12 その場のノリ
さて、突然だけれど、「ネコに鰹節」という諺がある。
その意味は、ネコの近くに好物がある――つまり、油断ができないとか、間違いが起きやすい危険な状況のことをいう。
もっとも、ここでのネコとは、大きな牙が特徴のトラのこと。
恐らくは同じネコ科の動物だし、鰹節も好物に違いない。
それはそうと、微かに覚えていた既視感は、アルスの迷宮付近にもいたサーベルタイガーのことだったのかもしれない。
つまり、さきの諺は現状を表現するのにピッタリだということ。
あるいは現在進行形で襲われている彼ら自身が鰹節の代わりなのかもしれないけれど。
さて、そんなことを考えている間にも戦況は悪化している。
油断できないというか、既に予断を許さない状況である。
それも、ひとつ間違えれば即終了しそうな感じ。
しかし、極上の鰹節――いや、カツオ武士が現れた以上、トラの興味を惹くのはこの私だ。
そして、私が投げる硬度充分な鰹節は、好物というより鉱物である。
当たれば死ぬ。
食中毒的な意味ではない。
もっとも、要救助者の中には瀕死の人もいて、余波だけで死ぬ可能性もあったので追い払う程度の威力に留めたけれど。
それでも、これだけ「人間の怖さ」を叩き込んでおけば、しばらく人間を襲おうとは思わないだろう。
むしろ、残った人間たちの警戒を解く方が大変だった。
確かに、虫対策で素肌が露出しないように配慮したので、魔物やゴーレムに間違われるのも仕方がないのかもしれない。
中華鍋に乗っての登場も悪ふざけに見えたかもしれない。
今にして思うと、名乗りを挙げなかったのもまずかったのかもしれない。
しかし、結果だけを見れば窮地を救っているのだ。
感謝してほしいとはいわないけれど、話くらい聞いてくれてもいいのではないだろうか。
武器や防具はボロボロで、立っているのもやっとな状態で、「ここからが正念場だぜ」じゃないんだよ。
それでも、警戒が解けるのと瀕死の人が死ぬのとどっちが早いかという状況でお見合いしていても誰も得をしない。
なので、コンディション的に警戒以上のことはできないだろうと踏んで強引に近づくと、前衛の戦士が後衛や傷付いた仲間を守るように立ちはだかってきた。
とはいえ、ダメージと疲労で足元も定まっていないようでは何の障害にはならない。
実際、軽く押しただけで転んでしまった。
なお、トリアージ的には優先順位は低いけれど、彼自身にも回復が必要な状態である。
もっとも、私には医療知識や技術は無く、そもそもトリアージの基準も知らない。
私にとっては掠り傷も致命傷も誤差の範囲だしね。
何なら、ちょっと死んでいるくらいでも問題無い。
まあ、死者の蘇生はその人の人生に対する冒涜に等しいので、よほどのことがないとやらないけれど。
さて、私の場合、私の創った物を飲食させることで外傷を癒せる。
俗にいう「医食同源」というものだ。
原理的にはポーションも同じなので、塗ったり貼ったりでも回復すると思う。
なお、「肉体の再構築」という手段もあるけれど、グロいのは苦手なので朔の助けがなければやらない。
ということで、前立てのエビフライを1本もぎとって、有無を言わせずにその口に突っ込む。
すると、プリップリのエビの弾力のせいか、彼の身体もエビのように跳ねる。
タルタルソースの濃厚なコクと爽やかな酸味のせいか、涎とかいろいろな物をまき散らしながら。
絵面がヤバい。
とはいえ、湯の川ではしばしば見る光景ではあるし、身体には良いので安心してほしい。
「なんだこの攻撃は!? 毒か!? こんな強烈なの見たことねえぜ!? やられてたまるんほおおおお!?」
それから、混乱しつつもなぜか弓で殴りかかってきた人を同じように転がし、やはりエビフライを突っ込んで沈黙――ピチピチと跳ねさせる。
もちろん、いろいろな体液をまき散らしながら。
恐らく、デトックス。
この一連の流れに付いてこれない――というか、魔力切れで動けなくなっているのか? そんな魔法使いの人には、エビフライは品切れなので海苔を眉の上に貼ってあげる。
口の中に突っ込むか迷ったところだけれど、相手が幸薄そうな女性なのでそちらを選択した。
まあ、魔力回復効果はどちらも変わらないし、キリっとして見える分幸薄さも軽減したように思う。
最後に、瀕死の重傷を負っている隊長さん――をよく見ると、どこかで見たような顔である。
といっても、顔というか上半身がザックリ抉られていて、肉塊と表現するか微妙なところなので見分けがつきにくい。
ふと、肉の間に埋もれていた認識票が見えたので確認してみると、どうやら“スティーヴ”という名前のようだ。
この名前、どこかで……?
もちろん、どこにでもある名前ではあるけれど、こういった直感は莫迦にならない。
というか、魂の色というか輝きが、私の知っているスティーヴさんとよく似ている。
しかし、これが彼だとするとなぜこんなところに?
彼は確か、口封じの意味も兼ねて湯の川に招待しようとしたのだけれど、「帝国をよくするために残りたい」というユウジさんたちに協力したいと言って、一緒に残留していたはずだ。
ということは、ユウジさんたちもこの近くにいたりするのか?
ユウジさんの性格なら、この状態のスティーヴさんを見捨てて逃げることはない――というか、サーベルタイガーごときに後れを取るほど弱くはないと思う。
まあ、一緒にいることと協力することが必ずしも同義ではないと思うので、別行動しているのかな。
彼らも元気に過ごしてくれているといいけれど。
……考えるより先に救命処置をしようか。
さて、エリクサーRとかの薬品があれば一発で全快なのだけれど、今は手持ちにない上に、あっても湯の川の私との関連を疑われては困るので使えない。
同様の効果があるエビフライなどを追加で出しても、顎とか原形を留めていないので食べられるかも分からない。
というか、中身がチラ見えしてグロいので、早急に隠せる方向でいこうと思う。
ということで、鎧下代わりに巻いていた昆布を外して、スティーヴさんに包帯代わりに巻いていく。
「あれ、肌じゃなかったのか……。というか、素肌が無駄に色っぽいんだが?」
「もしかして、冒険者だったのか……? いや、奇麗すぎる。どう考えても冒険者の肌じゃねえ」
「いえ、こんな冒険者いたら絶対に噂になるはずですし……。いろんな意味で」
エビフライを尻尾まで食べた人たちと眉に海苔を貼りつけたままの人も、ここでようやく私が魔物ではないと気づいたようだ。
やはり体力魔力が回復すると、判断力も戻るようだ。
「私はあっちの方から来た冒険者でユノといいます。とある人を捜してあちこち放浪しています」
これを好機とみて、咄嗟に思いついた設定で自己紹介してみる。
名前以外の具体性は皆無だけれど、この状況ではさして重要ではないはずだ。
「そうでしたか。危ないところを助けていただき感謝します。わけあって所属は明かせませんが、我々はとある高貴なお方に仕えている立場でして、その、賊の襲撃を受けたところに運悪く魔物まで襲ってきて――それで、この有様です」
「俺たちは陽動だったんで、その高貴なお方ってのはここにはいないんですけどね。目立つところに隊長――腐竜殺しの英雄がいたんで襲われた感じですかね」
「ところで、『あっち』って、町もキャンプも無い空白地帯ですよね? 更にその先は魔の森ですよね? 森に棲む亜人でもないようですし、一体どこから……?」
彼らの状況は大体理解した。
権力争いのようなものに興味は無いので、それ以上の事情や高貴な人とやらについては聞かない方針で。
それに、設定にツッコまれるとボロが出る可能性が高いので、その話題もタブーである。
というか、今はそれを訊くような状況じゃないよね?
そういうところだぞ。
「隊長さんには包帯代わりに回復効果の高い昆布を巻いていますので、三、四日もすれば回復するかと思います」
みんなも知ってのとおり、昆布にはビタミンB1やB2がたっぷり含まれている。
さらに、ミネラルや鉄分、カルシウムに食物繊維なども豊富で、これが身体に悪いわけがない。
「えっ、包帯代わり? 昆布が? ……申し訳ないが、死体袋の代わりかと思っていた」
「隊長が昆布締めされてんの笑うわ。いや、笑えねーんだけど、本当にあの傷が治るんですか?」
「普通なら信じられないんですけど、私は額に貼られた呪符のおかげですごい勢いで魔力が回復していますし、信じてみてもいいのでは?」
「カノン、それは呪符ではなく海苔だ。恐らく、味付きのな。とても良い匂いがする――ちょっと食べてもいいだろうか?」
「眉が海苔で『キリッ』ってなってるの笑うわ。いや、……ぶふぉっ!? やっぱ笑うわ」
「ええええっ!? で、でも、回復効果すごいから外せない! 私、一生このまま!?」
この世界の人にはよくあることだけれど、この人たちも躁鬱が激しい。
まあ、絶体絶命の窮地を乗り切って「生」を実感すると、反動でそうなるのも無理はないのかもしれない。
「おっと、失礼しました。我々としましてはこのご恩にどうにか報いたいところなのですが、先ほどお話しした事情の上にご覧のとおりの有様でして、ここでは感謝の言葉以上のものを差上げることはできません。ですので――」
「いえ、私が決断して行動しただけのことですので、お礼は結構です。あ、いえ、できれば最寄りの町の方角を教えていただければ有り難いのですけれど」
彼らの状態はともかく、豪華な馬車を見た限りでは、主人がなかなかの有力者なのは想像がつく。
そんな背景が面倒くさそうな人たちとは付き合いたくないので、むしろ恩とか感じてほしくない。
なので、少しばかり情報収集してきっぱり別れた方がいい。
「まあ、こんな様で何を言っても説得力なんてないと思いますけどね。ですが、このご恩は決して忘れません!」
「いえ、忘れていただいて結構です」
その前に町のことを教えてほしいけれど。
「町というか、キャンプならこの森を北に抜けた所にありまして、そこから更に北に進むと帝国が誇る智の結晶、学園都市【カクーセイキュウ】が、情報収集が目的でしたらキャンプから東にある迷宮都市【オレオレ】がいいかと思います」
くっ、せっかく町のことを教えてもらったのに、ネーミングセンスの酷さとキリッとした眉のせいで全く頭に入ってこない。
朔がいないことも大きいかもしれない。
朔がいれば、私が聞いていなくても、重要なことは覚えていてくれるからなあ。
わざと話してくれないとか曲解することもあるけれど。
「ありがとうございます。では、急いでいますので失礼しますね」
とにかく、情報収集は架空請求でオレオレ?
……まあ、道沿いに行けばなんとかなるか。
彼らと慣れあうのは危険だと思うし、キャンプに着けばほかの人からも話を聞けるだろうし。




