25 亜人さんと邪神さん
聖女とかいうヤバい存在を避けて、人の少ない方へと進んでいくと、見知った顔を見かけた。
アルバイト先にいた先輩で、【ノエル】という名の人族と小人族とのダブルの女の子である。
ちなみに、小人族というのは、容姿は人族と変わらないけれど、成人男性でも身長が百五十センチメートルになるかならないかという小柄な種族である。
それだけなのに亜人に分類されていて、帝国では差別を受けているのは不条理としかいいようがない。
一方で、一部では合法種族として可愛がられている――と、違う意味でも迫害されているらしい。
なかなかに度し難い。
さて、ノエル先輩は、人族の血も入っているので、小人族の女性にしては大きめの百三十センチメートルとちょっと。
身長はリリーと同じくらいか。
顔つきも童顔で、どこから見ても子供みたいで可愛いけれど、年齢は19歳と私より年上である。
なお、幼く見えるのは外見だけで、能力的には同年代の人族と変わらない――むしろ、優秀だと思う。
学園での成績までは知らないけれど、仕事はひと通り卒なくこなしていた。
ここへの入学の経緯については、「初回無料」の文句に釣られて、記念に友人と一緒に受けた魔法適性の検査の結果が優秀だったことで門戸が開かれたので、将来を考えてとのこと。
亜人差別の強い帝国で、素質だけとはいえ「優秀」と判断されるくらいにはあるということか。
アルバイトは、その学費を捻出するため――特待生になれば全額免除されるそうだけれど、そこまでではなかったというか、やはり亜人差別が働いているのか……?
とにかく、満額ではないけれど学費が必要で、そのために勉強と両立していた頑張り屋さんである。
敬意とはただ歳をとっているから払うというものではないけれど、ノエル先輩はアルバイト先でもいろいろと世話を焼いてくれた。
私が「先輩」と呼んで頼ると、それはもう嬉しそうに教えてくれたのだ。
いや、もう、可愛すぎて仕事だということを忘れそうになったよ。
だからといって失敗とかはしなかったけれど。
とにかく、彼女は小っちゃくても敬意を払うに値する人物である。
そんなノエル先輩が何やらお困りの様子。
何かを探しているのか、鞄の中をゴソゴソと漁ってみたり、地面を見ながら行ったり来たり――あ、柱にぶつかった。
痛そうで気の毒だけれど可愛い。
さておき、目立つわけにはいかない立場の私だけれど、受けた恩に報いないのは主義に反する。
「ごきげんよう、ノエル先輩。何かお困りですか?」
そこで、警戒されないように足音を消して背後から近づき、大声を出したりできないように羽交い絞めと口を塞いでから声をかけた。
「んんーーっ!?」
大袈裟に驚いて暴れるノエル先輩。
やはり拘束しておいて正解だった。
「危害を加えるつもりはありませんので、落ち着いて、ゆっくり息を吸って――吐いて――吐いて――吸って――吐いて――止めて――……?」
「す――、んふ――っ、ふーっ、すーっ、――――っ!? …………?」
落ち着かせるために深呼吸をさせてみたけれど、よく考えると長らく深呼吸をしたことがないので、やり方をよく覚えていない。
吸って吐くだけでよかったのかな? 止めるとか全集中も必要だった?
まあ、結果として落ち着けばいいので、呼吸法自体は何でもいいか。
そして、ノエル先輩が落ち着いた――というか、落ちかけたので慌てて手を放す。
「すーーーーっ、はあぁぁ…………。あ、ユノちゃんだ。無事でよかった。みんな心配してたんだよ」
……青い顔をして、最初の言葉がそれとはお人好しがすぎる。
今無事じゃないのは貴女の方ですよ?
「私はそれなりに強いので、どんなときでも大丈夫ですよ。それよりも――」
「それより、ユノちゃんもここの学生だったんだ。知らなかったよー」
少しばかり人の話を聞かないところがあるのが玉に瑕だけれど、疑うことを知らない素直なところは子供みたいで可愛い。
「でも気をつけてね? 店長もね、ユノちゃん守ろうとして嘘ばっかり言ってたら拘束されて連れていかれて――すぐに帰ってきたんだけどね、『武者くしゃしてやった。今は反省してる』とか言ってておかしいの」
ちょっと何を言っているのか分からないところも子供みたいで可愛い。
というか、こうも一気に話すのは、それまでの不安とかの反動だろうか。
落ち着かせるために抱きしめて頭を撫でてみる。
決して可愛いからやったわけではない。
「ノエル先輩、それよりも何か困っていることがあるのでは? 私でよければ力になりますよ?」
「ち、小さいからって子ども扱いしないでください! 私の方がお姉さんなんですよ!?」
などと言いながらもされるままになっているノエル先輩も可愛い。
……このままお持ち帰りしてしまおうか。
よし、そういう困りごとならそれも視野に入れようか。
「でも、困ってるのは本当で……。実はね――」
と、ようやく頼ってくれたノエル先輩。
あるいは言葉にすることで情報を整理しようとしているのかもしれない。
さておき、ノエル先輩のお困りごととは、学生証を失くしたことだった。
自分探しとかではなかったようだ。
残念。
とにかく、それがないと学園内の各種施設が使えず、再発行には時間もお金もかかる。
しかも、今日は実技の試験があるので、絶対に必要なのだという。
そして、試験まで三十分を切った――と、焦りを通り越して諦めに近い状態らしい。
「それで、学生証はどこに持っていたんですか?」
「ずっと胸ポケットに入れてたよ。でも、ちょっと前に上級生の人たちとぶつかっちゃって、その時に落としたのかなって探してたんだけど……」
「では、ちょっと失礼」
ひと言断りを入れてからノエル先輩を抱き上げ、胸ポケットの匂いを嗅ぐ。
「きゃっ、ユ、ユノちゃん何を!? こういうのはまだ早いよお……」
ノエル先輩は何を言っているのだろう?
これはセクハラとかじゃないよ?
学生証の匂いを確認しているだけだよ?
本当だよ?
時間に余裕があれば湯の川諜報部を使うとか、領域が展開できればそれで探せるのだけれど、今は嗅覚に頼るくらいしかできないのだ。
だから、大声を出すとか通報は止めてね?
「こっちか」
学生証の匂いは確認したけれど、念のためにノエル先輩を抱えたまま、その残り香が強い方へと歩いていく。
「あっ、そうだよ! ここで先輩にぶつかったの。ユノちゃんすごいねー」
私にはシロのような過去視はできないけれど、嗅覚がイヌネコ以上に優れているので、この程度は造作もない。
たとえファ〇リーズであっても、私の鼻を欺くことはできないのだ。
そこから更に匂いを辿って進んでいくと、ちょっとウロウロと彷徨った末に校舎裏の焼却炉に辿り着いた。
日本ではダイオキシン類対策特別措置法とやらの施行以降めっきり見なくなった設備だけれど、異世界では現役で絶賛稼働中である。
なお、私の通っていた小学校には使用禁止状態で物だけは残っていた。
地方都市の古い学校だったし、予算的な問題だろうか。
さておき、焼却炉から濛々と上がっている煙に、学生証の匂いが交っている。
つまりはそういうことである。
犯人がこの中にいる――わけではないけれど、謎は解けた。
いつかどこかで言ってみたいね。
名残惜しいけれど、安全のためにノエル先輩を焼却炉から離れた地面に下ろす。
それから、焼却炉の蓋を開けて、匂いの許へ一直線に手を突っ込む。
「ユノちゃん、何をやってるの!?」
「私は熱さにも強いので大丈夫ですよ」
ノエル先輩から心配そうな声が上がったけれど、この程度の炎ではトシヤの産毛すら焼けないと思う。
……なぜ例えにトシヤが出てきたのか。
ヤマトで丸焼けになった姿が強烈だったからか?
あれはかなりグロかった……。
嫌なことを思い出してしまった。
おのれ、トシヤめ。
さておき、目当ての物を取り出してみると、既に半分くらいが焼けてしまっていた。
一方で、私の腕は当然として、ローブや制服も無事である。
恐らく、マジカルではない普通の焼却炉だったのだろう。
いつもの癖で、何も考えずに手を突っ込んでしまったけれど、せっかくの制服やローブが燃えなくて助かった。
危ないところだった。
学生証が燃え尽きていなかったのもそのおかげなのだろう。
「あ、これ、私の……。なんで……」
私が焼却炉から回収した物を見て悲しむノエル先輩。
ここに来る途中で匂いがウロウロしていたことと、複数の人間の匂いがあったことと合わせると、拾った何者かが意図してやったことだと思う。
亜人差別とか虐めとか、そういう類の問題かもしれない。
可哀そうだとは思うけれど、こればかりは私の出る幕ではない。
差別主義者を皆殺しとか、力で強制とかしても解決にはならない――というか、行きつくところは人類の根絶とかだしね。
それでも、頑張り屋さんの応援をすることくらいは問題無い。
ということで、私が復元――いや、神規発行してあげようと思う。
とはいえ、今回はそういったことが得意な朔の協力は得られないので、自力でどうにかするしかない。
一応、ここに来るまでに学生証がどういった物かを知る機会はあったので、おおよそのイメージはある。
また、省コスト化を目的としているのか魔法による認証などが無かったので、偽造が容易なのも好都合。
そんなことでいいのか――とは思うものの、今は気にしないことにする。
ということで、燃えてしまった学生証にハンカチを被せて「3、2、1」とカウントダウン。
何かを察した光の玉が胸ポケットから飛び出してきて、スポットライト代わりになる。
自我でもあるのだろうか?
正直なところ、あまり目立つのはまずいのだけれど、ノエル先輩にはハッタリが利いているのと、「発光」と「発行」がかかっているので黙認する。
「じゃじゃーん」
とハンカチをめくると、そこには完全体となった超学生証が。
……明らかに以前の物より質が良いのは、足りないところを気合で補ったからだろうか?
まあ、悪いよりはいいだろう――ということで、手早く光の玉を回収して、学生証は紐付きパスケースに入れてからノエル先輩の首にかけてあげる。
「もう落とさないように気をつけてくださいね」
「え、うん? これ、偽造じゃ……?」
「ちょっとした修繕だからセーフですよ」
日本の紙幣でも三分の二以上が残っていれば全額と交換してもらえるしね。
学生証には金銭的な価値は無いし、偽造防止の仕掛けすらも無いので、そのあたりの判定は緩いはずだ。
「そ、そうなのかな? すごく光ってたけど……。それと、このケース――こんな良い物貰えないよ?」
ほう、これの良さが分かるのか。
なかなか見る目がある。
まあ、分かりにくくしたつもりではあるけれど、素材が世界樹だからね。
これに入っている限りは燃えるようなことはないけれど、落としたり忘れたりはどうにもならないので気をつけてほしい。
「頑張っているノエル先輩に、私からのプレゼントです。それよりも――」
「あらあ? 酷い臭いだと思って様子を見にきてみれば、平民の亜人でしたか。臭くて鼻が曲がってしまいそうですわ」
「由緒あるこの学園に平民がいること自体間違っているというのに、亜人とは……。学園長は何を考えているんでしょう」
「そこの貴女、人擬きなんかに構うのはおよしなさい。貴女の価値まで下がってしまいますわよ」
遅かったか。
ノエル先輩を退避させる前に、3人の女子学生がヘイトスピーチ全開で現れた。
Δフォーメーションからして、ボス格と取り巻きふたり――ただし、ボス格の身分はそこまで高くはないといった感じか。
ボスが先陣を切るスタイルには好感が持てるけれど、ノエル先輩に仇なすなら話は別。
とはいえ、彼女たちをぶち殺したところで、ノエル先輩が幸せになるかは分からない――むしろ、より不幸になる可能性もある。
ここは曇りなき眼で見定め、決めなければならない。
恐らく、彼女たちは聖女を中心とする派閥ではないか、そうだとしても中核的な地位にない中途半端なポジションか、あるいは独自の泡沫勢力か。
そうでなければ、こんなくだらないことに時間を費やしていないだろう。
いずれにしても、学園という場で自身を高める努力をするではなく、根拠も無く亜人を下に見て悦に入っているようでは程度が知れる。
さて、彼女たちから漂う匂いからして、ノエル先輩の学生証を焼却炉に捨てた人たちだろう。
普通なら香水の匂いだけでの特定は無理筋かもしれないけれど、私の嗅覚は普通ではないので僅かな体臭も嗅ぎ分けられるのだ。
「汚れた亜人にお似合いなのは、汚れ仕事だと何度言ったら理解できるのかしら?」
「ものの道理も分からないから亜人なのでしょう。お前には輝かしい魔法学園より暗く湿った地下水路の方がお似合いよ」
「ほら、貴女。いい加減にそのゴミから離れなさい。人擬きの穢れに魂を汚染されてしまっては手遅れになりますわよ」
それはそうと、三人の容赦ないヘイトスピーチにノエル先輩が怯えてしまっている。
アルバイト先での快活な彼女の面影がどこにもない。
もっとも、差別問題となるとひとりで対抗できるようなものでもないし、下手な抵抗は虐めが酷くなるだけだと思うと「耐える」のが正解なのか?
彼女たちだけをどうこうしたところで改善するかも怪しいし……。
それはそうと、貴女に魂の何が分かるというの?
魂が見える私からすると、ノエル先輩の魂に汚れなんてちょっとしかないし、むしろ貴女たちの方が不完全燃焼しているよ。
「言っても分からないなら、痛い目を見るしかないのかしら?」
「貴女、タイが曲がっていてよ。でも、汚いから燃やしてしまった方がいいかしら」
「汚物は消毒すべきと申しますし、消毒と言えば加熱。やっておしまいなさい、フランソワさん!」
などと考えていると、行動がエスカレートし始めた。
魔術学園はインターネットより過激で、物理的に炎上するところらしい。
とはいえ、私の目の前でノエル先輩を焼かせるわけにはいかない。
それがたとえ脅し程度のものだったとしても、彼女の心を傷付けるには充分なものである。
何より、彼女に焼いていいのは世話だけで、それは私がやっているのだ。
邪魔をするな。
ぶち殺すぞ、社会的に。
ノエル先輩に向かって飛んでくる火球を真正面から受け、無効化しないように気をつけながらそのまま突き抜ける。
「貴女、鼻が曲がっていてよ。治してあげますね」
「んごごご……!?」
そして、魔法を放つために最前線に出ていた女子学生の鼻を摘まんで引っ張る。
臭いでかどうかは分からないけれど、確かに鼻が曲がっていたし、形も良くない――これでは鼻呼吸もしにくいだろうし、そのせいでイライラしているのかもしれない。
治療なら文句は言われないだろう。
「な、何をなさっているの!? は、放しなさい!」
「貴女は性根が曲がっているようですね。治るかどうかは分からないけれど……」
「ああっ、止めて!? 来ないでぎゃあああ!」
鼻の修正を終えた女子学生を投げ捨てると、次は止めに入ろうと前に出てきたもうひとりの取り巻き女子学生に近づいていく。
もっとも、性根の治し方は知らないので、姿勢の悪さ――背骨とか骨盤の歪みを直すくらいしかできないけれど。
彼女も健康になればイライラが収まるかもしれないし。
「貴女は――……」
「わ、私が何ですの!? せ、せめて理由をお言いになって!? おほおおおおっ!?」
最後のひとり――ボス格には特に思いつかなかったので、エリザベスさんで鍛えたマッサージを無言で叩き込む。
免疫が無かったのかとんでもない奇声と痴態を曝しているけれど、さきのふたり同様害は無い。
健康になったことに文句をつけられたら、仕方ないので次は不健康にしてあげようと思う。
とにかく、この手のことは暴力では解決しない。
もちろん、皆殺しにするなら別だけれど――それは「解決」ではなく「隠蔽」だと妹たちから指摘を受けたけれど、「問題を再提起する人がいなければ、やはり解決なのでは?」と思うし……。
……何の話だったか?
「……? ミレイさん、貴女、お鼻が伸びて――高くなっていましてよ!?」
「何てこと!? お待ちになって、今、鏡を――うおおっ! なんじゃこりゃああ!」
「ミレイさん、しっかりなさって! というか、フランソワさんも姿勢が良くなって三割増しで素敵に見えましてよ!?」
「オリヴィア様こそ、スカートがずり落ちていましてよ!? 明らかにウエストが細くなっているのでは!?」
「きゃあっ!? 妙にスース―すると思っていましたら、私ったら、こんな……はしたないっ! でも、ご覧になって? コルセットもこんなにも緩くなって――」
ノエル先輩にちょっかいをかけようとしていた女子学生たちは、自身の姿を手鏡で見ながら、又はほかの人の変化を褒めるとか羨むに夢中で、彼女のことはもう眼中にないようだ。
何がやりたかったのかよく思い出せないけれど、結果オーライか。
「さあ、ノエル先輩。今のうちに」
「えっ、あの、えっ? うん、ユノちゃんありがとうね。また落ち着いたらお店にも来てね。大将も待ってるから!」
お店はマークされていると思うし、当面の間は無理かな。
とにかく、呆然としていたノエル先輩を送り出して、この件は終わり――いや、亜人差別問題に対してひとつ布石を打っておこうか。
「貴女たち――」
いまだにキャッキャウフフしている女子学生たちに呼びかけ、注目を集めたところでフードを取って素顔を曝す。
「!? か、かわっ可愛い!? 私の時代、もう終わりましたの!?」
「それに気品も感じますわ! 上位貴族――いえ、それ以上の!」
「皇室にはこのような方はいらっしゃいませんし、もしかして、いずこかの国の王族――はっ!? もしや手配書の――! も、申し訳ありません!」
制服から飛び出た光の玉が後光のような役割を果たしているとはいえ、取り乱しすぎである。
それと、手配書のことは忘れてほしい。
しかし、本題はここから。
隠していたネコミミをぴょこんと出現させる。
「「「亜人でしたの!?」」」
見事にハモった。
仲が良さそうで何よりである。
「亜人だからというだけで排除とか迫害していると、こういった特技を持っている人――あるいは幸運を自らの手で逃がすことになるかもしれませんよ」
朔もいないので多くは語らない。
ボロを出すと台無しになるしね。
「貴女たちにとって何が大事なのかは、貴女たち自身が曇りなき眼で見定め、決めるのです。では、さらばです」
「「「お待ちになって!」」」
そして、引き留めようとしている彼女たちを置き去りにして、ネコ耳なのに脱兎のごとく逃げだす。
思想と実益のどちらを取るかは彼女たち次第だけれど、後者を与えすぎると狂信者を生むかもしれないので、ひとまずはこれくらいで様子見するのがいいだろう。




