女様の手で生まれ変わって以降、もう世界樹の女神様の信徒なのですから!」
いつだったかノエル先輩を虐めていた女子学生三人組が、誤解を加速させるようなことを言い始めた。
人質になっていたストレスから解放されて、ちょっと頭がおかしくなっているのか、あるいは意趣返しか。
一応、亜人差別問題に一石を投じているようにも見えるけれど、神を絡められると波紋が大きすぎる。
というか、神が実在する世界だと警報が出るレベルの高波が起きるので止めてほしい。
そこに聖女の言動と聖樹教の噂、更にさきのガーンディーヴァの一撃という説得力も合わさり、肌で分かるくらいに雰囲気が変わっていく。
ヤバい。
早く終わらせて逃げないと。
「ああっ女神様ああ! 貴女に救われたのはこれで何度目か……! そうか、これが女神様のご加護! つまり、愛! 信仰心がフットーしそう!」
そして、スティーヴキングさんまで帰ってきた。
結構遠くに飛んでいったはずなのに……。
というか、衝撃の余波で服が弾け飛んだのか、パンツ一丁になっているのは仕方ないとして、ちょっとは羞恥心を持とう?
状況がどんどんカオスになる。
異形化して、合体して、更に異形化していく邪教徒も合わせて、終末感が絶好調。
そこに颯爽と現れた私を女神と勘違いして、期待感も最高潮。
よく考えてほしい。
帝国のように禁忌に手を出して、そのしっぺ返しを受けている国を救いにくる神なんていないよ?
神のマニュアルだと、きっちり罰を受けてから後始末にくるだけだよ。
そして、私は居合わせただけだよ?
というか、邪教徒が合体してできつつある怪物が、廃教会でやっつけた自身を「神」だと勘違いしていた怪物にそっくりなことに気づいてしまった。
姿形がではなく、魂というか存在として。
廃教会のあれは継ぎ接ぎで、今回のは共食い――食らい合いという違いはあるけれど、どちらにしても「人同士の繋がり」とはそういうことではないと思う。
さておき、能力的には廃教会のあれに劣るようだし、しばらく放置していれば勝手に崩壊するように思う。
ただ、それまでにどれだけの被害が出るかは分からない。
みんな撤退してくれれば物的な被害だけで済むと思うけれど、最悪町ひとつが陥落する可能性もある。
そうすると、結局生きていけなくなる人もでてくるだろうし、それがノエル先輩やモブの大将ではないとは言いきれない。
というか、勇者と聖女がここにいることと、何より私が合体前の一体を消滅させてしまったことが希望になってしまっていて、「撤退」という選択肢が消えてしまっていると思う。
……どうしたものか。
いや、私ひとりならどうにでもなるのだけれど、その「どうにでもなる」幅が大きすぎてどうしていいのか分からない。
特に私を神だと勘違いし始めた人たちの前で大きな力を使うと、勘違いを加速させかねないのが困りもの。
いや、多少手遅れな感はあるけれど、「一発だけなら誤射かもしれない」となるかもしれないので、諦めるのはまだ早い。
勇者たちに期待――は難しいか。
勇者の最大の攻撃は《次元斬》とやらか?
触手みたいに伸びる手足なら吹き飛ばせるし、胴体に当たればごっそり削れるようだけれど、有効射程は二十メートルちょっとというところ。
複数相手は立ち回りが難しくなるだろうし、それ以前に斃しきれるだけの火力が無ければ、いずれはガス欠を起こす。
魔力の回復手段にも限りがあるだろうし、駄目そうなら無理せず退いてほしい。
聖女はよく頑張っている方――直接接触しているのに食われていないのは、聖なるゴリラの階梯が邪教徒スライムより上位にあるからか。
というか、聖女の方が廃教会のあれに似ている?
気のせいか……?
面倒くさいことになりそうなので、そういうことにしておこう。
いや、しかし、その階梯で神を連呼されるとまずいか。
スティーヴキングさんはまた呑み込まれかけている。
無理しないで――というか、道具を使って?
生物以外は上手く呑み込めないのは見ていれば分かるでしょう?
肉体が発達しすぎると脳は退化するの?
いっそ、呑まれて消化された方が「神の使徒」疑惑も消化されて平和――いや、「力こそ正義」な帝国では邪教徒スライムが正当化される可能性もあるのか?
ああ、もう!
神が実在する世界って面倒くさいなあ!
だったら、ここで神を殺すしかないか。




