23 フラグ
地下水路に入ってすぐに殺虫剤を解き放つ。
元の「終焉の黒」は、即効性こそ無いものの、巣ごと全滅させる毒性と悪意の強さが売りだった。
ただ、粘度が高めの液体なので、直接命中させないと効果がないという欠点があった。
虫が苦手な人にとっては、それを直視するのもつらいのだよ?
パイパーに限ったことではないけれど、古竜たちはもっとユーザビリティに配慮するべきだと思う。
特に私の場合、うっかり見てしまうと、触覚・嗅覚・聴覚・味覚に魂や精神までも同時に認識してしまうのでダメージが大きい。
朔がいてくれれば不要な情報はほぼ完璧にカットしてくれるのだけれど、今は自力でどうにかするしかない――のだけれど、不要な情報と判断するには認識するしかないという矛盾に陥っている。
しかし、それも過去のこと。
終焉の黒は、リリーの協力によって領域展開型に進化した。
実質的には「結界」といった方が正しいけれど、褒めて伸ばす方針なのであえてそういっておく。
ただ、改良版といっても、殺虫剤自体は液体のままである。
性能も据置きだ。
しかし、それを「殺生石」といわれる魔法道具に内蔵することで、範囲内の標的にまで効果が及ぶようになったのだ。
最初から噴霧式とか揮発式にしておけばと思うかもしれないけれど、パイパーの作った毒が性能的にも領域的にも強力で、ありきたりの方法では変化させづらかったのと、無理矢理変化させようとすると無毒化する繊細さを合わせ持っていたのだ。
階梯が上がった副作用か、製作者本人の面倒くささが製造物にも出ていたようだ。
それを解決したのが、リリーの領域操作技術である。
彼女は、毒――いや、ある種のパイパーの領域というべきか? を薄めることなく効果範囲を拡大することに成功したのだ。
原理としては――こういうとリリーは不満かもしれないけれど、毒同士で属性的に相性が良い彼女の領域を、パイパーにとっても居心地のいいものと錯覚させたというところか。
なお、共通点は「毒」だけで、それ以外の相性は良くない。
パイパーからすると、リリーに懐かれたと思って喜んでいたらビジネス的な付き合いだったと――キツネに化かされたようなものである。
というか、古竜は基本チョロいので、よくあることといえばそれまでである。
とにかく、言葉にするとそれだけのことだけれど、パイパーのように面倒くさい領域を損ねずに活かすのにはすごい苦労があったはずだ。
いずれにしても、私としては、これでわざわざ標的を認識する必要が無くなった。
素晴らしい改造である。
さすがリリー。
私のことをよく理解している。
ただ、能力的にはまだまだ未熟なこともあって、範囲は直径で十メートルほどと限定的。
1匹でもかかれば巣ごと殲滅できるとはいうものの、かからなければ無いのと同じ。
それに、ずっと観察していないとかかったかも分からない。
そこで用意されたのが、アイリスが作った魔法の香炉である。
……アイリスの名誉のためにいっておくと、彼女自身は至って真面目に作っていた。
ただ、魔界で作っていた陶芸作品のように、出来上がるとなぜか憤怒だか苦悶だかの形相が浮かび上がるのだ。
まあ、今はそのあたりの話はいいだろう。
とにかく、この呪いの香炉は、獲物を求めて動き回る。
そして、見つけた獲物は絶対に逃がさない。
もしかすると、呪いも振りまいているかもしれない。
理由は分からないけれど、とにかくヤバいやつである。
人によっては虫より怖いかもしれない。
◇◇◇
毒と呪いが充分に充満するのを待ってから、地下水路の奥へと進んでいく。
暗闇で分かりにくいけれど、所々にある黒い染みが毒で死んだ虫の跡なのだろう。
虫にしては大きな跡もあるけれど、気にしないことにしておこう。
そういえば、殺虫剤の開発でリリーが主軸にならなかったのは、彼女の作った毒が虫以外にも効くからだった。
今のところ死者はいないけれど、古竜でもデバフを受けるあたり、時間の問題かもしれない。
解毒薬も作るように言っておこう。
さて、痕跡だけなら原形が残っているよりはよほどマシだけれど、見ていて気持ちのいいものではない。
なので、可能な限り意識しないように目を閉じて口笛を吹いてみたところ、エコーロケーションとでもいうか、周辺の状況が鮮明に分かってしまう。
ただ見るよりもよほど気持ち悪い。
まあ、「目は口ほどに物を言う」ともいうし、耳で目よりも物が見えても不思議ではない。
うっかりしていた。
そして、私くらいになると肌でも耳と同じくらいに振動を感じとれるし、脳と同じくらいに情報処理もできるので、耳を塞いでも意味が無い。
というか、領域の構築とは全身を――私の全てを目や耳にするということなので、物理的な目や耳を塞いでも何も解決しない。
盲点だったね!
しかし、問題点が明らかになったからといって、解決策は思いつかない。
取得した情報の選別とか個別のオンオフは苦手で、そもそも集中力が無いのでずっとは維持できない。
私が長時間維持できるのは、現状の人間モードとオプションありの亜人モード、不本意ながらの神モードだけ。
特に後者になるほど維持が楽――バランスが良い、若しくは自然体なのだろう。
これに、朔がやっているように服を構築するとなると、何分もつか――特定の認識のみを除外するのもこれと同じだと思う。
一時的にはできると思うけれど、ずっとは無理。
AWOのように、視覚は目にしかなく、触覚は肌にしかなく――みたいな感じで領域を構築すればいいのかもしれないけれど、死角が大きすぎるのもそれはそれで怖い。
どうすればいいのか……。
朔がいれば、それが解決朔になるのだけれど。
まあ、無いものを嘆いても時間の無駄でしかないので、ここはひとつ我慢することにして、さっさと済ませてしまおう。
克服?
そんなことができれば苦労はしない。
幸いなことに、さきの口笛で目的の場所と品物の存在は確認済み。
それはそうと、なぜか邪教徒の数が報告より少なくて、その分怪しげな痕跡が発生していて、生存している邪教徒が慌てているけれど、もしかして殺虫剤が効いた人がいるのか?
まあ、邪教徒なんて虫と同じようなものだけれど……まさかね。
一応、開発者たちには「要検証」と報告しておこう。
さて、進行方向や足元には障害は何も無いと信じて、邪教徒が集まっている場所まで走る。
「な、なんだお前は!? どうやってこの場所を知った!?」
「ちょっと待て! 引っこ抜いた扉で何をする気だ!?」
「いやあああ! 乱暴される! せめて薄い本みたいにしてえええ!」
そして、到着と同時に、それまでの不安を物理的な攻撃力に換えて邪教徒たちにぶつける。
やはり道具が使えるって素晴らしいね。
そこらに落ちているちょっと丈夫な棒や板(扉)程度でも、一般人を破壊する道具としては充分。
ひとり剣術の心得があるっぽい人もいたけれど、圧倒的な壁ドン(※質量攻撃)の前には無力だった。
ぶん殴った時の感触なんかはあるけれど、領域で干渉する気持ち悪さよりは幾分マシ――見た目の惨状も合わせると同程度か?
まあ、いい。
道具を使って文明的に見えるだけマシだと思っておこう。
そうやって夢中で殴っていたところ、ふと「金目の物を奪って、物取りの犯行に見せかけたほうがよかった」と思いつくももう遅い。
ドロドロのベチャベチャな不定形の物体を物色するなんて無理。
もちろん、修復なんてもってのほかだし、掃除もできない。
それでも、「来た時よりも美しく」と考えると悩ましいところである。
……邪教徒の心の汚さと比較すると、ギリギリ今の方がマシか?
うん、マシだということにしておこう。
そうして回収できたものは、壊してしまわないように注意していた目的物と、何に使われるのか考えたくもない虐待された痕跡のある奴隷たち。
後者には小さな子供もいるし、やはり邪教徒は滅ぶべきだった。
なお、彼らは当初、爆発四散する邪教徒たち――というか、それをやった私に怯えていたけれど、食べ物を出してあげると話を聞いてくれる程度には落ち着いた。
というか、すごく従順になった。
よほど飢えていたのだろう。
あるいは、彼らを虐待していた悪者を倒してくれたヒーローだと思っているのかもしれない。
残念だけれど、私はただの強盗である。
お話とは違って「悪」の敵が「正義」だとは限らないのだ。
さておき、彼らには衣服も出してあげたいところだけれど、今の私には手持ちが無い。
邪教徒の着ていたローブならいくつかあるけれど、人数分に足りない――それ以前に、着たがらない。
まあ、心情を考えると無理もないのかもしれない。
それか昆布か。
それならいくらでも出してあげられるけれど、昆布は本来着るものではなく食べるものだ。
今の彼らは飢え具合からすると、食べてしまうかもしれない。
……とりあえず、私の中に取り込んでおけば寒さは凌げるとして、安全なところで解放してあげようか。
忘れないように注意しないと。
後はスライムでも捕まえてきて放っておくか。
地下水路みたいな場所ならどこかにいるだろうし――いや、探すのは怖いからルルにお願いしようかな?
――そういえば、十六夜が廃棄物処理用の高性能スライムを開発していたはずだし、ルルに頼んでそれを取り寄せてもらおう。
当時はなぜそんなものを開発していたのか分からなかったけれど、こういう事態を見越していたのかもしれない。
賢い子である。
ということで、残りの邪教徒掃除はスライムが届いてからにしよう。
◇◇◇
地下水路を出たところで、入り口を見張っていたルルに「さすがユノ様です」されたけれど、特に深掘りされることなく別れた。
一体、何が「さすが」だったのだろう?
とにかく、無事にローブも手に入れたし、この件はひとまずお仕舞い。
次はニックさんたちの国外脱出作戦だ。
もっとも、こちらの準備は着実に進んでいるようだし、私が関与するのは当日のみ。
それまでは完全に自由時間だ。
だからといって、無為な時間を過ごすのもよろしくない。
なので、ちょっと魔法学園を覗いてこようかと思う。
ルルからの報告では、妹やクラスメイトたちが一時的に通わされる可能性があるそうだし。
なんでも、今回の特殊勇者召喚は秘密裏だったとはいえ、国外はともかく国内――特に皇族や政権の中枢にいる人たちにおいては、「実行されたこと」と「勇者が召喚された」事実を隠しようがない。
当然、第八皇女が彼らのほとんどを保護していることも。
そうすると、「私物化している」とか「二心があるのでは」と言い出す人もいる。
皇女側は、「勇者としての資質はあるようだけれど、まだまだ実力不足」と訓練の必要性を主張しているけれど、その事実からして疑われているようだ。
客観的には、実際に視察でも《鑑定》でもすれば解決することだと思うのだけれど、策略とか政治的な駆け引きなどがあるのだろうか、そういう方向性では話がまとまらない。
それでも、無理を言いすぎて見切りをつけられ、他国にまでバレるように堂々と公表されてしまうと、水面下での勢力争いでは済まなくなってしまう。
場合によっては、戦争の切っ掛けになってしまう可能性もある。
いくら武力に長けたゴクドー帝国とはいえ、ロメリア王国やキュラス神聖国単体、若しくはその連合軍だけならまだしも、手薄になった背後を不死の大魔王に突かれると堪ったものではない。
また、非人道的行為まで明るみに出ると、禁忌嫌いで有名な暴虐の大魔王まで出てくるおそれもある。
そもそも、現在の帝国の現状ではどこかしらで内乱が起こるだろう。
王国や神聖国がそのようなチャンスを見逃すはずがなく……いや、王国はどうかなあ?
アイリスと一緒に王都に行った時は、かなり聖樹教に侵されていたように見えたし。
まあ、平和ボケしていなければ、何かしらの無視できない揺さぶりをかけるだろう。
その場合で最も得をするのは、民衆からの支持が強く、他国からは「話が通じる交渉相手」として窓口になるであろう、何より勇者たちを手元に置いている第八皇女である。
それくらいは莫迦でも分かるというか、分からない莫迦は帝位継承戦から脱落している。
ただ、だからといって放置していると、皇位継承問題に重大な影響を与える可能性が出てくる。
第八皇女自身は皇位継承権に執着していないようだけれど、彼女を支配下に置くとか同盟を組んだ人の実質的な順位が大きく上がるのだ。
というわけで、彼女を味方にするためにとか、彼女の力を殺ぐためにとか、いろいろな目的で駆け引きが行われている真っ最中。
現在、特にSOSを出していない第八皇女に恩を売るのは不可能なので、適度に無理難題を振ってみる。
マッチポンプと言われようと、彼女から何かしらの譲歩が引き出せれば勝利である。
本音をいえば、勇者を譲渡してもらいたいのだけれど、第八皇女以外には彼らを養育できる資金力が無い。
勇者たちが即戦力ならまだしも、育成が必要となると採算性の問題もある。
無理に引き抜いたとしても、金満第八皇女と比べて育成成果が不十分だったりすると、これまた非難の的になってしまう。
そこで、収穫時期が来れば――ということで、監視できる状況に置こうと画策していて、そのひとつが魔法学園なのだとか。
勇者たちに、「私たちの陣営は素晴らしい組織です。#ホワイト案件#高収入」「とってもアットホームな職場です」「今ならステータスを2倍に上げるれいぞくの首輪が無料で貰える」などとプレゼンする場として。
ただし、魔法学園には他国からの留学生も受入れているし、彼ら以外の間諜も活動できる場でもある。
なので、「そのあたりの対策は考えているのか」「その対策の資金は誰が出すんだ」などと揉めている模様。
それでも、いずれはそういった場に出てくるのは避けられず、短期留学のような形に落ち着くのではないかという話だ。
もちろん、妹たちなら上手く立ち回れると思うし、荒事になっても逃げるくらいのことはできるはず。
魔術師三人組も擬態は得意だろうし、尻尾型魔道具という切り札もある。
姫路さんは味方を作りすぎそうで逆に危ういけれど、妹たちと朔もコントロールしてくれるだろうしきっと大丈夫。
むしろ、男子たちの個性が変なところで発揮されないかが不安だけど……。
特に団藤くん。
下半身丸出しなのに隠蔽系スキルを取っていないとか、合理性が欠如しているとしか思えない。
……いや、ある意味では隠さない方向で一貫しているのか?
そんなだと、妹たちも切り捨てることを考えるかもしれないよ?
何者かになりたがっていた伊藤くんも方向性が定まっていないし。
ゲームと違ってスキルリセットは無いし、ひとつのスキルを極めるのも難しいのに満遍なく伸ばそうとするのは悪手にすぎる。
というか、あれもこれも取っているのに棒術スキルは取っていないとか、妹たちでも指導しようがない。
稲葉くんも、変なところで冒険に出なければいいのだけれど……。
お父さんのようなアクロバティックな冒険に打って出られると、妹たちでもフォローしきれないよ?
ということで、問題になりそうなものの有無だけでもチェックしに行こうと思う。
ルルとかに任せてもいいのだけれど、ただでさえ忙しい彼女たちの仕事を更に増やすのも気が引ける。
それに、日本の価値観が分からない彼女たちでは判断できないこともあるだろうし。
では、私の曇りなき眼で見定めてあげよう。




