幕間 邪神が来たりて
そんなヴィクターの許に、ついに湯の川からの使者がやってきた。
ただ、不意打ち気味――というより、転移禁止区域に突然現れるという奇襲は防ぎようがない。
そもそも、転移禁止といっても、魔法による空間座標の攪乱や暗号化等で座標取得を妨害し、事故率を上げるだけのものである。
座標計算をシステムに任せる《転移》ではその仕様上「不可」とされるが、マニュアル計算の《転移》等で偶然に突破される可能性はゼロではない。
完全に封鎖するのは、異界型地下迷宮のように現実世界と隔離するくらいしかないが、地下迷宮への出入りまで制限するにはかなりの工夫が必要になる――その維持管理に掛かるコストを考えると現実的ではない。
彼はそれも考慮の上で、転移の起点になりそうな場所にも観測設備や罠を仕掛けて効力を高めているのだが、それらが仕事をした形跡も無い。
魔力や物資が無限にあれば完璧な対策ができていたかもしれないが、事実として限界がある以上穴ができるのは仕方がなく、そこを突かれてはお手上げである。
それでも、使者が現れたのは不死城正門前という常識的な場所だったため、彼に「こんな時のため」に用意していた策を実行に移す余裕があったのは幸いだった。
「すみませーん、ヴィクターいますかー? いないんですかー? 逃げたんですかー?」
しかし、敵もさるもの。
使者としてやってきたのは、ヴィクターの元配下で真っ先に湯の川に寝返ったシルキーの魔王テレーゼだった。
特に強くも賢くもない捨て駒でしかなかった彼女が裏切ったというだけでも無くなったはずの血管が切れそうなほどの怒りを覚えるのに、呼び捨てで煽りまで入れてこられると無くなったはずの髪が怒髪天を衝く。
それでも、これを敵の罠だと見抜いたヴィクターは、策を無駄にしないために必死に堪える。
煽りに弱い魔王にすれば快挙といっていいだろう。
彼が考えるに、テレーゼに転移禁止区域を突破する能力は無い――それ以前に時空魔法の適性が無いというか、あの無能は家事くらいしかできない――その一生を家事手伝いで終える喪女だ。
そして、かなりの影響力を失っているとはいえ、いまだに彼に忠誠や服従を誓っている配下もいて、そういった者たちには防衛等重要な役割を担わせている。
それらを勘案すると、彼女がひとりでこんな所にまで無事に到達できるはずがない。
(十中八九、私を誘き出すための罠だろう。迂闊に飛びだせば、かなりの強者――恐らく、レオナルドかエスリンあたりと対峙することになるとみた。考えたものだな! だが、戦略家である私には全てお見通しだ! それに――)
「テレーゼ、貴様、裏切り者が何をしに来た!?」
「貴様ごときが大魔王様を呼び捨てにするとはどういう了見だ!?」
「あたしと貴女はズッ友じゃなかったの!? あの時、『生まれた場所は違っても、死ぬ場所は一緒だヨ』って誓ったじゃない! なんで一『緒に行こう』って誘ってくれなかったのさ!? この裏切り者っ!」
ヴィクターの配下が、失礼を通り越して挑発になっているテレーゼに襲いかかる。
一部に「裏切り」の意味が違う者も交じっていたが、襲われている事実に変わりはない。
しかし、彼らの攻撃や想いは届くことなく、彼女に触れることさえ敵わずに弾き飛ばされた。
「あわわ、ちょっと焦りました! ユノ様、ありがとうございます!」
「……潜入ミッションだったのに、私の名前出しちゃ駄目でしょ」
「あ、そうでした! つい癖で――申し訳ありません!」
テレーゼを守ったのはユノだった。
もっとも、不可視状態で世界を改竄しての精神分離攻撃だったので、詳細は当人以外の誰にも分からない。
ただ、限界突破した信仰心で森羅万象がユノ様のおかげだと信じて疑わないテレーゼにとって、良いことがあれば――特に何もなくてもユノに感謝するのは当然のことである。
使者としてはヴィクター特効の人材ではあったが、人選ミスである感は否めない。
やってきて早々にあっさり作戦失敗したユノだが、特に気にした様子もなく姿を現すと、散発的に襲ってくるヴィクターの配下を見えない壁で弾き飛ばして意識を奪っていく。
というか、襲ってこなくても、彼女たちに敵対行動を起こそうとした時点で見えない壁が忍び寄ってきて弾き飛ばされる。
ただ、この攻撃は彼女の領域によるもので、当然、昆虫系やグロテスクな物には対応できない。
したがって、そういった者に対しては城壁などの目に見える壁が物理的に飛んでいく。
なお、ちょっと力が入りすぎることもあって、安全は保障されていないし、潰された物に干渉したくはないので原状回復も行われない。
ヴィクターの配下と居城はもうボロボロだった。
さて、ユノにしてみれば、作戦自体がさほど重要なものではない――というより、方針が定まっていないため「時期尚早」と思っているところが大きい。
ただ、アナスタシアたちのヴィクター評があまりにも低いので、心配になって様子を見にきたところである
そして、実際に本拠地に乗り込んでの評価は「不可」だった。
アナスタシアたちの評価が適正どころかまさかの過大である。
これでは抑止力として役には立たない。
もっとも、ユノによるヴィクターの評価は、転移禁止区域に乗り込んでくる――暴虐の大魔王でも不可能な暴挙に出たせいで、その手前にある罠や策の全てを無視したことや、それらで足止めしている間に整える予定の防衛体制が全く間に合わなかったことを基にするものである。
城壁に据え付けられている最新兵器は発射どころか稼働することもなく、省エネのため休眠状態だったドラゴンゾンビ等の強大なアンデッドの大軍も目覚めることなく――最初の一手でレギュレーション無視のチェックメイトをかけられては彼でなくともお手上げである。
(やはり罠だったな! 知略で私とやり合おうとは、甘く見られたものよ! だが、あれだけの配下を揃えておいて、大将自らが乗り込んでくるのは何の意味が? まさか、レオナルドのような戦闘狂というわけでもあるまいし――まさか、これも何かの策か!? ……これだけの強さで策って必要か!?)
一方、奥の手を咄嗟に実行したヴィクターは、ひとまず最悪は避けられたと胸を撫で下ろす。
もっとも、考える以外にできることがないこの状況は引き分けといっても過言ではなく、戦略家としては負けに等しい。
一応、撃退された部下に死者はいない――むしろ、種族的には最初から死に損ないだったのが、状態として「死に損ない」になっただけだが、手加減されてのことなのは明白である。
というか、状態異常がほぼ効かないアンデッドを気絶させていることが既に理解の範疇を超えている。
博識な彼でも、「精神分離攻撃」などというシステムですら解析・再現できないものを理解することはできなかったが、それが自身にも効くであろうことは理解できた。
彼の未知に対する戦略は全く役に立っていないが、その恐怖が元部下の煽りによる怒りを上回ったことで自重でき、反射的な反撃ではなく思考に逃げられているおかげで無事なのも事実であり、やはり役に立っているとみるべきか。
「テレーゼ、いくら嫌いな相手でも、せめて敬称くらいは付けよう?」
「あんな出汁も取れない出涸らしにも優しいなんて、さすがユノ様です! 分かりました! では、“ヴィクター本骨信士”、いませんかー? 成仏しちゃいましたかー?」
「うーん、それは敬称じゃなくて戒名と位号かな。というか、そんな日本語をどこで覚えてきたの?」
「学園とか神殿で教えてもらえるんです。ユノ様の故郷の言語なので大人気ですよー。ということで、“ヒアウ位号ー”!」
ユノはレギュレーションには緩いが、礼儀にはうるさかった。
それが彼女の両親から与えられた世界との繋がり方だからである。
たとえ表面上のことでしかなくても、止める理由にはならない。
そして、他者に強制まではしないが、ひと言物申すくらいは当然である。
もっとも、ユノ様全肯定勢のテレーゼには注意すらご褒美であり、覚えたばかりの日本語で駄洒落も披露できて超ハッピーである。
ユノも、日本語を習得する彼女たちの努力を想うと、それ以上の注意はできず、褒めるべきかツッコむべきか迷っていた。
ヴィクターは、怒りが限界突破して眼窩から謎の液体が溢れてきたが、生き延びるために必死に堪えていた。
◇◇◇
ヴィクターの奥の手とは、城下にある趣味の悪いオブジェクトのひとつ――今回は十字架に磔にされた白骨に擬態するというものだった。
動かず、魔力を隠蔽し、風化具合も手を抜かずに表現すれば、それを不死の大魔王と見破れる者はいない完璧な策である。
裏切り者のテレーゼでも、ヴィクターに気づかず不死城に向かった。
想定どおりである。
それからしばらく戦闘音が響いてきたり城のあちこちと配下たちが吹き飛んだりして、出てきた彼女たちは当然のように無傷で、テレーゼは両手にいっぱいの戦利品を抱えていたが、命に代えられるような物ではないので諦めるしかない。
というより、我慢とストレスと恐怖や諸々の限界を超えた彼の心境は虚無とでもいうような状態で、反抗する気概はもう無い。
アナスタシア対策として、不死城にも即死級の罠がいくつもあった。
多くの戦闘員と幹部も何人か詰めていた。
それなのに、消耗した様子すらないのは想定レベルがまるで違う。
夜の世界を攻略したのはまぐれではなく、最低限それくらいの階梯になければ戦う土俵にも立てないのだと気づかされた。
「うーん、これだけやって出てこないってことは、ここにはいないんですかねえ」
「落ち着いて話がしたかっただけなのだけれどね。仕方ないから、言いたいことだけ言って帰ろうか」
しかし、ヴィクターの奥の手は、精神や魂が見えるユノには通じていなかった。
ただ、落ち着いて話ができるよう、恥をかかせないように誰かに取次いでもらうつもりが上手くいかなかっただけである。
そして、これ以上の被害を出すと壊滅させてしまうおそれがある(※手遅れ)ので、方向転換を強いられたのだ。
真っ直ぐに近づいてくるユノに、ヴィクターの無いはずの心臓が早鐘を打つ。
「あれ? もしかして――」
真相に気づいたテレーゼに、ユノはジェスチャーで口を閉じるように指示を出す。
ヴィクターの精神がボロボロで、これ以上刺激を与えると回復不能なくらいに壊れてしまいそうだからだ。
もっとも、「奥の手」などといって白骨死体に扮するような屈辱を耐え忍んでいたのに、それがバレていたのだから心が壊れるのも無理はない。
一応、「だったらなぜ城を壊したのだ!?」と憤る気持ちもあるが、ここで暴れると次に壊されるのが彼自身であることは明白。
もう神に祈るしかない。
ただし、応える神はいない――そもそも、彼に迫ってきているのは正真正銘の女神、あるいは邪神であり、この世界の神の大半は彼女の味方である。
「アナスタシアさんからの伝言です。『禁忌に触れなきゃこっちからは手を出さない。好きに生きなさい。ある意味もう死んでるけど』だそうです。ヴィクターさんに伝えておきてください」
ユノは、もう無駄かもしれないと察しつつも可能な限りの配慮を見せるが、後方でニヤニヤしているテレーゼのせいでヴィクターの精神が更に乱れ、いくつかのパーツが剥落する。
「あっあのっ! これでも使って元気を出してください。――と伝えてください! ではっ!」
またもや転移禁止区域を無視してテレーゼともども消えたユノだが、ヴィクターの関心はそこにはなかった。
彼女が残していった置き土産――手のひらサイズの賢者の石だ。
それも、ひとつふたつではなく、両手で抱えきれないほどである。
ひとつでも国家間での争いになりかねない、彼でも実物を見るのが初めての、特にアンデッドの性質によく効く物が、頭や価値観がおかしくなるほど大量にあるのだ。
戦略家を自称するヴィクターでも、その輝きを前にして、「罠かもしれない」などと考えられる冷静な部分はどこにも無い。
――これだけの魔力があれば、生贄を集める必要は無い。
というより、全世界の人間を集めたところで、これだけの魔力は集まらないだろう。
(これならあんなこともこんなことも――そうだ、邪神呼ぼう! ……いや、待て。これで呼び出した邪神が、これをポンと出したあれに勝てるのか? というか、むしろあれが本当に女神、あるいは邪神ではないのか?)
そして、気づいてしまった。
普段のヴィクターなら大魔王の肩書や自尊心が邪魔をして否定していただろうが、いろいろと壊されてスッキリしていた彼はいわゆる「賢者モード」になっていたのだ。
(これだけの賢者の石があればアナスタシアはどうにかなるだろうが……。やはり、あれを相手にするのは危険すぎる。となると、やはり――)
ヴィクターの無いはずの脳がにわかに活気づく。
そして、導き出された結論に向けて計画を詰めていく。
その内容が明らかになるのはもう少し先のことである。




